ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2004-12-31 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(注)これは……大変シリアスな、そしてなんとも滑稽な実話である(笑)。
不気味とお笑いの分水嶺にあるこの物語は、今のところお笑い方向に振れていることをご確認の上、お楽しみ下さい(笑)。
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(前回に続く)
玄関先に同級生(通称:チャウチャウ犬)を見送ろうとしたその時。
「ギャアアアアアッッッッッッ!!!」
事件は再び起こった。
なんと、玄関扉の把手に、また洗濯したての清潔な女性ものパンツが、しっかりと巻き付けられていた。
これは、どんなホラー映画よりも怖かった。
ホラー映画だったら、常に象徴はチェーンソーや斧だけれど、なぜかうちで起こるホラーの象徴は“パンツ”だった。
見知らぬパンツがテラスに撒かれていて、それだけでも十分に辟易していたというのに、今度は把手に水色の縞模様のパンツ。ただでさえ、パンツを見るとそれだけで怯えるようになっていたところに、今度はトビラの把手がパンツを冠っているなんて……。あり得ない……。これじゃパンツ恐怖症になっちゃう。
あたしは叫び声をあげてへたり込んだ。これはどんなお化け屋敷よりも怖かった。
チャウチャウ犬(同級生)も、それまで怖い物知らずという顔でゲラゲラ笑っていた表情に、怖じ気という文字が走るのを、あたしは見逃さなかった(笑)。
「……オ、オメーの言っていたこと……ホント、だったんだな……」
型体のいい、どこから見ても強そうな彼も、“把手にパンツ”はさすがにひるむものだったらしい。つい先ほどまで幼なじみのあたしをからかって遊んでいた勢いはどこかに消え失せていた。
彼は小走りで外に出た。そこで『……オレ、おうちに帰る……』と言わない彼を友達に持ったことを、あたしは誇りに思った。
彼は息せき切って戻ってきた。
「おいっ、おいっ、あっちの事務所の方には、ピンクのヒモパンが巻き付いてるぜっ!」
つい先ほどまでは、パンツ群を直視さえしようとしなかった彼が、額に汗をかきながら、水色の縞模様パンツと、ピンクのヒモパンツを、しっかり手に握っていた(笑)。
「け、警察、呼ぶか?呼ぼうぜ、おっかないじゃねーかよー。呼んだ方がいいぜ」
すぐに通報した。
生まれて二度めの110番。確か一度めは、数年前、同じくテラスにでっかいオス猿が出没して、あたしが外に出られないように彼に監視され続けた時だった。
電話口に出た男性は、極めて事務的にこちらに質問した。
「事件ですか?事故ですか?」
あたしは声がうわずった。「ハ、ハイ、ジケン!!です」
「どういった内容ですか?」
「ハイ……あのう……パンツがあり得ないところにあるんです……」
「?」
「例えば玄関扉の把手とか、家の周りがパンツに包囲されているんですっ!」
「??」
「この一週間で、あたしのところに見知らぬ中古のパンツが13枚も届いたんですっ!」
「???……???。とにかく、パトカーを急行させます」
おまわりさん二人組がやってきた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃありません。これじゃ、パンツ恐怖症になっちゃいます」
事情を説明した。前代未聞の珍事件。
「こんな事件、聞いたことありませんねー。いったいなんの目的なんでしょうねえ……」
でもおまわりさんも、二人とも年輩の男性。やっぱりパンツを直視したらセクハラになるという意識が働いたのだろうか、それらのブツにはあまり目をくれないように配慮しているのがわかった。マジメに分析してくれた。
「下着泥棒もこの辺じゃあまり聞かないしねぇ、おかしいねぇ。そもそもこれが下着泥棒の犯行ってことはないと思います。なぜなら、下着泥棒は自分がコレクションするために盗みを働くわけでして、それをわざわざ人にプレゼントしてしまうということは、彼らの目的に反しますから、考えられません」
