ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2009-05-22 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
「いやあ実は僕、インドのIT関連会社で働いていたんですよ。今、日本の会社に移ったんですけど、なかなかどうも、感覚が合わなくて大変です」
たまたま、カフェで友達の友人たちとお茶をしていたところ、Tくんがそんなことを言い出した。
「えっ? じゃあインドで働いていたの?」
「はい、そうです」
「インド人に混じって?」
「そうなんですよ。だから今日本の会社に移ってから馴染めなくて大変です」
「例えば、どういうところが?」
「そうですね、インド人はミーティングなどあると、みんな自分が喋りまくって、誰も人の話を聞かない。けど日本は逆じゃないですか。会議などで自分の意見を言うと、逆に浮くっていう……」
「他には?」
「例えば、本当に彼らはどんだけ書類がガタガタでも、書類の内容が伝わればいいから、紙のこととか、書いてあるフォントとかは、奴らにとってはまったくどうでもいいんですよ。ひどいもんですよ、彼らの書類は。一枚の紙で、数種類のバラバラフォントで文字が書かれているんですから。そこも日本は逆。形式を重んじる日本では、あんな書類、200%の可能性で上司から叱られるでしょうね」
「今、日本のIT会社での居心地はどうですか?」
「僕は合わないなあ。インドの会社みたいに、大雑把だけど、肝心のところは逃していないというスタンスの方が性に合ってますから、細かなところが気になってしまって、肝心のところが『?』となる感じは僕には窮屈です」
あたしもいつも、同じことを感じていた。
国内経験には実はかなり乏しいのだけれど、その分海外経験はある方だから、よく周りの人に訊かれる。
「外から見ると、日本ってどう見えるの?」
その度に、あたしは説明する。
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そうだなー。例えばだけれど。
真ん中に広場があって、周りに円陣を組んで各人の家が建ったニッポン村があるとするでしょ?で、その広場の真ん中には、一本の大木が立っていました。けれど、ある日嵐がやってきて、それが倒れました。村人たちはそれを見つけて大騒ぎ。まず村有数の権力者がスコップを手にして、家を飛び出してきました。で、倒れてしまった大木をなんとかしようと、木の周りを走り始めました。するとそれを窓の中から覗いていた、残りの家の人たちもみな、権力者が走っているのを見て、それぞれ、スコップを持って飛び出してきました。
まるで“ちびくろさんぼ”の話のように、虎がぐるぐるまわるみたいに、村人たちは全員が声を揃え、「なんとかしなければー!!」と叫びながら、権力者を先頭に全員でぐるぐると木の周りをまわりながら走り始めました。
ぐるぐる。ぐるぐる。話題は最初は「倒れた木をなんとかしなければー!!」だったのですが、そのうちだんだんと話題は別の方にずれていき、誰かが隣の人に話題をふりました。「ところで。おたくさんが持っているそのスコップは、どこのものですか?」。「うちのはねえ、○○××ですよ」。するとみんながその話題で盛り上がり始めました。「お宅のそのスコップの柄は何でできているんですか?」「その金属製の部分の加工はどうなっているんですか?」。
話題の中心は今や、“スコップ”。それでもみんな大木の周りを走るのはまったく止めることなく、息を切らせたまま、スコップの話題で大騒ぎ。
ぐるぐる、ぐるぐる。そしてスコップの微に入り細に入りの突っ込み合戦をやっていたら、気付いたら夕陽が沈む時間になっていました。
するとそこで、村を率いている権力者が、急に走るのを止めて言いました。
「おお、そろそろ日も沈むねえ。いやあ、我々は本当に今日一日、よく働いた!」
それを合図に、他の人もみな一斉に、走るのを止めました。
「本当に、我々はよく働いた!お疲れさまー!!」
そしてみんな、スコップの泥を落とし、家に帰る準備に入っていきました。
その時。
その権力者の三人後ろを走っていたAさんはふと思ってしまいました。
(なんだこれ?そもそも今日の目的は、あの広場に倒れた大木を引っ張って立て直すことにあったんじゃないのか?)
でもみんなが実に嬉しそうに家路につこうとしているのを見て、それを言うのはしばらくためらわれました。
(けど……本当に、まったく“よく働いちゃいない”よなあ。だって今だに肝心の大木は倒れたままなのに……)
やっぱり思ったことは言わなくちゃと感じたAさんは、帰りがてら、ついポロッと漏らしてしまいました。
「おい、これ、おかしくねえか? だって、本来ならばこの倒れた木を直すためにみんな家から出てきたのに、スコップの話ばっかりになって、肝心の目的がなんにも果たせてないじゃないか?」
その途端。
いきなり村人みんなが、Aさんをギロリと睨みました。
その目は『お、おまえーっ、みんなが気付いていてもあえて言わない、本当のことを言ったなー!!』と暗にメッセージが込められていました。
突然Aさんは他の村人たちから、村八分を受けることになりました。
Aさんは事の顛末にちんぷんかんぷん。
(大騒ぎをした割には話題がずれにずれ、持っている器具のことになり、肝心要のことは何も解決してない、それを指摘しただけなのに、なんで、こんな目に遭わなくちゃいけないんだあ??)
Aさんはそれを機に、ニッポン村では決して、核心を突くことをストレートに言ってはいけないんだということを知りました。
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カメラの目的は、素敵な写真を取ること。
書類の目的は、その内容を関わっている人全員で共通認識を持つこと。
旅の目的は、日常生活で固くなった心をオープンにしていろいろ感じること。
のはずなんだけれど、これがなぜかいつもズレる。
カメラ本体の細かなスペックの方が大事になる。
書類の書き出し、時候の挨拶、段落がきちんと揃っているかが大事になる。
旅に持っていくツール選びに相当のエネルギーを費やして、それらを羅列する。
(うーん、フシギ、だあ……)
(が、しかし……。こうしてあおられて、ついまた、余計なものを買ってしまったり、要らない情報に翻弄されたりするんだよなあ……)
そんな時にいつも思い出す。
かのオードリーヘプバーンは、息子さんにいつも「マイナスの美学で生きなさい、それが美しさよ」と教えていたらしい。
自分にいろいろくっついてくるものの中で、どれが本当に必要かを見極め、最低限のものだけを身に纏うことこそが、本当の美しさだ、と。
そうしてあたしは自分の家の中を見回した。
十年以上前に比べたら、かなりシンプルな暮らしをできるようになってきた。
けど、まだまだ削れるぞー!!
理想は“トランク一つに収まる生活”。
本当に自分に必要だと思われるものが、トランク一つにおさまる暮らし。
「不必要なモノは最初からナイ方が、いろいろ翻弄されなくて済むのよね」
まだまだ改善の余地はある。
とりあえず今のあたしにとって一番の課題は……。
どんな広告を見ても、いちいちココロ動かさない、手足取られ、脳みそ取られて踊らされる自分からまず卒業することかもしれないな(笑)。
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西欧で「ニッポンの印象は?」と聞くとたいてい、「よく理解できないミステリーカントリー」という答えが返ってくるんだよなあ……。