

Toshio Manaka
間中 敏雄
日光猿軍団校長。埼玉県出身。無類の動物好き。数々の職業遍歴を経て1992年日光猿軍団を立ち上げ、TBSの「どうぶつ奇想天外!」をはじめ数々のメディアに出演。日光江戸村での成功を経て、お猿さん劇場のほかオートキャンプ場・温泉・釣堀などを併設する多目的パークを開設。
間中 敏雄 さん(日光猿軍団校長)
人々にほのぼのとした笑いをもたらすニホンザルの芸といえば「日光猿軍団」を思い浮かべる人も少なくないでしょう。日本の伝統芸能の一つとして古くから親しまれてきた一人対一匹の「猿まわし」の芸を、複数のお猿さんによる集団の芸という新しい形で世に広めたのが間中校長先生です。その校長先生の次なる目標は、何と自家用ジャンボジェット機を購入して、お猿さんたちを連れて世界中の人々にその芸を見せてあげること。この奇想天外な夢が、北関東訛りの語りに引き込まれるうちに、今にも実現しそうに思えてきてしまうのは、私だけではないはずです。
資格なくて校長先生なんて言えるのなんて俺ぐらいのもんだよ。お猿さんの学校の校長先生ってわけだけど、このごろは、お猿さんなしで小学校とか中学校とかに呼ばれて、自分がどういうふうに生きてきたか話したりするんですよ。校長先生ばっかりの集まりってのもあってね、そういうのにも呼ばれちゃうんだもんね。(笑)

テレビの視聴率が下がらないのなんて、20年間でうち(日光猿軍団)だけだそうですよ。だいたいバッとでて、1、2年で出なくなっちゃうのが多いんだって。うちなんて10年間ずっとでしょ。みんな良くしてくれたからね。オープンして10年、準備期間も数えたら15年。まあ、下積みがあったからね、「日光猿まわし」と書いてあっちこっち車で行ってね。最初は全然見てくれなくって。自分でもよくやったなと思って関心するよ。
発想なんてねえよ。誰かがテレビで「猿まわし」やってるの見て、俺もやってみっぺって思ったんだよ。お猿さんに芸といっても、芸を人様に見せるっていうより、どこまでしこんだんだかしこんでないんだか分からないことやってんだから。自発的にお猿さんがやるようなことをやらせるんですよ。ごみを拾うとか、人間の子どもと同じような教育してるんですよ。返事って言ったら「ハイ」って言うような。

ホント何でもやったね。大工、運転手、セールスマン、電気屋さん、設備屋さん、魚屋、八百屋だべ。ペンキ屋、溶接屋もやったし・・・
やんないもの勘定した方が早いよ。やってないのは病院とか、お産・陣痛でしょう。したくてもできないけどね(笑)。悪く言えば飽きちゃうんだよね。よく言えば、これをずうっとやるわけにいかないし、一生でこれだけじゃつまんねって思っちゃうんですよ。
ライセンスでも何でも、一回で取っちゃうんだよ。すごい運がよくてね、今まで「試験」で落ちたことがないんだから。
一番難しいのがヘリコプターの試験だったね。5科目あって、気象・衛星・通信・工学・技能でしょう、これが一発で受かっちゃったからね。便所にいっつも本を置いといてね、厚さ10cmの本だとしたら、読む時間なくて1cmだけじっくり見て、あとの9cmざっと読んだとするでしょ、そしたら、その1cmのところで8題ぐらい出たかんね。何やってもツキがあるんですよ。

