

Shinobu Yoshioka
吉岡 忍
ノンフィクション作家。1948年、長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。大学時代に『べ平連ニュース』の編集に参加。87年、日航機墜落事故をテーマにした『墜落の夏』で第9回講談社ノンフィクション賞受賞。他に『日本人ごっこ』『鏡の国のクーデター』など。
吉岡 忍 さん(ノンフィクション作家)
凶悪な事件が起きるたびに私たちはとかく事件の表層に目を奪われがちです。しかし、どんなに動機の見えないとされる不可解な事件であれ人間が起こしたことには変わりはありません。「人間は器にすぎない」「複雑なものではない」。さまざまな事件を見てきた吉岡さんはそういいます。こうした人間を見る力を見失っているからこそ、時代は不透明に見えるのかもしれません。
わかりにくい事件が起きていることはたしか。でも心の闇があるとかないとか言っても仕方ないと思う。精神科医や精神医学関係の人は何か事件が起きるとそういう言葉を使いたがるが、僕はそれを信用しない。
酒鬼薔薇事件の前に阪神大震災がありましたが1ヶ月近く経った頃、長い避難生活でみんなストレスが溜まっているだろうとカウンセラーが避難所に来た。だけどボランティアとして来た彼らが追い返されているのを何カ所かで見ました。「壊れたのは心じゃなくて家だ」と。これは大事なことだと思う。物理的な解決をせずに心を操作してすまそうというのでは、人間の心はよくも悪くもならない。
酒鬼薔薇事件や佐賀のバスジャック事件、春奈ちゃん殺害事件にしても、みんな周囲や友達との関係が壊れている。真綿で首をしめるみたいにじわじわと関係によって傷つけられ、関係を損なうことでバランスを失ったりして追いつめられている。関係によって壊された人間に対して、「なんでも話してごらん。ここでは自由にしゃべっていいんだよ」と、もうひとつの関係を結ぼうとしても、新たな関係の強制にしかならないので役にたたない。

了解不能だと思ったことはない。僕は人間はそんなに複雑なものではないと思っているんだ。人間はただの器で入れ物にすぎない。ひどい体験をすればある意味ひどい人間になることもあるし、その反対もある。
独特の人間で誰とも違うとなれば科学は対象化できないよ。何か共通性があるから精神医学という学問も成り立つ。事件は微妙に異なる部分よりも、むしろ人の共通部分で何かが起きた結果だと思う。そうした理解できることから始めるのは取材の基本です。
ノンフィクションライターは犯罪を行った当事者と話はできないかわりに、そのまわりにいた人や当事者の残した日記、成績表だとかをあらいざらい探して集める。また当事者のまわりにいた人を訪ね歩き、さまざまな角度から検証した事実を積み重ね人物像を形成していく。精神科医の見解でわかったことや資料や取材で明らかになったこと、僕は両方を知ることができる。それらを重ねて何が見えるのか。そうやって影絵のようにあぶり出していく。
たいてい予断になるから情報は入れない。事件が起きるとテレビ、週刊誌、新聞とメディアが怒濤のように現場に押しかけ報道を始める。いちいちそれを読んで、取材しようと思うと何もできなくなる。僕の仕事は事実を誰よりも早く報道することでも概略を伝えることでもない。
ここ10年の事件は特にそうだけど、現場で聞かれる噂と事実の差がだんだん見分けがつかなくなっている。現場では「あの新聞はこう言っていた」といった話が飛び交っている。
神戸の事件で言えば、例えばある記者が少年を知る子に質問するとき「彼は猫30匹くらい殺したんだって?」といった質問をぶつける。それは確かめた事実ではなく、いわば話を引き出すための手です。「そんなことはないよ」と答えたとする。すると、「猫を30匹殺してはいないが、3匹くらい殺した」という記事になる。ところが聞かれた少年は「新聞記者が30匹殺していたと言っていた」と話し、それがまた広がっていく。何が事実なのか噂なのか。方便の質問が事実になったりして、見分けがつかなくなる。現場に入って2日目くらいからそういう混乱が起きる。だからあまり信用しない。

