ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2012-01-27 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
「ふあーっ、5度6分も出ちまったァー、風邪だあ!」
おちんぴー(旦那さんのあだ名)は、お弁当箱ほどもある大きな保冷剤にタオルを巻き、それを額にあててソファの上にひっくり返っていた。
「は? 5度6分?」
「うん」
普段からマジメとフマジメが絶妙なバランスで交じり合い、どこまでが冗談なんだかわからない気質。あまりにも真剣に言っているので、5度6分って高熱だっけ?と意味不明な理解に自分を納得させながら、まじまじと顔を見た。
ひゃーっはっはっはっは!
あまりにも保冷剤が大きくて重くて、少々のクリップなんぞではタオルを留めることができなかったのか、普段スーツの腰に巻くベルトを、お荷物くっつけた額の上からぐるりと巻いていた。
あまりにも長過ぎて、ベルトが頬のあたりにまでぶら下がっている、その出で立ちがあまりにも可笑しかった。
ひゃっはっはっは。これはまるで、手ぬぐい頭に巻いた、だらしないタコだ!
笑い転げると、おちんぴーは何がそんなに面白いのかわからないといった表情で、胸を張って言った。
「頭いいと思っただろ、このベルトの使い方」
本人はいたって真面目。
どっかの宗教団体が開発したヘッドギアにも見えるどでかい保冷剤をベルトで支えたまま、熱があるらしい、自称5度6分のおちんぴーは空を見つめていた。
あたしもおちんぴーも、個人事業主なので、打ち合わせや取材でもない限り、平日はどーでもいい会話をしながら同じ空間で息を吸っていることになる。
TVの画面にドドーンと登場した野田総理が、所信表明演説で唐突に言った。
「私は……“力こぶ”を入れて問題解決にあたっていきたいと思います!」
そこで二人で顔を見合わせた。
あたしもおちんぴーも、仕事で文字を扱っている。
“力を入れて”という文言は日常的に使われるけれど、“力こぶを入れて”という表現では、モリモリの筋肉で固まった“力こぶ”という物体が、ポケットかカバンの中に入れられている、そんな絵がぽわ〜んと浮かんでしまったのだ。
「ね……今の、ヘンだよね?」
おちんぴーが、腕を曲げ伸ばしして、“力こぶ”を作ってみせる。
「うーん、確かに“力こぶ”は作るもんであって、入れるもんじゃないよなあ」
「でもさ、力こぶを入れるって言ったんだから、野田さんのカバンとか机の中には、気合いを入れる時にいつも、筋がタワシみたいに固まった“力こぶ”が、本当に入ってんじゃないの? 腕から取り外しできるタイプの」
長い沈黙が続き、二人で考え込んでしまった。
「難しい問題だねえ……」
「そうだな、人生を賭けて解かなければならない難問にぶつかってしまったな」
「あ!わかった!」
「何?」
「こぶとりじいさんって、野田さんのことだったんだよ、きっと!」
すると、おちんぴーも『閃いたぞ!』という顔をして、大きな声で言った。
「そういうことだったらさ、保育園の先生に聞いてみなよ!」
いったいあたしは、この大切な一日というものを、どーでもいい会話のためにこんなにも労を重ねて、エコ全盛の時代に真っ向から歯向かう生き方をしているのではないかと、非常に思い悩む(笑)。
思い悩んで、たまにはこんなバカバカしい会話から脱しようと外に散歩に出る。
(そうそう、今日は買い物も重いものはおちんぴーに頼んだことだし、あたしはラクしてお散歩、おさんぽ♪)
そうしてブラブラしていると、向こうからヘンな人が歩いてくる。
5kgのお米を片手に抱えて、「ハッ!ハッ!」と荒い息を吐きながら歩く人が。
10歩歩くごとに右手から左手に持ち替え、それと同時に手を上下運動させながら、「ハッ!ハッ!」
(……な、なんて人……)
うつむき加減で通り過ぎようとしたら……軽く声をかけられた。
「おやっ。偶然ですね、この町に何か御用でも?」
うわわわわわ、ここにもまた、おちんぴー。
「米ダンベルで運動運動、歩きながらダンベル運動、お米くーん、ありがとよ」
そしてまた、わはははと豪快に笑いながら宣言した。
「ワタシは合理主義者。例え歩きながらでも、お米で腕の筋肉鍛えマス!」
そして例の一言。
「オレってなあんて、頭いいんだ!」
子ども達はアンパンマンを見たい。
そしておちんぴーは、月末までの原稿を書かねばならない。
あたしだったら、子ども達を早く寝かせてパソコンに向かうところ。
おちんぴーはまたもや独特の解決方法をもって、それにあたっていた。
3歳と1歳とオジサン3人で、よってたかって小さなパソコンに群がっている。……と、さっきまで大騒ぎをしていた子ども達が静かになってじっとしていた。
そしておちんぴーの右腿には上の子、左腿には下の子。
二人に乗っかられたまま、おちんぴーはひたすらキーボードを叩き続けている。
あっはっはっはっは!!
パソコン画面を覗き込んで、ひっくり返った。
液晶画面の左半分では、DVDのアンパンマンとその仲間たちが激しく動き回り、画面の右半分には、難しい漢字文字がひたすら打ち込まれている。
その原稿の内容が、これまた『ランチェスター戦略』。
(液晶画面の半分をアンパンマンが独占している状態で、半分画面でよくもこんなビジネス書が書けるよなあ……。にしても、このギャップたるや、いったいどういう脳になっているのかしら?)
おちんぴーはこれを、画面分割大作戦と呼び、いたって喜んでやっている。
難解な数式と理論を原稿に並べながら、下の子のおならをきっかけにこんな会話を始めた。
「君たち、英語でおならをなんと言うか、知ってるか?」
「fartと言うんだ、覚えておきなさい。じゃ、ドイツ語では?」
「furzだ。フランス語ではpet。じゃ、イタリア語では?」
聞いているうちに、適当に並べているのでは?と猜疑をかけたくなってきた。
「適当に作ってるんでしょ」
「イェーイ、じゃ、本当かどうかあててみなー。イタリア語ではscorreggia。北京語ではピー。広東語ではペイ。韓国語ではパンギ。タイ語ではトッド、ハンガリー語ではフィング、ポルトガル語ではホルティ……」
(こんなにもスラスラ、英語ができないおちんぴーが、おならに関して11カ国もの言葉を覚えているなんて、インチキだあ〜)
「な〜にを言っているの、きっと全部、テキトーでしょう?笑」
するとそこでやっと、ランチェスター戦略の原稿を書く手を止めておちんぴーは言った。子ども二人は、アンパンマンに夢中。
「イェーイ、全部本当だもんねー、英語はできないけど、おならに関してはよーく知っているんだもんねー」
どこまでも疑わしく、奇々怪々だったため、思わず調べてしまった。
……確かに本当だった。そこで……またハッとした。
あー、いけない! また余計なエネルギーを使ってしまったあ!!
貴重な時間を、こんな使い方をしていいのだろうか……。
大きな悩みを抱えながら、あたしの一日は今日も暮れていった(笑)。
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悠久の大地で行われていることに、無駄なんぞ一つもない。誰かにそう告げて欲しいと思う我なり(笑)。@タンザニア・セレンゲティの夕暮れ