車の免許も昔は1日1回で取れた時があるんですよ。俺も18歳過ぎたときに、友だちに誘われて取りにいってね、そのとき330人受けて、受かったのが3人。その3人に入ってたかんね。まあ、運がいいともいえるけど、試験場に知り合いの先生がいてね、その先生に言われたのは、「上手くやってもダメだよ」ってことだったんですよ。試験官は、その人が免許を取ったときに大丈夫かどうかということを見る、要するに凶器をやっても心配ないだろうということを見るみたいなんだよね。だから俺は安全に気をつけて素直にやったんですよ。
そんなことねえよ。勉強なんてしたことねえんだから。兄弟7人で、みんな9年間、小学校から中学校まで、新聞配達やってたんだから。
中学卒業してすぐ、郵便局入って郵便配達しながら、定時制高校にいったんですよ。で、いつも郵便配達に行く八百屋さんがすごい売れていてお客さんがいつもいっぱいいてね。八百屋さんに聞いたら、1個50円のキャベツを100円で売ってるって言うから、ずいぶん儲かんなって思って、おれも八百屋やりテーって思っていたら、八百屋になっちった。(笑)それで、八百屋になったんだけど、全然ダメ。野菜が腐るのを予想してなかったんだよね。元手の半分が腐っちゃって、こりゃだめだって思ってたら、電気の修理のアルバイトやらないかといわれて、八百屋やりながらそれもやった。
そのうち、保険のセールスやらないかと友だちに言われて、始めたら支部で一番になっちゃってね。しばらくして生命保険ももういいやって思って、ネズミ講やったんですよ。3人紹介するとリベートもらえるってやつ。それもトップになってね。で、今度は自分で新しい商品のネズミ講の親分始めたんですよ。車のスピード違反のレーダー探知機を日本で初めて売ったのが俺だったんだよね。その頃は、俺も外車乗っててね、事務所も持ってたし。それがそのうち、ネズミ講の摘発が始まってね、すぐにやめたよ。ものすごい儲かってたのに、全部返しちゃったから、一銭もなくなっちゃって、次の日から、車もなくなって、小ちゃいアパートに引っ越して、クズ屋だよ。
そういうのって俺できるんですよ。見栄も何もないから。プライドじゃ飯食っていけないもん。でも、クズ屋も普通の人より集めたよ。マイク買えねえから、一軒一軒コンコンって行くの。「古新聞屋で来たんだけど、昨日のとったもんでもいいからあっかい?」て聞くと、「あるからもってけ」って、イヤいっぱいあるの。マイクで言って回っても皆出さないんだよね。「ちょうどよかったからもってけ」って。儲かったですよ。

その頃、今の女房に出会って、「将来お姫様みたいなうち建ててやっから、一緒になんねえか」ってうまいこといって、一緒になっちったよ。一緒になりゃこっちの勝ちだって思って。そんで、次の日からクズ屋になっちったもんだから、涙こぼしてたっけ。「なんでこんなになっちゃったんだろう」って。「ちっとの間辛抱しろ」って言って、5年間でうち建てようって約束したけんど、1年間はクズ屋だったよ。
これじゃだめだって思って、朝クズ屋やってダンボール集めて、昼間は鬼怒川のライン下りの船頭やって、夜はホテルでバンドマンだろ、で深夜は運転手やって2時か3時に帰ってきて、4時に起きてまたクズ屋でしょ。寝る暇なく働いたよ。
それで結局、5年で家建てましたよ。今もありますよ。「貸さない、売らない」で。
その頃だね、テレビ見たら、猿まわしやってたんですよ、じゃあ、俺もやんべ、簡単そうだからって。動物商に聞いたら、3匹以上じゃないと売らないっていわれて、じゃあっていって最低の3匹買って、保健所で許可もらったら、箱が送られてきたんですよ。最初見たら間違いねえ猿だ、ってんで、じゃあよくみてやんべ、って思ったら、いやケツかじられアタマかじられでね。(笑)