85年の日航機墜落事故のとき、520人が亡くなった。現場は文字通り修羅場で、そこにメディアだけで2000人くらい押しかけた。ひとりで行っても何ができるというわけじゃない。そこでも先陣争いが行われ、遺族にマイクを突きつけた。しゃべると思います?普通に考えても無理だとわかるでしょう。悲しいかと問われたらそれくらいには答えるだろうけどね。
法事の四十九日ってあるでしょう。いまどき四十九日になったからといって魂がこの地を本当に離れ、あの世に行くとは信じてはいないだろうけど、不思議なもので四十九日過ぎるとみんな話し出すんだ。
僕は現場で行われた四十九日の追悼式に行った。そしたら遺体を確認した医者や遺族がいっせいに話し始めた。ところが僕以外、メディアの人間は誰も来ていない。先陣争いしたわけでなかった僕がそれまで報道されなかった話を聞けた。
人間は器だから、僕の中に聞くべき何かがあるとは思っていない。その場に行けばその場に染まるし、その場の空気になる。僕は被害者にあまり話を聞くことはなく、加害者の家族や親戚を訪ねることが多い。マスコミはたいてい加害者側に「どうしてこんな事件を起こしたんですか」と問う。
彼らも話したいんですよ。でも警察やマスコミが押し寄せてくるから混乱してしまう。そうすると絶対話すもんかと思い、メディアに憎しみを抱く。でも警察に聞かれたり近所に何か言われたりする中で、加害者側であっても「本当は何があったんだろう」と知りたい。僕の役割はそのとき混乱している気持ちを整理するきっかけを与えること。だから大変なときは無理して話さなくていいと思う。
取材は一回で終わらないから、回数を重ねるうちに「お茶でもどうか」となるものです。お茶飲んでも僕は根ほり葉ほり聞くわけではない。すると、そのうち向こうから話し出す。「なんでマスコミの人間は夜中に来て、ライトをコウコウとつけて関係ない家を撮って行くんだろう」とポツリと言う。そういう話をしていくと彼らもだんだん自分の置かれている位置がわかってくるし、「こいつだったら話しても大丈夫か」となる。相手だって誰に向かって話していいのかわからなければ不安ですよ。
影響はしているかもしれないね。当時の日本は高度成長期でバブル時代よりも勢いがあって、毎年何かしら家の中の電化製品が増えていくといった、世の中が急膨張していく感じがあった。そんなとき起こったベトナム戦争は日本人にとっては海の向こうの戦争だった。ところが戦場を伝える報道を見て、自分は農村のベトナム人にナパーム弾を落とす側だと思った。アメリカは僕らにとって民主主義のお手本で、テレビで見るかぎり豊かで楽しそうで、日本はそういう生活を目指して急成長していた。そのアメリカがベトナムを攻撃している。独立運動にアメリカが介入していった経緯を知って、いくら高校生だった僕にも「これはとんでもない戦争だ」とわかった。
僕が早稲田大学に入った67年になると、相当戦闘が激しくなった。大学に入って反戦運動をやっていた。ただ僕にとっては集会やデモは政治運動だけでなく文化運動でもあった。政治的スローガンの達成だけが目的ではなく、「世界をどう見るか」だとか「文化とは何か」だとか、人が生きていく時に立ち止まって考えざるをえない根本的な問題との出会いでもあったんだな。
ばかばかしい話かもしれないけど、当時ミニスカートが流行ったんですね。反戦デモの隊列の女性の中でもミニスカートをはいている子はいた。銀座や新宿でデモすると、彼女たちのスカートのほうが歩道を歩いている女性のミニスカートよりももっと短かった。それだけ自分たちはラジカルだと思っていたね。ファッションにおいても過激でなかったら風俗にすぎないと思っていたから。単なる反戦運動ではなくて文化的態度をどう身につけるかが問題だった。

脱走兵が出てきたのは68年だったかな。突拍子もないことをしていると思わなかったのは、兵士の多くは僕と同年の19歳くらいだったせいもあった。僕は目白に暮らしていて、そこが一番最初に彼らを受け入れる場所だった。30から40人くらい逃亡を手伝ったが、実際に受け入れ国のスウェーデンまでいったのは16、7人。
彼らが逃げたのは当たり前だけど戦争が怖かったからですよ。でも不思議なことに、僕らのイメージでは「怖がるアメリカ人」というのはなかった。テレビドラマで見たアメリカは豊かで強いイメージ。それに奇妙な感じがしたのは、匿った彼らを移動させるのに運賃を僕らが払ったりするでしょう。アメリカ人が指導し、日本人が従うイメージがあったからそれも不思議に思えた。

今、情報化社会だとさかんに言われているけど、そこで必要とされている情報はほとんど役に立たないと思うよ。人間に必要なのは経験によって得られる知識であることは変わらない。
何かを調べようとしてネットや電子百科事典で検索する。それが情報化社会だとしたらそんなの意味ない。それよりも一日のうちで自分が友達や親から受けたことがらやそれによって得た感情の揺れのほうが大切だ。誰かのことが好きでドキドキしたとか。そういうことを大事にしてほしい。
目で見て触ることから得られるもの。形にできないものや、それがどういう意味を持つかもわからないもの。嫌な感じになったりドキドキしたりすることをじっと観察すること。むかついたことも「むかつく」の一言で終わらすのではなくいろんな言い方でわける。そうすると表現はぐっと広がる。その人をつくる知識になり、その人の器を広げることになると思います。

Shinobu Yoshioka
吉岡 忍
ノンフィクション作家。1948年、長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。大学時代に『べ平連ニュース』の編集に参加。87年、日航機墜落事故をテーマにした『墜落の夏』で第9回講談社ノンフィクション賞受賞。他に『日本人ごっこ』『鏡の国のクーデター』など。最新刊は『M/世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端』(文藝春秋社刊)。テレビ朝日「ニュースステーション」では、独特の手法を用いさまざまな現場に出かけている。
【吉岡忍さんの本】

『M 世界の、憂鬱な先端』
(文芸春秋)

『墜落の夏 日航123便事故全記録』(新潮文庫)