ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2015-11-29 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
高尾山の自然に触れにきた人たちが
、結局新宿の雑踏のような人ごみに目を白黒させることになってしまったこの連休。
みんなが右へ歩かば左へ歩こうと、2時間待ちのケーブルカーを避けて、
前から話に聞いて気になっていた、奥高尾の恩方へ行った。
なんでも、その奥高尾・恩方には、ネットにもほとんど載っていない、
電話番号さえ掲載されていないアヤシイ釣り場があるという。
噂によると「清流の堀で釣ったニジマスと、
訪ねたその時にオバサンとオジサンが持っている野菜を
テキトーに料理して出してくれる」とのこと。
(え……これ? これでもお店?)
到着したところは、シブ過ぎる農家だった。
シンプルなジャンパーとジーンズに身を包んだオジサンは言った。
「この釣り竿、オジサンが作ったんだよ」
見れば、本当にシンプルな細い竹の棒に、釣り糸と針をくっつけただけ。
(そーだよなー、そもそも、お店で買った釣り竿がなければ釣りができないと思ってしまっているところが、何かの勘違いであるわけだ、笑)
「さあ、これでこの清流で育ったニジマス、釣ってごらん。焼く、フライにする、唐揚げにする、刺身にする、の4種類ができるよ。あと、魚と一緒に食べるものはどうする?」
「何があるんですか?」
「いろんなものがあるんだけれど……でもメニューはないよ」
「え?」
「その季節、その時、その日によって、採れるものや仕込みをしてるものって違うから、うちはメニューがないんですよ」
「あははは、そうなんですね。じゃ、テキトーでいいですよ、テキトーで」
「じゃ、魚釣ってる間にこっちはおかず作っとくよー」
「はーい♡ (そうそう、このワクワク感、期待通り。にひひひ)」
そのアヤシイお店には、釣り場と一緒に30人くらいが入れそうな、ザ・農家的なお部屋があり、ストーブが2台、木造のお部屋を温めてくれていた。
テーブルの上に出てきたのは、裏山で採れたというナラタケ(野生のきのこ)。
オジサンとオバサンがこさえたジャガイモで作った粉ふきイモ。
そしておととい芋から作ったという手作りこんにゃく
「春になりゃあね、山の山菜。夏になれば、自家栽培の穫れたて野菜。
秋時分はやっぱりきのこだろ、で、冬はこんにゃくとか漬け物とかを出すんだよ」
街の喧噪から離れて(高尾駅からバスで20分)
田舎のじっさんちにやってきたような空間は、“無音”
。隣の川の水が流れる音だけが聞こえてくる。
そう、静寂って今の時代、逆に宝物なのよ。なーんて心地よいのだろう〜。
「なかなか自然は定数では作物を我々に与えてくれないですからね。
自然の中のベストを追うと、決まったメニューが作れないんですよ。
初めて来たお客さんには、不安がられちゃうんですけどね」
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その昔、金沢の郊外の食堂を仕事で訪ねた時があった。
ガイドブックの仕事は、おそらく皆様が想像するよりも、ずっと機械的。
他の仕事同様、単なる作業だったりするので、
開店時間、閉店時間、定番メニューを聞いて、フツーは話が終わる。
ところが。
その食堂のおっちゃんは、私が上の項目を機械的に訊いたらこう言った。
「開店時間?ワシが店に来た時だよなあ」
「おすすめ?それは……猟師が山に入って、いい熊肉を取ってきたらそれ。
鹿肉を取ってきたらそれ。定番なんて、言えねえ。その時によって違う」
「だからメニューに書いてあるもんは勧められねえんだよ、笑」
それを聞いて、オッサンの言わんとしている事が、
私が手がけている仕事よりも遥かに上を行っていると感じ、
自分の作業がちんまーりと小さく感じたのを覚えている。
そう、オッサンの言ってることがあまりにもその通り過ぎて、逆に何も言えなくなってしまったってわけ。
その日の夜、編集部に電話した。
「あのー、とんでもないお店が一軒出てきたんですけど」
「え?」
「メニューにあるもんは頼まない方がいいって、書いていいですかね?笑」
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定量&安定供給に慣れきってゴーマンに生きてたところ、
久しぶりに心地よいジャブでノックアウトされた気分。
自然に従うならきっと「メニューはねえ!」っつうか「できねえ!」
。
それ、忘れてたわ。
いつもは魚を食べ散らかしてた子どもが、
今日は初めて、一つ一つ骨を丁寧にとって、身をまったく残さずに食べた。
「オサカナさん、ありがと」と。
もっと生きたかったかもしれないオサカナの気持ちを、
少しは感じてくれたのかな。
ステキな秋の一日。
賑やか過ぎる高尾山も悪くはないけれど、やっぱりじっと、山の空気に浸りたければこっちの方が断然お勧め。
その、隠れ家のような、ニジマスを釣らせてくれるお店は
“八庵”っていいます。高尾へ来たら、ぜひ行ってみてね。