

Kazuo Kawasaki Ph.D
川崎 和男
1949年生まれ。(株)東芝で音響製品のデザインに従事後、フリーランスとなり川崎和男デザイン室を主宰。日本および世界のインダストリアルデザイン関連の各賞を最多受賞。1996年より名古屋市立大学芸術工学部大学院芸術工学研究科教授。
川崎 和男 さん(デザインディレクター・名古屋市立大学大学院教授)
交通事故で車椅子生活を余儀なくされ、心臓病を胸に秘め、何度も死線をさまよった。
だが、体が不自由な分、想像力がはたらくのだと言う。
インダストリアル・デザイナーからデザインディレクターとして、デザインの在り方について熱く世の中に説き続けて30年。
川崎氏の語る外面・内面双方からのデザインが日本そして世界を変えつつある。
ほとんど知らないでしょうね。知ってるとすれば、カーデザインとかファッションとか、今ならインテリアデザインとか建築。うちの大学にいる学生たちもみんなその程度ですから。洗濯機や掃除機、電気冷蔵庫といったものにもちゃんとデザイナーがいるんだということがなかなか知られていない。

最近は、トヨタや日産などでも、デザイナーが会社の顔としてテレビCMに出るようになって、カーデザイナーに憧れる若者も増えてきましたが、日本の産業界では、インダストリアルデザイナーの9割ちかくが、インハウスデザイナー(企業内デザイナー)として無名で活動しています。つまり、Anonymous(匿名の)デザインという形でやっているんです。僕の場合は、時計とか眼鏡を「カズオ・カワサキ」というブランドでデザインしていますが、やはり三宅一生さんほどの知名度はとれません。インダストリアルデザインの場合は、どうしてもデザイン業界の中での閉じた世界になってしまうんです。そんな中で、僕の役割は、自分が著名になることよりも、ともかくデザインというものの本質を広く知っていただくこと。特に高校生の人たちには、きちんとデザイナーという職業を知ってもらいたい。

世の中を動かすことができるのがデザインなんです。僕が学生によく言うのは、「工学部出身のエンジニアに指令を与えるのはデザイナーなんだ」っていうこと。たとえば、中国ではデザイナーはエンジニアの5倍の給料をとっているんです。東南アジアでもすごい人気職業で、上流階級になれる存在なんですね。それだけに、入学試験もすごく難しい。絵が描けて、勉強もできなくちゃいけないからです。
当時、一番楽な職業に思えたんです。原稿用紙とペンさえあればいいとか、どこででもできる職業だとか、会社に勤めなくていいとか、夜は銀座で飲み歩いて過ごせばいいんだとか、破天荒な生き方が出来ると思ったんです。ですが、文学部を出て小説家になれるとは思えないし、見渡せば医者で作家になる人が多いから、じゃあ医学部に進もうと安易に思いました。ところが、医学部っていうのは難しいわけだから受験勉強が相当大変なわけです。
ところがある時、原稿用紙を何百枚も書くの大変だなと思って、それに比べてデザイナーは紙一枚に色鉛筆でパッと描いて、それで仕事になるんだからもっと楽な仕事だと思っちゃったんですよね。ところが入ってみたらとんでもなく大変な仕事だと気づきました(笑)。

