ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2006-02-10 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
お正月明けから二週間ほど、友達の結婚式のためにタイに行っていた。
北部の都市チェンマイの郊外の小さな村で、友人は村出身の彼女と一緒に象に揺られ、楽隊と共に練り歩く。
昔から続くタイ伝統の手作り挙式は、村人の手作りという感じで、お料理も村人の手作りなら、訪れる人々も華美に着飾ることもなく、とてもアットホームないい式だった。
次から次へと、様々な人々が花嫁さんの家には出入りしていた。
「ところで、さっきからあのカウボーイハットをかぶって踊り惚けているおじさんは、一体だれ?」
すると花嫁さんは、にこりと笑いながらこう答えた。
「誰だかよくわかんないわ(笑)」
えっ??
「じゃあ、あの楽しそうに唄っているおばあさんは?」
「うーん、誰なのかしらね……(笑) マイペンラーイ!(気にしない、気にしない)」
盛大な村の結婚式。彼女の家に出入りする数十人の人々。そして翌日まで続く宴。
だというのに、主人公である彼女自体が、そこにいるのが誰かだかよくわからないと、屈託のない笑顔で言う。
そして逆に切り返された。
「なんで、そんなことにこだわるの?」
きょとんとしたのはこちらの方。そっか。村のハレの日は“みんな”で楽しむものなのか。
だから、いちいち、そのお客さんが誰だかにこだわっているのは、逆に不思議に思えるのかな。
急に気持ちにスコーンと風通しの良い大きな穴が開けられた気がして、なんだか自分でもなんでそんなことをいちいち訊いていたのかなあと、どうでもよくなってしまった。
マイペンラーイ!(気にしなーい!) なんていい言葉。
この感覚は、前回書いたように、73歳の方が事故で亡くなられたという話を訊いたあたしの父が、「それはお祝いだね!」と宣った感覚と、根底に同じなにかが流れているような気がした。
そうだった、一昨年の夏、カンボジアを訪れた時にも、その風通しのよい同じ感覚を味わったのを思い出した。
大洪水で川が氾濫し、アンコールワットがある遺跡の街シェムリアップは、ほとんどの家屋が一階部分に浸水をするという被害を受けていた。
というのに。
街は混乱をきたすどころか、みんなキャアキャアとはしゃぎ声をあげながら、水遊びを楽しんでいた。
腰を抜かすほどびっくりしたのは、水に溺れるのを恐れて二階に避難した人々が、二階部分から釣り糸を垂らしていたのを見た時だった。
日本だったら、“悲愴”で“苦しい”場面になる自然災害が、カンボジアでは釣り糸にひっかかる魚を待つというレジャーに成り代わっていたのだから、あたしはたいそう驚いた。
そういうことを書くと、「現場の人々の気持ちも考慮しないで、災害を彼らは楽しんでいましたなんて書くなんて、非常識ですっ」とお叱りを受けそうなのだけれど、実際に彼らは水害を利用して釣りを楽しんでいたのだから、仕方がない(笑)。
「そうなんだよね、ものの見方は自分の頭の柔らかさ次第で180度変わるんだよね」。
先日会った、ベトナムのハノイ在住の日本人女性が言っていた。
「私もついこの間、びっくりしたことがあったんですよ」
バイクに乗っていた時、誤っておばあさんにぶつかって、おばあさんが倒れてしまったのだ、と。
「私はそれは青ざめてねえ……日本でだったらもう人生が真っ暗になるかもしれないという状況じゃないですか。すぐに警察も呼んで。それがね……おばあさんは膝を擦りむいて血を滲ませたまま、ひょっこり立ち上がって、『わたしは大丈夫みたいよ』って軽く言って、そのまま立ち去ってしまったんですよ。私の方が焦りましてね、すぐ来た警察になんとかして下さいって言ったんですけれど、警察も『いや、おばあさんが大丈夫って言うんだから、別にいいじゃないですか』ってそれだけ言って、どこかへ行ってしまいました。なにかが起こった時受け止め方っていうか、その感覚ってのは、本当に日本と違うって思いましたね」
そして彼女は続けた。
「だから、なのかなあ。ベトナムの感覚に慣れちゃっていると、逆に日本の感覚っていうのが、ヒステリックに感じる時があるんですね。実に小さなことにまで、どうでもいいようなことにまで、目くじら立てて神経すり減らしてエネルギーを使っている感じがして……。車のハンドルにも、ゆるゆるとした遊びってあるじゃないですか。あれがないなあ……って。人はもうちょっと、おおらかに構えていた方がいざという時に強いって思うんですけれどね」
「そう、一緒に仕事をしていて議論になる時も、不思議だなって思うことがよくあります。日本ではなるべく波風立てぬように、決して自分のホンネを見せないように、相手の出方を探ってこっちの言い方を考えるじゃないですか。ところがベトナムはね、お互いが言いたい放題自分のことを言って、そして次の瞬間にはお互いにけろっとそれを忘れちゃうんですよ。だからその時には多少もめても、後腐れってやつはありませんね」
確かに。海外と仕事をしていると、逆に日本の特殊性を感じることが多い。
先日もアフリカのナミビアの旅行業者さんと、いろいろな交渉事をしていた。
主に値段交渉についてだったのだけれど、A社B社と複数の業者さんに見積もりを依頼していたため、最終的には同じ条件でサービス面と価格面がお得だったところを選んだ。
すると、選ばれなかったC社から早速メールが来た。
「どの、どういうポイントでうちが選ばれなかったのか、今後の参考のために教えて下さい」
それであたしも丁寧に答えを書いた。
「プランはとても満足するものだったのですが、値段が50ドルほど御社が他社より高かったのと、フリードリンクサービスが付いていなかった点です」
すると、また早速メールが来た。
「とても参考になりました。こちらも手配先と再交渉をする材料ができたので、ありがたく思います。次回はまた違うプランを紹介できると思うので、ぜひまたコンタクトして下さい」
あたしは心を込めて、「御丁寧かつ前向きな姿勢を、尊敬します」と書いて送った。
日本ではそういう合理性はどちらかというと文化にそぐわず、それよりもコネクションや人情の方を大切にする文化なので、仕事上もこういった展開になることは少ない。
73歳で事故で亡くなる→旅行中、楽しい思い出の中でぽっくりと逝けたのだから、お祝いである。
川が氾濫し、家屋の一階が水没する→二階から釣りができて、魚がたくさん獲れるから良かった。
結婚式に見知らぬ他人が入り込む→ハレの日を見知らぬ誰かにも笑顔で楽しんでもらえた。
交通事故に遭う→ま、加害者も被害者もお互い様だから、打ち身くらいで済めば全く問題なし。
同業者間の受注競争に負ける→でもその原因を突き止めることができたから、将来に生かそう。
……という発想。
大陸には、おおらかな風が吹き抜けている。
島国の中でなにかに突き当たって解決策が見えなくなった時には、大陸を見ようと思った。
そう。
大陸には、淀んだなにかを吹き飛ばすくらいの、おおらかな風が、吹いているのだから……。
タイのバンコクで出逢った光景。この発想もスゴかった。川縁のラーメン屋さんは、椅子を机にしてその脇に小さな椅子を置いて、店を開いていた。椅子×椅子=テーブルセット。おもしろいなあ。。。
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