

Hiroshi Hirata
平田 弘史
1937年、東京生まれ。56年、悪性の盲腸になり、麻酔なしで腹を切られ、武士の切腹とはこういうものかと推察する。57年、大阪日の丸文庫「魔像5号」に処女作を発表。芳文社「コミックマガジン」に武士道凄絶物語を多数発表し、以降は時代劇画の第一人者として活躍。
平田 弘史 さん(劇画作家)
時代劇画の第一人者である平田さん。
その作品の中で「死んでも構わぬ覚悟で生きること」の大切さを武士道を通して語っていらっしゃいます。
今回のインタビューでは、私たちが学ぶことの真の意味についていろいろとお話しいただきました。
「知識のコピー&ペーストでなく、創造する心を持つこと」そのために私たちには何が必要でしょうか。
武士をテーマに漫画を描こうとしたのは、出版社の社長に現代劇を扱う人は多いので2作め以後も時代劇をやってくれと言われたからです。まあ、父親が武士が好きだったし、先祖は長州藩の武士で家格はそれなりにあったらしく、明確ではなく調査中ですが、そうした影響もあったのかも知れません。武士をテーマにすると生死の瀬戸際に生きる人間が描けます。現代人を簡単に殺すことはできないけれど、時代劇はそれができてしまう。体面を汚されたら有無を言わさず相手を殺してもいいという掟が武士の世界にはあって、それが時には潔いことでもあった。現代人の「なあなあ主義」の生き方ではないところが魅力ではありましたね。

私は16歳の頃から事実上の世帯主のようなもので、水道設備の仕事をして一家を支えてきました。しかし、"にっぱち"と言って2・8月は仕事がないので、その間はいろんな仕事をしました。お得意様を回り、どんなことでもやりますと、穴の開いた鍋ややかん、壊れた雨樋、ラジオの修理と、頼まれた仕事は、工夫研究で直し、建築依頼の仕事などは、どこかの現場まで出向いて学び取り、何でも直していました。ところが、19歳で悪性の盲腸にかかり麻酔なしで腹を切り、その療養中に店はつぶれてしまいました。その後は会社員になりましたが、20歳のある日、通勤電車の中で漫画家になっていた中学の先輩に出会ったんです。そこで枚数を多く描けば描くほど収入になると聞き、家計アップのためには、これだ!と考えたわけです。
その日の夜7時から、先輩に紙と墨汁とペンを借り、翌朝7時までに徹夜で16ページ描きあげ、そのまま会社に出勤しましたが、留守中に先輩がタイトルを付けてくれ、その原稿を大阪の出版社へ持っていってくれました。その原稿が合格ということで劇画家になったわけです。
まったく思いませんでした。後年のある時期、編集者の中には時代遅れだと言う人もいましたね。でも何で時代に迎合しないといけないのか?
それは私には関係なかったことですね。
流行は変わっていくもので、それに乗っていては「本当のこと」は描けない。この世で不動のものは何かと言えば、春になったら草木が芽吹き、秋になったら実って枯れる。そういう節理です。それは変わらないし、誰がなんと言おうと不動だ。
流行とは、どんどん流れる水のようなもの。忙しくてしょうがない。じっくりものを見つめることもできない。だが、動かぬ川底をじっくり見つめれば、そこに実体を見ることができる。だから人間の考えなくてはならないことは、現代だろうが、武士のいた時代だろうが、人間の心というものだ。その心は環境に左右されがちだけれど、環境が悪ければ、なぜ悪くなったのか、その原因を追求して改善する心がまた必要になる。そうでないと、環境に流され続けて、自分を失い、ものの見方を失う。すべてが虚しく見え、生きがいまでも失うことになりかねない。

考え方や、その方向は時代や流行に左右されてはならない。というのも、自分という意識は、自分が構築してゆかねば誰も自分を作ってはくれないから。自信を持って自分を作ればいい。ただし、人は人によって人となれるから、他人の意見や考えを無視しては、自分を作れない。
人の形はしていても、動物のような心の人、餓鬼の心の人もいれば、年令は大人でも、子供並みの心の人も居る。人を助ける心を持つ人が人と言えますね。