そうですね、小・中学校のころから絵が得意でした。工作やプラモデルを作るのも大好きでした。物を作るということだけでなく、何かを収集することも好きでした。ただそれで、エンジニアになりたいという気持ちは全くありませんでした。逆に言うなら、もう一回生まれ変わったとしてもデザイナーを選ぶでしょうね。それぐらいいい仕事だと思ってます。現実に自分の創った物を人が使ってくれるとか、最近はようやく自分のファンみたいな人が出てきているので、そういう人たちがちょっとでもいてくれると嬉しいです。
ただデザインというのは、非常に誤解を受けているんですね。まだまだ日本人のデザイン感覚は低い。色とか形とか流行とかにすごく囚われているんです。そうではなくて、デザインというのは理想主義を形で実現していく、言ってみれば哲学をちゃんと形で表現する職業なんです。例えば、川を渡る方法をデザインしてくださいと言われたときに、橋から考えるのではなくて、渡し舟はどうかとか、ロープウェイで渡れないかとか、それが景観的に美しくなるかとか、いろんな角度から川を渡る手法を考え出す職業なんだってことを、もう少し理解して欲しい。
![川崎先生の作品:HOLA(ホーラ)- 時の概念として、天体をメタファーとして引用し、これまでの時間計測表現からの解放を目指し、時計のようなモノとして製品化。ホーラとは時の女神を意味する。[クーパーヒューイット美術館(米)収蔵]](http://122.200.201.84/interview/059_HOLA.jpg)
うちの学部は「芸術工学」ですが、英語名はSchool of Art and Technology ではなくて School of Design and Architecture なんです。architectureというのは単なる「建築」という意味ではなくて「構築」、「設計」という意味を含んでるんです。中国語でいうなら「策略をめぐらして構築する」ということなんです。
ですから、芸術工学というのは、芸術とエンジニアリングをどう組み合わせていくかということが目標です。例えば、今までのデザイナーは体の外にあるもの、身に付ける時計や眼鏡や洋服といったものを創ってきたのだけれど、これからは人工臓器とか人工心臓、遺伝子の組み合わせといった体の中のものにもデザインが入るべきだと僕は主張していますし、自分の研究もそういう方向に進めています。
つまり、メディカルエンジニアリングというものに対し、単に医学と工学を結びつけるというのではなく、医学と工学を結びつけるためにデザインをどうとり入れていくかっていうことまで発言していきたいと思っているんです。

体の外に身に付けているのが美しいものというのではなく、最後に焼かれた後、人工臓器だけが残るんですから、美しいものを体の中に入れておきたいというのがあるじゃないですか。
僕は交通事故にあって、背骨がステンレスの板で留められているわけです。レントゲンで見るとステンレスの板が見えるのですが、むちゃくちゃかっこ悪いんですよ。それが死んだときに残るとなると、かっこいいものであってほしいと思うんです。死んだときにこんなきれいなものがこの人の体に入っていたんだと感動したり、それがオブジェとして墓石の上にあるときれいなんじゃないかなと思うんです(笑)。
たとえばエルメスのスカーフは、実に美しく直角にきれいに縫ってあるんです。つまりブランドものというのは、いかに丁寧な仕事がしてあるかとか、いかに長持ちするかとか、といったことなんですね。フランスの20代の子がエルメスやヴィトンのバックとかを持っているかというと持っていないわけです。逆に日本の無印良品「MUJI」をかっこいいと言っているわけです。ですから、どの程度の女性になった時にそれが似合うのかとか、そういうことをわかった上で彼女たちはそれを持つんですね。そういう意味で本当の「良さ」「豊かさ」というのはどこにあるのかということを、もう一度考え直さないといけないと思います。
それから、「美しさ」について言えば、一般的に、美しいというのは個人的、主観的判断なので非常に難しい部分があるんですが、誰もが美しいと感じるものはやはりあるはずだし、恰好がいいもの、綺麗なもの、清潔なもの、良いもの、そういったものを総体化したものが美しいものということになるので、そういうモノを創り出すということがデザイナーの仕事です。そして、それは「モノ」の世界を超えて今は「コト」の世界になっています。
![川崎 和男 先生川崎先生の作品:CARNA(カーナ)-「スニーカーのような車椅子」をめざして、身体保持機能と走行性能を分離と統合化・収納性を追及。車輪やフレームの色が自由に選択でき、また、シートも使用者に合わせたものが選べるセミオーダー仕様。カーナとはラテン語で「生活の守護をする女神」を意味する。 [ICSID特別賞/BIOゴールドメダル(スロバキア)/ドイツ国際デザイン賞/ニューヨーク近代美術館(米)収蔵]](http://122.200.201.84/interview/059_CARNA.jpg)
そうですね、グッドデザイン(Gマーク)という制度がありまして、私はその審査委員長をやっているんですが、今年はテレビ番組にもそのグッドデザイン賞が与えられました。
形としてとらえにくいものに対してデザインの良し悪しを問うという考えに対して、日本は単に遅れていたのであって、イギリスではすでに映画にもグッドデザイン賞を与えているんです。今後は、日本でも映画に賞を与えられるようにしたいと考えていますが、その賞は、これまでの映画の賞とは全く違うものになるでしょう。単に監督や女優に賞を与えるというのではなく、作り方とかロケーション、映画のチケットのデザイン、どういう映画館で見せるか、その映画がデートにいかに最適化かとか、そういったことまで総括的に見ていきたい。

