ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2008-01-04 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
「あけまして、おめでとうございます」
あたしはこの季節がなんとなく好き。
いつもは忙しないニッポンが、国中なんとなく時間の流れが緩やかになったようになり、街ゆく人々の顔にもどことなく希望が感じられる。
すると、それが渡り鳥たちにも伝わっているのか、ポカーンとした顔で木の枝に止まり、葉っぱが全て落ちた木にくっついた赤い実などをチュンチュン言いながら飲み込んでいるのを見ると、こんな平和な国に生まれてシアワセだなあと実感してみたり。
空は抜けるような青空。
雲たちは空というキャンバスに身をよじらせるようにして体を横たえ、冷たい空気が頬にぴりりとした緊張感を与える。
新年は、なんとなく体に新しい肌をまとったような気分。
いつもだったら冬、布団になるべく長くもぐっていようと思うのに、キンキンに顔を出す太陽に起こされる。
夜ともなれば、空気の澄み切った空にオリオン座。
まん中に置かれた三つの点を見ながら、ふと思う。
(月日はどんどん変わっていき、毎年あたしの身の周りに起こっている出来事も変化し続けているのに、目の前に見えるオリオン座の位置は変わってないなあ……)
あたしの時間感覚をまるで越えた宇宙に畏敬の念を抱く瞬間、気持ちが清流のようになる。
(今から10年前って何をしていたっけ……)
そうだった、アフリカを縦断していた。
(じゃ、あの時から少しは変わったと思えることは……?)
根拠のない希望と信頼を持つのが、うまくなったことかな。
ヨノナカにはきっと、あたしの何十倍も何千倍も波瀾万丈な時間を送っている人たちがいると思うのだけれど、あたしも、昔に比べれば随分といろんな物事に対応できるようになったような。
少しは進歩しているのかな。していればいいな。
昔、90歳を越えたおじいちゃんに聞いてみたことがある。
「長く生きていれば生きているほど、いろんなことのコツとかがわかってきて、要領よく楽に生きられるようになるのかなあ……」
「そんなことないよ。10歳には10歳の宿題があるし、20歳には20歳の、30歳には30歳の、40歳になっても50歳になっても、その年齢なりの宿題はいっぱい出てくるもんだよ」
あの時、あたしはふーっとため息をついた。
(そっかあ……いくつになってもそれが続くんだったら、笑っても泣いても同じ時間、根拠のない希望と信頼だけを持って、てくてく、てくてく歩いているのがいいな)
それからは何が起こってもぜーんぶに蓋をして、「根拠はないけど、ダイジョウブ!」と自分を洗脳することをちょっぴり覚えた。
不安になる根拠は、探すといくらでも出てくる。
でも、大丈夫な根拠も、探してみればいくらでも出てくる。
『だって日本はどこかで火事が起これば、それが全国放送に乗ってしまうくらいに平和だし(他の国を見れば、火事一つの記事を乗せるスペースがないくらいに、いろんな残虐な事件が起きているところも多いしなあ)』
『不安定な仕事をしているけれど、まだあばら骨一つ、出ていないし(他の国を見れば、可愛い子どもが骨川筋衛門みたいになっちゃって、戦車を隠れんぼの遊び場にしているところも多いわけだしなあ)』
『これをやったら失敗するかもしれないけれど、失敗しても特に日本は敗者復活を応援してくれる気質が文化的にあるし(ある意味、欧米などの方がずっと失敗には厳しくて、いったん敗者になってしまったら自分が一人で這い上がらなければ、敗者はただの敗者とみなされるから、周りはそんなに応援までしてくれないし)』
できるかな? Yes.
うまくいくかな? Yes.
だいじょうぶかな? Yes.
さあて。
今年は何があるか。
根拠は全くないけど、すべてをYesに変えていくのは自分自身。
でもきっとそれは、周りにたくさんの、見ていて下さる人や支えて下さる人がいるおかげ。
この連載だって、ここまで長く続けられたのも、やっぱりどこかで誰かが見ていてくれるはずという根拠のない信頼があるからこそ。
いろんなことに、心から、アリガトウ。
今年も根拠のない希望を胸に、いろんなことを書き綴ります。
足りないところだらけのあたしですが、どうぞお見守り下さいね。