今も昔も大して変わらんでしょう。例えば、呼吸を考えれば100の量を吸ったら、同じ量を吐かないと次を吸えない。まあ、吸えるけれど続かなくなるでしょ。取り込み続けては生きて行けない。人は自然の節理に合わせて生きれば楽なのに、自分だけもうかればいい、自分だけよくなればいい。そのためには他人をけちらせばいい。そういうことばかりやっていると、呼吸困難にならないために毎日あくせくせねばならなくなる。「自分だけ」ばかりの意識が蔓延して、貧しい人たちや弱い人を助けようとしない。自分だけ出世し、金持ちになればいいというのは幼い心、餓鬼の心です。
そばに弱い人や悩んでいる人がいれば、その人のために自分の持っているものをいっぱい注いであげようという親の心、相手をいたわる愛の心が本当に欠落しているね。
人という字には互いに助け合い、寄り添い合う意味があるけれど、人を助ければ、自分も助かる原理がこの字からでも知ることができるはず。
そう言う人がいるなら、それは、その人の読みが浅いね。その人の人生経験が浅いわけだね。いたわりのない登場人物がいるとして、「こういうことでいいのでしょうか?」と、読む人に問いかけている作者は非情な心で主人公を描いていると思いますか?
身分差別で成り立っていた武家社会は、そういうものだったのです。比較的安穏に暮らしている現代の日本人からすれば過激すぎて、読みたくない作品と思う人もいるでしょうね。それは御自由に決めてくださいな。
薩摩では下級武士が上級武士に、ちょっとでも失礼なことをしたら、たちどころに斬り捨てられ、おまけに家族3人まで殺せた。そして「無礼を働いたから斬り捨てた」と紙一枚の届け出で済んだ時代でした。こうした身分差別を厳格に守ることで武家制度を安定維持しようとしてきたのでしょう。
現代は士農工商のような身分差別はなくなったとは言え、学閥差別・学歴差別と、いろいろあります。差別と言うものはあって当たり前で、父と子の差別もなくなったら話になりません。水は上から下に落ちるのと同様です。しかし、上は尊く正しくて、下は下劣でダメと決めつけることは愚かな誤解です。上にある水も、下にある水も、どちらも尊いものに変わりはありません。
みんなが互いに助け合って生きていく世の中にするにはどうすればいいのか。そういうことを考えるために学校で学ぶのはいい。楽して高給を得たいために有名校へ行きたい。と言うのは、すでに餓鬼道の世界へ踏み出しているようなもので、百害あって一利無しだね。

学問は、自分だけが都合よく生きていく方法を学ぶことでは決してないだろうし、自分の出世、自分の物欲を満たすための学問なら世界は破滅するだろうね。
人類の先祖が発見し、構築した知識を、自分にコピー&ぺーストしているだけでは意味がない。それがいくらかでもできている人は、世間から優秀と見られても、それはそれまでのこと。そこからさらに人類のためになると思われる自分なりの発見構築がなければ学問の意味がないし、コピー&ペーストした知識をためているだけで、それを行動に移していかなければ役に立たない。
だから、たったひとつでも、こうしたいと思ったら、それを実行することが大事だ。それは知識を百万回コピー&ペーストしたことよりもはるかにいい。人一人はそんなに多くのことはできないし、いっぱい知識をためようとすれば、それだけで頭は一杯になる。それによって、自分から産み出し、創造する心が希薄となり、人から言われないと動けないようになる。そういう若者が近頃多くはないか?

自分はこの世に生まれたたった一つしかない貴重な人だということを知るべきで、貴重な宝のような自分を、活かす努力をしてゆくべきだと思う。自分を信じることが自信というものだろう。神仏に祈る前に、まず自分を信じ、自分で自分を開発してゆくことだ。
また、自信とは地震でもあり、自分の心を振動させることだ。振動させる必要がない人は、それなりに現状に満足しているか、不満だけれども、どうしようもないと、あきらめているか、どっちかだ。これでは死んでるも同じだ。何も進まないし、よくならない。まず、自分がつまらなくなるだろう。
振動は、満足やあきらめからは生まれてこない。よりよい方向を求める心からしか生まれない。振動は上下、左右とあらゆる対象があるが、その間を行ったり来たりする繰り返しのことで、その行ったり来たりする距離が振幅となる。大きく振幅することは、しんどいことだが、他の人がそれに気づけば、驚かせることになるし、その人をも振幅させる力になる。やがてそのことは自分にとって楽しいことにもなる。死んだような生き方するか、活きた生き方するかは、自分次第だね。

Hiroshi Hirata
平田 弘史
1937年、東京生まれ。56年、悪性の盲腸になり、麻酔なしで腹を切られ、武士の切腹とはこういうものかと推察する。57年、大阪日の丸文庫「魔像5号」に処女作を発表。芳文社「コミックマガジン」に武士道凄絶物語を多数発表し、以降は時代劇画の第一人者として活躍。主な著作は『薩摩義士伝』『名刀流転・落城の譜』など多数。
平田弘史さん公式サイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~tesh/
平田弘史さんファン倶楽部:
http://www.laputa.ne.jp/hirata/
【平田 弘史さんの本】

『薩摩義士伝①~⑤』(リイド社)

『黒田三十六計 上・中・下巻』(講談社)

『我枯るるとも』-『斬鬼』第7号掲載(少年画報社)

『優しさ』-『乱』増刊号掲載(リイド社)