ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2005-07-15 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
生まれて初めての父子海外旅行。
父はどちらかというと、できるならば一生お伴をしたくないというタイプの人だった。
それがなんの風の吹き回しか、一緒に旅行をすることになってしまった、この顛末。
ひー。ふー。ひー。ふー。
遠慮のない熱帯の温風にさらされた父は、首をうなだれ、目をトロンとさせて、棺桶に片足を突っ込んだかのような表情でコタキナバルの街を歩いていた。
犬じゃないのに、三歩進む毎に立ち止まっては、ひー。四歩めに入る前には、ふー。
(なんで?)
足下を見た。(あっ!)。
まるで、冬山登山に履いていくような、ぶ厚い革靴を履いていた。
「そんな靴、履いてるから暑いんだよ!」
あたしが憮然として言うと、父は猛反撃してきた。
「オレは、海外旅行に行く時には、いつもこの靴に決めているんだ!」
(ああ、ニッポンのオジサンの、杓子定規発想の代表格だわぁ!)
どこかヌケてはいても、信じられないくらいのクソマジメが取り柄だった父は、そういえば、オーディオを買ってきても、いつも解説書を1ページ、1ページ、赤線を引きながら熟読するタイプだった。
あたしのお客さんにもガイドブックの隅から隅までを付箋と赤線で一杯にしてくる人がいて、そんなお姿を拝見する度にあたしは自分の父をそこに重ね合わせていたのだが、やっぱり、ヤッパリ! やっぱりという文字に二重の赤線を引きたくなるほど、そういう人だった。
昔、言っていたことがあったっけ。
「若い頃、デートの時には、必ず路地の角から次の角までだいたい何歩で行けるかを、いつも事前に測っていた。321歩進んだ場所を曲がるとそこに木陰があるから、そこで彼女の肩に手を置こう。で、さらに152歩行くとそこに喫茶店がある。そこで窓際に彼女を座らせ、メニューを頼む。もちろんメニューの中味だって、既に調査済み。そこでオレは格好良くブルーマウンテンを頼み、コーヒーのうんちくを語る……という風に全てシミュレーションしておくのだが、それが歩数が合わなかったり、彼女がその途中の店に入りたがったりで、オレはその度に自分の計画がその通りにいかないことに、パニックに陥り、頭の中が真っ白になっていたのだ……」
(そうなのよ。旅行だって、実は“臨機応変”って言葉が一番大事なのにぃ!)
そんな父からどーしてこんな娘が生まれてしまったのかは『神のみぞ知る』といったところなのだが、怒っていても始まらないので、どうしてもその革靴じゃないと海外旅行ができないという父を説き伏せて、もっと歩き易い靴を買いに行くことにした。
靴を買いに行く!となったら、父は他のことは全く眼中に入らない。
あたしはせっかくの市場だからと、そこにぶら下がる食材のオモシロサを楽しげに語ってみるものの、父には馬の耳に念仏。
しょうがないなあ……。どんなに「マンゴ!」や「パパイヤ!」「スターフルーツ!」に興味を持たせようと思っても「クツ!」「クツ!」しか唱えない父にくっついて行くようにして歩いていたその時。
「おうっ!」。父が壁に書かれた靴の絵に無邪気に反応した。
暗い階段を上がっていく。階段の途中には路上の物売り。あたしは一生懸命、そんな物売り達がいるアジアの雑踏の良さを伝えようとするのに、父は遠くを見たまま、バズーカ砲のように突き進む。
「あったぞっ!」
靴が並んでいた。父はその中の一つの運動靴を取り出すと、店員さんを呼んだ。
そして片言の英語も混ぜて「Do you have KUTSUBERA?」と大きな声で問うた。
(いいよ、いいよ、Do you know は英語だから、店員さんもわかるだろうよ。けれど、KUTSUBERA(靴べら)って思いっきり日本語でじゃん!)
店員さんは困ったような顔をして、あたしに視線を向ける。
父はさらに大きな声を出して、そして二分の一倍くらいのスピードに落として、もう一回言った。
「Do you have KUTSUBERA?」
分かるわけがない。あたしは耳元で囁いた。「ここに靴べらなんてあるわけないよぉ!」
すると父はトントンと、店員のおばさんの肩を叩き、もう一発ワケのわからない一言を食らわせた。
「うー、えー、KU・TSU・BE・RAね、あー、イッツ、ベター have クツベラ、ネ。アンダースタンド?」
(だいたい、靴べらの存在を知らない人に、靴べらを説明してもわかるわけがないじゃないのぉ!)
