ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2010-07-23 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
ターンテーブルがぐるぐる回る。
(……おかしいなあ……)
全員分のスーツケースはすべて揃っているのに、ぽにょてぃん(娘のあだ名)のベビーカーが出てこない。
場所は、とってもルーマニア・ブカレストの国際空港。
一国の首都の空港だというのに、思いの外、ちっちゃい。
そのうち、ぴたっと止まってしまったターンテーブルを前に、係の青年が「もうこれで荷物は終わりだよー」と無愛想に言った。
ひぇーっっ!!
早くも、ロストラゲージか。
15年前の出来事を思い出した。
およそ半年にも及ぶ “ユーラシア大陸横断バス”の企画をした時、やっぱりアエロフロート航空を使った。
あの時も確か、旅行に参加してくれた人一人の荷物が届かなかった。
『半年の旅が始まる前に、お金以外の荷物、一切届かず』
という状況にもその人はめげず(笑)、最初の出発地で簡単な着替えと、趣味の画材道具だけを購入し、旅を始めたなんてことがあったっけ。
日本に帰国して一ヶ月(つまり、紛失して7ヶ月)が経った時、埃まみれになって世界中をぐるぐる回り続けた荷物が自宅に届いた時には、思わずじーんときたという笑い話を、確か後日談で聞いた。
(まあ、あれに比べれば、今回の紛失劇はたいしたことはないけれど……)
それにしても……ぽにょてぃんはただ今11kg。
ベビーカーがこの先ないとなると……。
『暴れ盛りの1歳半児を、身重の体で担ぎ続けるルーマニアの旅』
=胎児と併せて計21kg増量編
=アエロフロート航空提供の筋肉増強の旅
となってしまう……(とほほほ)。
「お気の毒に……。どうもモスクワの空港で飛行機に積み忘れたようで、三日後の次の便で届きます。そうしたら、そちらの滞在先を順次荷物が追いかけるよう、手配しておきますから」
優しく言ってくれた、英語のたどたどしい係官にとりあえず一礼をし、ベビーカーというシロモノはそもそもこの世に存在していなかったことにした。
(やっぱりやってくれたね、アエロフロート)
いい時期を選べばヨーロッパにたった8万円台で行ける航空会社は、さすがのおまけ付き。
「あなたはこの旅で、足腰が強くなるぞお!!」
ぽにょてぃんに言うと、ぽにょてぃんは「?」という顔でにっこり笑った。
最後にルーマニアへ来たのはEUに加盟する前だから、もう数年は経っている。
街を走る車のレベルは格段にアップし、首都郊外にはチェーン系の新しい商業施設がばんばん建っていた。
そんな中で、今回かなり楽しみにしてたのが、友達との再会。
学生時代に縁あって出会い、“ユーラシア大陸横断バス”や“アフリカ大陸縦断トラック”などを一緒にやってきた仕事仲間(?)とも言えるオーストリア人のステファンがルーマニアの田舎に突如移住してきてから、約7年。
メールで、そこがどんな場所なのか?を聞いた時に返ってきた答えを聞いて、あたしはのけぞった。
「ボクのいる村は……雑貨店まで買い物に行くのに、馬車で“片道”3時間。村人は全部で15人で、平均年齢は80歳。水道はもともと通っていない村なので、新しく建てたボクの家が初めて、水道を持っている家になっちゃった(笑)」
それが、EU加盟の5年くらい前の村の状況だったのだから、あたしの頭の中では村は完全におとぎ話のようなところになっていた。
「それはまるで、ルーマニア版アーミッシュ村だねえ……」
ステファンはもともと若いうちから、いずれ自分は田舎暮らしがしたいと宣言していた。
だからといって、そんな究極の場所に引っ込むこともないだろうとは思ったのだけれど、後に一緒になった日本人の奥さんもそういう暮らしを望んでいたこともあったと見えて、そういう辺境の村で自分達の手でゼロから家を作るという作業をすることは、彼らにとってさほど苦ではなかったらしい。
「仕事もせずに田舎暮らしもいいけどさ、現金収入はどうするの?」
「ニッポンに諺であるだろう?桃栗三年、柿八年。西ヨーロッパでは栗がとっても高価なので、ここルーマニアで栗を栽培して西ヨーロッパに売りにいったらどうかとも考えているんだ。そう、そうだよ!由紀、頼むから、スーツケースに一杯の栗、日本から運んでもらえないか? 代わりにこっちでの滞在費はすべてボクがなんとかするからさ!」
「……」
いったんは拒絶したものの、長年お世話になっていたこともあって断りきれなくなり、そのステファンの奇妙な要望を叶えるためにその村を訪ねたのが今から6年ほど前のこと。
「お願いだから、貴重品と歯ブラシと数枚の着替え以外は、スーツケースを全て栗で一杯にしてこちらへ持ってきてくれ(笑)」
本当にそんなことができるのか!?
(いやいや、あんたはあんまり深く考えずにやってみるところがオモシロイって、よくみんな言ってくれるじゃないのよ)
ならばと、半信半疑なまま、レッツトライ!
するとやっぱり、成田のエックス線検査のところでひっかかった。
「お客さん、あの、スーツケース中が小さな丸いブツブツで一杯なんですけど、これはなんですか?」
あの時、しどろもどろになりながら、汗だくでこう答えた記憶がある。
「あ、いや、これからヨーロッパの友達のところに行くんですけど、彼らが一族郎党で、大の栗フェチでして(笑)。世界中で一番好きなものが日本の栗ということで、今回はお土産として、鞄を栗で一杯にしてきたという訳です」
「……。どうぞ、行ってください」
あの時、もし運搬を許可されなかったら、でっかいスーツケースは、ポーチくらいの大きさにおさまってしまう私物だけで、すっからかんになっていたはず。
ふたを開ければ、およそ97%の荷物が“栗”だったのだから、私は偉かった(笑)。
今回の再訪を機に、そのことを思い出し、事前に電話で尋ねてみた。
「あの時、頑張って運んだ栗はすくすく育ってる?諺通りいっていれば、あれから6年経つから、実を結んでいるはずだよねー?」
するとステファンはお茶を濁した。
「ン?ああ……。まあとにかく、村に遊びに来いやー!」
(東欧もどんどん時代の波の洗礼を受けていく中で、あの村の今や、いかに?)
「で、相変わらず、雑貨店までは、馬車で片道3時間なの?」
「そうだよー。変わってないよ」
電話の向こうの声は、いたずらっぽく笑った。
馬車でぱっぱかぱっぱか、お出かけする日常。
同じ時を生きているのに、自分たちを取り巻く環境はあまりにも違っていた。
(次回に続く)