これまではどうしてもデザインというものは、industrial designつまりインダストリー(産業)のためのデザインという形だった。それは欲望を刺激する、つまり「ほらかっこいいでしょ、だから買ってください」っていうものだったんですね。僕が大学時代にいたのも産業美術学科という美術を産業のために使う学科でした。ですが、今のうちの大学はそうじゃないんです。キーワードが「健康」と「都市景観」なんです。

住みよい社会と健康な生活、言い換えると「Quality of Life」を実現するために、産業をどう使うか、政治制度をどう使うか、あるいは制度を提案していくとか、そういうのがデザインであって、またそういうことが出来る子を育てたいと思っているわけです。
たとえば、仙台の「せんだいメディアテーク」なんかは、一見単なる公民館なんですけど、24時間使えたり、中でワークショップなんかをやっている横で受験生が勉強していたり、公園がそのまま入り込んでたりと、ハードウェアとしての建築とそれを運用するソフトウェアが素晴らしいことから今年Gマークのグッドデザイン大賞に選ばれました。こうした、ハードウェアとソフトウェアの両面からのデザインが行政に生かされる動きが、徐々に日本中に広がってくれば、本当に豊かな生活が何かということがわかってくると思うんです。
今は世の中全体が怖いですよね。テロリズムがあって、そしてアメリカという国が非常にヒステリックになっている、そしてそれに日本が追従している。また日本国内でも、狂牛病という問題があります。そういった中でデザインは何が出来るだろうということを今のデザイナーたちは考えないといけない。つまり、政治とデザインの関係というものも考えていかなければいけないんです。

そうです。今みたいに地球環境がどんどん汚れてくるという環境の中では、いかにいいものを長く使うかということをもっと考えなくてはいけないし、いいものを開発するにはもっと長く時間をかけなくてはいけない。地球がだんだん傷んでくるという状況下でのモノ作りのやり方とかを、最終的に方向付けていくのがデザインなんだということを、今の人たちにもっと知ってもらいたい。

単に絵を描くことがデザインの教育なのではないんです。ある高校で講演したときに、生徒たちに尋ねると、数学ができないから絵を描いてるっていうレベルの子がいっぱいいるんですね。僕は、「君らみたいに絵ばっかり書いたってダメなんだぞ。自分の絵を外人さんに説明できないでしょ、絵が好きだったら3割くらいにしなさい。そして自分の苦手なものに7割くらいかけなさい。」と言ったわけです。数学が役に立たないと思っているかもしれないけれど、数学の究極は哲学に至っているわけだから。
今僕は、トポロジー(位相)空間<参考HP>、つまり人間の想像力が作り出した空間をコンピュータで目で見られる形にするということもやっています。フラクタル<参考HP>なんかもそうですが、自然の葉や木の形は数式で表現できるものだったりする。数学は数式で絶対回答をぽんと出されちゃうので、数式を見て美しいと分かる人なんてあまりいないわけですが、それをコンピュータで表現できるとなると、数学はどうしても必要になってくると同時に、コンピュータ上でその美しさを分かってもらえるように表現するには、さらにそこにデザインというものが必要になるわけです。
僕は、本来の主要三科目は、今の五科目(英数国理社)じゃない、体育と美術と音楽だと思ってます。だから学生にもよく言うんです。「みてごらんなさい、体育だとイチロー、すごいお金を稼いでいるじゃないか。歌手もお金を稼いでいるし、美術家にしても有名になれば、すごい金持ちじゃないか。文化勲章とか、国民栄誉賞だって、もらえるのはそういう人たちじゃないか」とね。ですから、体育とか美術とか音楽とかをもっとちゃんとやって、補助的に英語とか数学をやるというふうに学校の授業ももっと変わって欲しいと思いますね。感性の中から知性が育まれるのであって、知性の中では感性は絶対に育まれないですからね。