そこであたしはちょっぴり吹き出しそうになった。(これまでに出会ったパキスタンやらケニアのおまわりさんと違って、本当に日本のおまわりさんは優しいなあ……)
今度はおまわりさん達が、こん棒と懐中電灯を持って、辺りを捜索した。が、やっぱり異常なし。
これから定期的に周囲をパトロールしてくれるということで、とりあえずの問題解決を試みることとなった。
「ところで……この下着はどうされますか?」
「へ??」
あたしは自分が再利用するかどうか聞かれたのかと思った。
「いや……妹は誤ってその中の一つのが自分のだと誤解し、再利用してしまったことを異常に憤慨していましたが、あたしは足りているので、もう使いません」
「?」
「というか、捨てます」
するとおまわりさんは、ちょっと待った!!という風に手の平をこちらに向けて言った。
「あの……うちの方で保存してもいいのですが、もし差し支えなければ、三日間ほど保存しておいて頂けますかね?というのは、もしこの下着が盗難だった場合、被害者にお返ししなければならないので、捨ててしまうということになると署としてもちょっと困るものでして……」
本当に日本はいい国だと思った。今は傘でもパンツでもなんでも安いから、失くしたが最後、普通は戻ってくるなんて考えないんじゃないかと思うのだ。というか、むしろよっぽど曰く付きのものでもない限り、パンツ一枚を血眼になって探すなんてことはしない。
結局、気味の悪いものを大切に保管しておくのは嫌なので、押し入れの奥の奥にしまっておくことにした。
誰が使っていたのかわからない、人様のパンツを。
地元のおまわりさんとの会話は、そのうちに地元の話へとずれていった。
あたしの同級生のチャウチャウ犬は、このあたりでも知らぬ大人はいないワルだった。あたしがその事をおまわりさんに伝えると、おまわりさんはにこりと笑って言った。
「本当に……同級生ってありがたいね」
そこから、また予想もせぬ奇妙な展開が起きた。
「あれ?すると……君はT中学校のSくんじゃないのかね??」
おうおう、おうおうと、白髪まじりのおまわりさんは、チャウチャウ犬Sの手を取り握手をした。
「君もオトナになったんだねぇ……。あの頃のT中は荒れていたからなあ。しかし懐かしいねえ、こんなところで再会するとはねえ……」
というのも。パンツ事件で来てもらったおまわりさんのうち一人は、あたし達が中学生の時から同じ派出所に勤務する古株おまわりさんだった。
確かにあたし達の中学校はその当時、荒れに荒れていた。オトナの目から見れば荒れていたのかもしれないのだけれど、コドモだったあたし達からすれば、それはオトナに対する単なる反抗だった。
それから昔話に花が咲き、当時暴走族をやっていた同級生は今何をしている?その後どうなった?という話になっていった。
「ヤツは今、自分で自分の会社を作って、そこの社長ですよ」
「アイツも、家庭持って、家族のために一生懸命働いていますよ。ヤキトリ屋でね」
中学生当時、さんざん警察にお世話になった同級生達はその後、立派に成長し、気付けばオトナになっていた。
時間の経過があたしは本当に愛おしく思えた。
「君も……こんな風に、同級生を助けるようなニンゲンになったなんて、ねえ。感動だなあ……」
隣で、チャウチャウ犬は、でっかい図体を縮めるようにして恥ずかしがる。
相変わらずの図々しい出で立ちは全く変わらないのだけれど、やっぱり目元は優しかった。
照れ隠しをするかのように、おまわりさんと目を合わせないようにして、鼻でフンッと笑った。
(こんな展開が待っているとはなあ……まさにパンツがこの下町人情話を運んできてくれたようなもんだ)
あたしは横でクスリと、彼らに気付かれぬように笑った。
中学生の時オトナVSコドモで敵対関係にあったおまわりさんとあたし達は、お互いにオトナになって、パンツ事件の犯人を頑張ってつかまえるという決意をするところで、いつのまにか同志になっていた。
ブータンの首都で、手動信号をやるおまわりさん。たかがパンツだって大切に大切に使うブータンという国じゃ、わざわざこんな事件は起きるわけもないよなあ……。
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