ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2013-07-26 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
夜の23時。急に身辺が騒がしくなってきた。
救急診察時、12番の部屋にいた内科の先生が現れたかと思えば、感染症科を名乗る先生がカーテンをめくっては現れ、「今、泌尿器科の先生にも連絡したところです」と内科の先生に耳打ちしている。
(何かそんなにまずいのかな?)
それでもこっちは点滴のおかげでかなり苦痛が和らいでいたので、ヒーフーしながらも「やっと正気になりました(ニヤーッ)」と面倒をみてくれる看護士さんへのおめでたいアプローチを繰り返していた。
感染症科の先生が現れる。
「これから入院になりますが、うちの科で責任をもって引き取りますので安心してください。その前にちょっとやることがあります。血液検査の結果から血中になにがしかの菌がいることが分かりました。それをそのまま放っておくと大事に至ることがあるので、ちょっとこれからいろいろ緊急で処置します」
そして眼鏡の奥の瞳が優しそうな先生は、横たわるあたしにもよく見えるように、紙に書いて説明してくれた。
「ちょうど8mm大の結石が尿管を塞いでいるため、尿がまったく排出されず、両方の腎臓、特に左の腎臓が腫れた状態になっています。尿が排出されないということは、よどんだ水が溜まっているのと一緒ですから、そこに菌が繁殖します。腎臓は体中に血液を濾過して送っている臓器ですから、そこに菌があるということは、全身に毒がばらまかれていることになります。それを阻止するために、まず、菌の繁殖した尿を体外に出さねばなりません。そのために、いったん、腎臓から膀胱に管を入れて、尿が出る道を確保します。成功率は80%なのですが、よろしいですか? よければここにサインをしてくださいね」
よろしいもよろしくないも、あたしにはもはやなんの選択肢もなかった。
「あ、あの……この成功率80%ってのは?」
「諸々の理由でやってみたけれどそれができないという場合があります。その時には次の手段、背中から腎臓に向かって穴をあけ、そこから直接尿を取り出すという作業をします」
「いずれにしても、結石の治療の前にまず、全身感染症を止めることが先ですから、抗生剤を打つにしても何にしても、まずは腎臓に溜まった毒を取り出すことが先決になります」
「病名ってなんなんですか?」
「結石性腎盂腎炎です」
こりゃあ大変なことになった。
腎臓に管を入れるってのも想像しがたいけれど、背中に尿を背負って歩く日々ってのももっと想像しがたい。
仮にもあたしはカフェの運営者。
「ねえ一緒にランチ食べに行こうよ!」と友達にお店に誘われたりして、でもその誘った人の背中の袋の中に常時尿がチョロチョロ流れていたら、なんか食欲は盛り上がらないよなあ……。
いやあここはそんなくだらないこと、しのごの考えているヒマはないのだ。
とにかく言われた通りサインをして、お医者さんの手のひらの上で転がされていればなんとかなるんだから。
外から緊急で来てくださった泌尿器科の先生が現れた。
「あのう……」と遠慮がちに聞いた。
「あたしもう、痛いのだけはイヤなんですけれど、尿管から管入れるってのは痛くはないんですか?」
するとこれまでマジメな顔で応対してくれていた先生の顔が急に緩んだ。
「まったく痛くないってことはないと思いますけれど、多少、かな(笑)」
痛いんだったらそんなことしたくないっ!ってここで拒否をして紙にサインをしないことに、今となってはなんの意味があるんだろう。
もうこうなったら、代わる代わる現れる白衣のお医者さんたちを全知全能の神と信じて、身を預け給へ〜〜!