ため息をついてあたしが父のシャツの裾を思いっきり引っ張ると、父は言った。
「おい、どーして、なんでだよ!靴屋さんには靴べらがあった方がいいと思ったから、言っただけじゃないか!」
「けどね、だいたい靴屋さんに靴べらがあるというその発想自体が凝り固まっている、ってあたしは言いたいのよぉ!世の中には靴屋さんでも靴べらがない国だってあるんだから」
父はシュンとして発言を引っ込めた。
店員さんとピースサインで、運動靴を漢字の八の形にしたまま、記念撮影。
ホテルに戻った父は、愛用の革靴といつもセットで持ち歩いているらしい“マイ・クツベラ”を取り出し、それを手の平の上に乗せ、満足そうににやついた。
マイペースと言えば、ボルネオ島に行っても、父は自分のマイペースを決して崩すことはなかった。
明け方、完全に熟睡していたあたしは、傍らでごそごそと人の動く気配を感じた。
時計を見ると朝の5時半。眠い目をこすって起き上がると、ホテルの部屋の床で、父が股引をはいたまま、『仰向け手足ブラブラ体操』をやっていた。
寝ぼけ眼も手伝って、それは息絶える寸前の昆虫が仰向けになって足をバタバタやっているように見えた。
あたしは可笑しさを噛み殺しながら、密かにそれを応援した。
それから父はテーブルの上に置いてあるものを直角にぴしりと置き直し始めた。
あ、そうだった!昔からこの人は、鉛筆でも消しゴムでも、机のラインに対して直角に置いてないと落ち着かないって人だったよなあ……。
眼鏡のシカクの中に、チョッカクに腕時計がぴちりと置かれていた。
旅行をして三日目。
また父は、ふー、はーと言い始めた。
今度は現地調達の軽くて涼しい運動靴なのに、体調がすぐれないと訴える。
(そっか。初めてのアジア個人旅行という強烈パンチを食らって、自分のマイペース以上にマイペースなアジアに呑み込まれちゃったのかな)
夜、部屋でいきなり倒れた。あたしは予定を詰め込み過ぎたかなと反省した。
そして既に支払っていた5万円分の現地ツアーを即座にキャンセルし、部屋で一日中寝ていてもらうようにお願いした。そうでもしないと、また路上で天突き体操、ブラブラ体操でもやりかねない。
父はおとなしく寝た。あたしはホテルの喫茶店にお茶を飲みに行った。
(やれやれ、これでやっとあたしも自分の時間が持てたわ)
すると。まだ半日しか経っていないというのに、髪をぼさぼさにした父が参上した。
「一日寝ていた方がいいよって言ったじゃん!」
「いやあね、眠っていたら、夢の中に味噌汁とキムチが大写しになって出て来たんだよ。味噌汁が食べたいなー」
おそらくこの旅は父に振り回される旅になる。そう最初から想定はしていたのだけれど、味噌汁が食べたいと言い出すとは、まさしく想定の範囲内だった。
あたしは出がけに100円ショップで買い込んでおいた味噌汁を引っ張り出した。
ホテルのレストランでお願いして、お湯をもらう。
すると先ほどまであれだけうなだれて、疲労を露にしていた父が、味噌汁を見た瞬間、ボディビルダーが体の筋肉を力ませる瞬間のように、う、う、うーっと向き直った。
う、う、うーっ、うっ、あーっ。
それまでのうなだれていた姿が嘘のように、味噌汁一つで父は漫画のようにむくむくと元気になった。
目が点になったのはあたしの方。
(5万円をドブに捨てたのに、100円の味噌汁でこんなに簡単に元気になっちゃうなんて……)
「おい、あとはキ・ム・チがあればなあ……」
あたしは父のその一言で、近くの日本食材屋さんに車を走らせた。
とりあえず、臭いキムチをカバンにしのばせた。
父は好物のキムチがカバンに常備されているということで、どうやら安心を得たらしく、完全に元のペースを取り戻した。以降、あたしは食事の度に、味噌汁を用意するように心がけた。
ボルネオ島のレストラン。お湯を用意してくれるウェイトレスの女の子が不思議そうに覗き込む。
「これ?これはね、父のクスリなの。これがないと、父は生きていけない体なの」
そしてウィンクをして笑う。
高級レストランで、持ち込みの味噌汁のために専用のカップまで用意してくれるアジアの心意気が嬉しかった。
あたしはせっかくボルネオに来たからには、熱帯の海の中を、父に見てもらいたかった。
齢70にして、初めてシュノーケル道具を頭にかぶってもらう。
海の中に潜ってもあたしがきゃあきゃあ言っても、父は黙ったまま水中に顔を出した。
「ねえ、どうだった?」
どんなに訊いても、あまり具体的な反応がなし。
(この人ってば感動しているのかしら?)
オトコたるもの、感情を露にせずの世代。
機を見計らって、帰りの飛行機の中でもう一度、訊いた。「ねえねえ、どうだった?」
父は深呼吸でもするように、ゆっくり答えた。
「おう……サカナがきれいだったなあ……。今回の旅の目玉は、ジャングルの樹とサカナ、かな」
(なんだ!一応、なにかしらの感動は得ていたってことじゃない。ヨカッタァ……)
今まで、10代の時から自分のためだけ、もしくは仕事のためだけに旅行をしてきたあたしが、初めて肉親のために一肌脱いだ旅。父とあたしの前に横たわる壮大な温度差に、あたしは目が白黒しっぱなしだった。
歴代の旅行の中で、一番疲れたお客さんがよりによって自分の父。
ボルネオから戻った後、あたしの友人はあたしに尋ねた。
「ボルネオ、どうだった?」
「うーん、ボルネオはジャングル以外、何も見てないなー。でも。ずっと父を見ていたよ」
(いや、一生に一度くらいは、そんな旅も悪くないよ、ほんと)
何度もは決してできない、そんな旅ができたことに、あたしは心からの自己満足を感じていた。