それで、庭にビニールハウスを作って、紐つけてお猿さんを放したんだけど、ぜんぜん近寄んないんですよ。ちょっとひっぱると、「カッ」って怒ってさ。何かやると「サッ」と取って、何だ凶暴な奴らだなって思ったんですよ。3ヶ月かかったかな、そばに近寄るまで。
それから、好きなカラオケにも行かず毎日お猿さんと一緒にいてね、ある日やることねえから、お酒飲んでて、そのうち酔っ払って寝ちゃったんですよ。そしたら、夜中、なんだか重くてね、何かと思ったら、3匹固まって俺の上で寝てやがんの。「こん野郎」って言ったんだけど、それからだね、そばに来るようになったのは。
お猿さんに茶碗でもボールでも、何でもあげてみたんですよ。そしたら、ボールに乗っかって遊んでさ、鉛筆とかやるとかじりやがってさ。で、最初にボールのりを教えたのかな。ボールに乗っかってるから、それを「うまいねーうまいねー」って誉めてやったんですよ。ご褒美に何かあげたりしてね。そのうち、ものもらうより誉められるほうが喜ぶようになっちゃってさ。で、3匹よりもっと飼うべって思って、8匹、10匹ってね。どこみても猿ばかりになっちゃってよ。散歩するのにも10匹に紐つけてやってると、あっちこっち動くもんだから絡まっちゃってよ。いや大変だったよ。
そんでそのうち「こんにちは」を教えっぺって思って、木の椅子に座らせて、頭下げて「こんにちは」ってやらせようと思ったんだけど、絶対やらないんですよ。こりゃ、一生やらないなって思って、何かいい方法ないかなって思ってね。それで、うちにあったみかんの木のトゲを取ってきてね、「こんにちは」って言いながら、猿の頭をトゲでちょこっとやってね、すると「イテッ」ってんで頭下げんですよ。そのうち、「こんにちは」って言うだけで頭下げるようになってね。こんなふうにいろんな方法で考えるんですよ。

そうこうしているときに、小学生の頃だったかな、うちの娘に聞いたんですよ。
「ナミちゃん。お猿がこんなにいっけど、皆が経験したことで皆が面白いことで、集団でできることない?」そしたら、「学校がいいんじゃない」って娘が言うんですよ。
そりゃいい、ってんで、板っぱちで机と椅子を作ったんですよ。でも座るわけないよ、みんなかじられちゃってさ、「何で勉強しなきゃいけないの」って感じで、ガッチャガチャになっちゃったよ。

それを「いい子だね、いい子だね」って座らせて1秒、2秒、5秒、10秒、1分って皆座るようになったの。座ると誉められるし、その後うまいものもらえるって思わせたの。今くれるから座るってんじゃなくて、後でもらえるって思わせたんだよね。
その頃日光江戸村ができて、テナントにならないかって言われたんだけど、その頃テナント1戸1,500万円だからね。そんな金ねえっていったら、保証人になってやるよって人が出てきたんですよ。家なくなっちゃうかもしんねえけど、よしやっぺってんでね、結局31店舗のうち、うちが売上トップですよ。

それから、江戸村で半年か1年やったら儲かったんで、今の土地を安く買って、小屋を作って猿まわしやってたの。そしたら、どっかの代理店さんの紹介で初めてテレビに出たんだよね。放送の後の電話のいやすごいこと。その後取材が殺到して出ない番組がないくらいだったかな。本当は、テレビに出る前に「日光猿まわし」って名前つけてオープンしようと思ったんだけど、いつも相談する神主さんに、一年待てって言われて、そしたらその間、テレビにいっぱい出てすごい宣伝になったでしょう。

いよいよ次の年の申年の元旦に「日光猿軍団」の劇場をオープンすることになってね。朝6時くらいに起きて出てきたら、道にずっと5列くらい人が並んでて、車もすごい渋滞なんですよ。俺んちなんてこんな来るわけないなって思ってたら、ずっと劇場の門までつながってんですよ。いやびっくりしたね。それから5年で返すって言ってた借金1億5千万、2ヶ月で返しましたよ。ホントですよ。信じらんないでしょ。だって、毎日超満員なんだもん、なっちゃうべ。で、うちのママさんに、新しい家を好きに作りなっ言ってね、自分はヘリコプター買ったの。そしたら、今まで働いたのに、また借金になっちゃってね。でも今度は銀行が貸してくれるっていうんだよ。そんで一生懸命借金返すことになったんだけど、1年くらいで返しちゃったね。