幸いにも、40度越えの熱は、あたしに書類の漢字を読ませなかった。
言われた場所にただ名前を書く。
これで戦いの準備は整った。
ストレッチャーは急回転をし、手術室に向かっていった。
愛用の眼鏡はかけていたのかかけていなかったのか。
それまでの断片的な記憶はあるのだけれど、全体を通しての記憶はほぼない。
平常の状態ならいろいろ気にすることもあるのだけれど、なにしろ熱は40度、腹部の痛さもひどくてもうどこがどう痛いのかさえわからなくなっているので、何をどうされようが、「構っちゃいられない!」というのが本音だった。
「これから1時間くらい付き合ってくださいね、私、チンポウと申します」
手術を担当してくれるメインの先生は、背丈もそれほどあるわけでもなく、アンパンマンを縦80%にしたような、安心感を感じさせてくれる先生だった。
が、しかし。
ただでさえシモジモの病気に辟易しているところに、これまた緊急で外から来て下さった泌尿器科の専門医の先生がよりによって、チンポウだあ???笑
神様は私になんという冗談を畳み掛けてくるのでしょう。
「さ、始めますよ、これが成功しちゃえばラクになりますからね」
そうしてチンポウ先生は画面を見ながら、内視鏡をぐいぐいっと尿管に入れた。
うぎゃーっっっ。目の前に火花が散った。
「チンポウ・センセーッッッッ!!!痛いですっ!!」
大声でそう叫びたかった。けどあたしの最後のプライドが、あえてこの場で先生の奇妙な名前を呼ぶことをとどまらせた。
「さ、もうちょっと行きますよ、せえのっ!」
うああああああああああ!!!!
失神できたらどれだけ楽だろうと思わせるほどの痛み。
(出産と匹敵する痛いじゃないのよーっ!!)
「(チンポウ)センセーッッ!!!(チンポウ)センセーッッ!!」
もういやだ、ほんとうにイヤだ。こんなに痛いのに、どうして気絶できないの?
優しいチンポウ先生はあたしの叫びを真正面から受け止めてこう謝った。
「ごめんねえ、痛いよねえ。本当にごめんね。もうちょっとで終わるからね」
頭の中には笑い泣きの涙が四方八方に飛び散っている絵が見えるのだけれど、あまりにも痛すぎて涙が出るもっと手前の問題だった。
患者が痛さに転げ回るのを予知していたかのように、3人の助手の先生が優しく肩に手をおいてくれる。
「(チンポウ)センセーッッ、イタイですーっ!」
ちょうど石がぴたっと詰まった場所を管が通過する時、お腹の中に焼ごてをあてられてぐりぐりされているかのような痛みだった。
まさに、この処置、絶叫系。
チンポウ先生は事の運ばせ方がとっても上手だった。
「もっと難しい人もたくさんいるんだけど、今回はそうでもないよー」
「本当に痛いよね、でもあともうちょっとで終わるよー」
「ほうら、終わった終わった(実際は終わってない)」
地獄の三丁目の拷問がやっと終わった時、感染症科の先生が体に優しく手を置いてくれた。あったかな手だった。
たったそれだけのことなのに、涙が出た。
他人なのに、こうして見守ってくれている人の手。
そしてその温かさ。
「もう痛いのはないですよね?」
何度も確認すると、チンポウ先生は正義のために戦うアンパンマンのような表情で、「大変だったね、もうあとは回復に向かうだけだよ」と言った。
「(チンポウ)先生、あの……わざわざこんな夜中に来て下さったんですよね?」「そうですよ」
なんというニッポンの医療制度!
休日だろうが夜だろうが夜中だろうが、急を要する患者がそこにいるとあらば、すぐに駆けつけてくれるこの体制! 感謝以外になにもなかった。
手術室を出る時に、先生の名札をもう一度確認した。
チンポウ? え、え、え? いや……シンポじゃん!!!
どうやら高熱で耳の聴こえもおかしくなり、シンポ先生がチンポウに聞こえていたらしい。
まっ、でもチンポウ先生!と叫ばなかっただけでもよかった、か。笑
本当に本当にありがとう、先生!!
1mmも動けない体は看護士さんに預けられ、病室に向かった。
時間は0時をまわっていた。
(次回に続く)