感性というのは浄化された感情であって、感動して、感激して、感謝するというサイクルを自分の中で持つことだと思うんです。これは、オリンピックの選手なんかを見ていても一目瞭然で、メダリストたちは周りの人々に感謝するって言うことを必ず言いますよね。そしてそういう人たちは、人々に感動や感激を与えたりしているわけです。賞を取った本人も感激しているわけですし、そういうのが一番平和な状況ですよね。彼らの競技している姿は美しく、汗まみれであっても美しい。けれどそういうのはその舞台上では映えるけれども、それ以外のところではものすごい精進と修練をしているんですよ。
美術的な視点で感性について語るならば、いま大学の授業で色彩論を教えているんですが、夕焼けはなぜ赤いのとか、なんで空は青いのとか、暗いところに入ると真っ暗で見えないけれど、そのうち目が慣れてくるよねとか、そういうところから色というものを教えているんです。そういった中で感性を磨くということをしているんです。「ここから見る夕焼けが一番美しいんだよ」、と言ってくれるような人たちがデザイナーだと思うし、世の中を動かしてくれる人だと思う。そういう人たちが育って欲しいんです。
そうですね、今の子は、星座の名前とか、道端に咲いている雑草の名前とかも言えないと思うんですよ。そういうことから考えると、「知」というのは、もっとそういう日常的で身の回りのことだろうと思うんです。
いいえ、授業は厳しいですよ。課題も大変ですが、僕は講義の単位数でスパッと落としますから。そういう中で、自分自身が現役のデザイナーだということをちゃんと示してあげることは大事だと思っています。私は来年でデザイナーになって30年になるんですが、デザインはどんどん変わってきてますし、世の中もどんどん変わってきています。あとどれくらいかわからないけれど、これから育つだろう学生たちとかに、今自分が考えていることとか自分の経験をいっぱい教えたり、伝えたりしていきたいです。「君らが実現すべきだ」という話をするには大学しかないという気がします。そういうことを学びたいという人は、ぜひともうちの大学にきて欲しいですね。

Kazuo Kawasaki Ph.D
川崎 和男
1949年生まれ。(株)東芝で音響製品のデザインに従事後、フリーランスとなり川崎和男デザイン室を主宰。日本および世界のインダストリアルデザイン関連の各賞を最多受賞。1996年より名古屋市立大学芸術工学部大学院芸術工学研究科教授。1987年よりGマーク審査員。2001年度はグッドデザイン賞審査委員長を務め、日本のデザイン界をリードしている。コンピュータ(Macintosh)を使ったデザイナーのさきがけとしても知られている。著書に『デジタルなパサージュ』『プラトンのオルゴール』『デザイナーは喧嘩師であれ』ともに(アスキー)
番組出演のお知らせ:
NHK総合「課外授業 ようこそ先輩」
2002年5月19日(日)18:10~
川崎氏が母校[武生市立西小学校]にて課外授業を行った様子が放映されます。
ぜひご覧ください!
【川崎 和男さんの本】

『デジタルなパサージュ』

『プラトンのオルゴール ―インダストリアリズムの終焉とデザインの使命』

『デザイナーは喧嘩師であれ ―四句分別デザイン特論』
川崎先生が1990年から書き続けている連載エッセイ「Design Talk」(月刊『MacPower』/アスキー)が、3冊の本にまとめられています。
小説家としての夢も違った形で果たしてしまった先生はこういいます。
「形はいつも言葉に負ける。「こんなのきれいじゃない」とか「使いづらい」とか言葉で言われたときに形は負けてしまう。だから、僕はデザイナーとして自分たちの作る形を懸命に言葉で語るんです。」