それで、俺らこんな幸せでいいのか、って思ったんですよ。そしたら、そういうときにせがれが事故で亡くなっちゃってね。悲しかったけど、天は二物を与えないなって思った。家庭は全部平和で好きなこともさせてくれるなんて無理だなって思ったね。そんで悟ったよ。貧乏であっても健康な家族なんて多いしね。子どもがいっぱいて、にぎやかで、そんないい生活できなくても、家族みんなが健康で仲いいのも見てていいよなって。それ以来、金を貯めること忘れたね。今はホント貯めない。今はできる範囲でやっちゃう。
最近、友だちにスーパージャンボのコクピットに入れてもらったりしてるんですけど、今に、自分がジャンボに乗って操縦しているような気がするんですよ。夢なんですよ。スーパージャンボを買って、中にお猿さんの調教場作って、お風呂作って、日本間作って、スタッフそろえて、世界中を公演してまわるって。もう、ボーイング社まで行って、ジャンボ見てきましたよ。

だって、夢じゃないもんね。民間人乗せるパイロットはすごい大変なんだけど、自家用機はそんな難しくないんですよ。航空会社のパイロットのOBで、操縦は私がやりますって言う人いっぱいいるしね。
それで、日光では4月から10月までしかやらないで、寒い時期は海外公演。今世界中から、お猿の芸を是非見せてくれって22カ国くらい言ってきているんですよ。ドイツ、フランス、カナダ、香港、シンガポール、タイ、東南アジア、ブラジル、アメリカももちろんそうですけど、韓国なんて、今一番人気ありますよ。みんなすごい評価してくれてるんですよ。
そういうふうにやれば、ぐるっと世界をまわって、頭金くらい払えっかなって思うんですよ。今うちのヘリは「日光猿軍団」って書いてあるんですけど、スーパージャンボ買って、それと同じカラーリングをして、「Monkey Air Line」って書こうと思うんですよ。カッコイイでしょ。
そうだね、勉強はほどほどにやって、後は何か目標を作ってそれに向かってどんどん行動することだね。俺は何でもあきらめなかった。人がやってることは俺でもできるって思ってるからね。うちの同級生で、頭で目標を描いて実行した人はみんな成功している。社長になっている人多いんですよ。
でも、学校も昔と違うからね。子どもたちが大変だよね。
この人しか絶対できないっていうのが絶対あるんだから、それを伸ばしてやるといいんだよね。お猿さんだってそうなんだから。
許可さえ出れば、俺が学校作っちゃうけど、お猿さんと同じだよ。教科書なんかでせっかくの興味を台無しにしちゃわないで、面白がるように教えないと。一日3つくらいしか教えないでね、長いこと学校行くんだから、どうせいっぱい覚えられるだろ。
とにかく、経験が一番ものになるし、すごい真実味あるし説得力あると思ってるよ。だから、今の高校生には、とにかく何にでもチャレンジして欲しいよね。

間中校長先生は、単なるお猿さんの先生ではありませんでした。その一見型破りに見える生き方に、いかに私たちが学ぶべきことが多いか思い知らされた今回のインタビューでした。間中校長の生き物に対する慈愛と飽くなき探究心は、夢に向かって果敢に挑戦し、経験を己の強みに変えていったその生き方に根ざしたものだったのです。Monkey Air Lineが世界中の空を飛び回る日が来るのが楽しみです。
Toshio Manaka
間中 敏雄
日光猿軍団校長。埼玉県出身。無類の動物好き。数々の職業遍歴を経て1992年日光猿軍団を立ち上げ、TBSの「どうぶつ奇想天外!」をはじめ数々のメディアに出演。日光江戸村での成功を経て、お猿さん劇場のほかオートキャンプ場・温泉・釣堀などを併設する多目的パークを開設。
日光猿軍団所在地:
栃木県塩谷郡藤原町柄倉763