ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2011-12-23 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
ジンセイっていうのは……。
自分の周りの何人かが少しでもシアワセに生きられるように貢献したい。
そう思った時から劇的に忙しくなるような気がする。
私の場合は……。もともとの実家の家族2人と、カフェで毎日一生懸命切り盛りしてくれているスタッフ3人と、新しく加わった自分の家族3人、合わせて8人がとにかく笑っていられるよう、そこだけを目的に考えたら、今やらなくちゃいけないことが、一人でぶらぶらしていた時の数十倍増えた。
結果、ジンセイのスピードが八倍速くらいになって、マッハで流れていく。
それと共に、マンガのような珍事が起きる。
いろんなことを考えながら、コーヒーを飲もうとしていた時。
カップに手を伸ばして『ああ、いい香りだナア〜!』と思っていた矢先。
「わっ、アッツ〜〜〜〜〜〜イ!!!」
あまりにもせっかち過ぎて、カップが唇に到着する手前で傾けてしまった。
頭の中にはやるべきこと、やりたいことが満杯状態。
それをひたすらこなそうと、駅の構内をスタスタ、早歩きで進んでいたら……。
ビリッ、ビリリリッ。
(パ、パンツが破けたあ……)
いやあ、あたしとしては、なるべく少ない歩数(低エネルギーで)目的地まで行こうとして、でもそれが逆に裏目に出た。笑
たくさんのことを精一杯やりたいから、近道を行こうとしてベストを尽くすのに、コーヒーをたっぷり含んだ服と、破けたパンツに翻弄されて、こりゃ完全に急がば回れ。
(……なんだかナア……。笑)
昔からよく「バイタリティーありますねえ」と言われることが多かった。
けれど、自分にしてみれば、バイタリティーがあるんじゃなくて、実は生きてると、頭の中にやりたいこと、やらなくちゃいけないことがバンバン、勝手にインプットされてくるので、それをひたすらこなそうとすると=周囲からはバイタリティーがあるように見える、らしかった。笑。
だから昔付き合っていた人と、こんな大喧嘩をしたこともあった。
「オレは由紀ちゃんにずっと振り回され続けてきた。疲れたよ」
その言葉を聞いて、ぷちんと頭の中でスイッチが入った。
「……でもねえ……あなたは私じゃない。だからとりあえず私から離れれば、あたしに振り回されることもないわけで」
「は……?」
「つまり。私は私をやめることができない」
「……?」
「……私に振り回されて困っているのは、ほかでもない、私自身なのよーっ!」
「……(ぽかーん)笑」
「笑い事じゃないんだよー。私は私をやっている限り、一生自分に振り回される。体も分離できないから、休む暇もないんだよー、ほんと大変なんだよ」
「ふっ、ふわっ、はっはっは」
「だからね、私が私に振り回されて疲れるって言うのはわかるけど、体が違うあなたが私に振り回されて疲れるって言うのは、まだまだ甘いと思うんだよね」
↑わははは、なんのこっちゃ。笑。
けれど当時はかなり本気でそれを言っていた。
独り身の状態でそんなんだったから、8人の責任を負った今となっては、やることが満載。
それも最初はこなすのが大変でも、人は日々進化し続けるとひたすら信じてヤルことにより、なんとなんと体と脳の構造が劇的に変化してきた。
例えば……。
◇ 右手と左手で違うことができるようになった。
→右手で携帯メールを打ちながら、左手で仕事の資料のページをめくる。
→右手でハンバーグをこねながら、左手でipadで料理のレシピを調べる。
→右手で保育園のノートを書きながら、左手で新聞をめくる、など。
◇ 脳内をいくつかのパーテーションに区切って、それぞれに違う課題を入れておき、それらを同時進行で考えることができるようになった。
(前は、一つのことは一つ、1×1でしか考えられなかったのに、今は4つか5つくらいの小部屋をガガッと同時に動かして考えられるようになった)
→頭の後ろで今晩のおかずのことを考え、右横でカフェの運営システムについて考え、真ん中で制作進行中の小冊子の構成を考え、左横で明日の保育園の準備について考え、前で数ヶ月先の自分の予定について考える、という感じ。笑
仕事と子育てとの両立=時間が細切れになる、とみんなが悩むところだけれど。
実はその中に相乗効果が生まれていることに気付いたのは、つい最近。
夕飯のおかずの構成と、創作するチラシの平面のデザイン構成と、小冊子の中に書く文章の起承転結の作り方は結構似ていたりする。
そして、保存も考えたおかずの段取りと、カフェで行うイベント企画の段取りと、冊子発行のための段取りがこれまた、似ていたりする。
(日々勉強、日々精進。少しずつだけど、ヒトは進化するもんなんだナ)
夕方19時からは、自分のことはさっぱり忘れて、家族奉仕の時間がやってくる。
おちんぴー(旦那さんのあだ名)が誰かと電話で喋っているところに、ぽにょ(長女のあだ名)が割り込んでいって大騒ぎ。
「パパー、誰と喋ってるの?」
「え? ああ……オシリさん(?)だよ」
「えーっ、何それ、オシリさん?」
「そう、だから、 “もしもし”の代わりに“ぷりぷり”って言うんだよ」
「そうなんだ。じゃ、オシリさんは高いところが好き?」
「うん、好きだよ。けど、ちょっと怖いって」
「ならムヒつければいいじゃない?(←ぽにょはムヒが万能だと思っている)」
「そうだね。他にも、オシリさんは、花火も好きなんだってよ」
「そうなんだー。アキナ(ぽにょ)も、オシリさんと一緒にヤケドしたかったなー(←明らかにヤケドの意味を誤解している)」
19時から家の中に入り乱れる会話と真剣に向き合っていると、脳がそれこそ分裂しそうになるけれど、脳内をパーテーションに区切ってマックスまで働かせて、その上こんな可笑しな会話を吸収しても、まだ壊れていない。笑
(使われている脳は数%。ならせめて、10%くらいは使えるようにしよう)
【明日は、今日よりも少し、できることが増えている】
そんな言葉を信条に、2012年、またちょっぴり期待をしてみようかな。