

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-11-07 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
帰りの飛行機の中で、涙がぽろぽろ出た。
なんでなのかよくわからない。けれど、私の中で心の奥底に眠っていたなにかに触れ、とにかく泣けた。
私の方が生徒のみなさんに何かを持っていかなければならない講演仕事なのに、私の方がたくさんの何かを生徒のみなさんから頂いたような気がして、終わってからも丸一日呆然としていた。
つい先日、私は広島学院の文化祭の講演会に呼んで頂いて出掛けた。
広島というのは、私が小学校の2〜3年生を過ごした場所。
懐かしいなあ……ただそんな気持ちで、広島の土を踏んだ。
広島学院は中高一貫教育の学校。男子ばかりが1100人。
私が訪ねた時は文化祭前日。生徒の皆さんが明日のために頑張っている。
自分の高校時代を思い出した。
勉強はできなかった。けれど、イベントになると張り切った。
クラスで何をしようかという話し合いになった時、二年生だった私は教室内を『エジプト』にしたいと言った。
確かその時、合唱をしようというグループとの多数決が行われ、接戦で『エジプト』が勝った。
教室の中に巨大なスフィンクスやらピラミッドやらを飾るのは、快感だった。
翌年三年生の時は、『ジャングル』にしたいということを提案した。
普段は教科書のページをめくる音が響く教室の中を、『ジャングル』にするなんて、考えただけでワクワクした。
みんなで協力して、土やら草を“教室”に運び込んだ。
誰かが東急ハンズで、土の匂いという液体を買ってきた。
また別の誰かが、教室にパイプを通し、川を作った。ついでに虫まで捕まえてきて、教室内に離した。
教室の扉を開けると、そこは『ジャングル』。
その意外性を、私の童心は楽しんだ。
だって、普段は本の上の勉強ばかりしている空間が、いきなり『ジャングル』になっているんだもの。
確か『ジャングル』は文化祭でなんとか賞という賞をもらった。
今思えば。そういう感覚はそのまま、現在の仕事につながっている。
意外性を好む性質。それに未知の大地への憧憬の念。
それがそのまま年齢と実経験を重ねると、『大陸横断バスを走らせてみよう』という感覚になるらしかった。
だからこそ。私が文化祭で出会う高校生には、今の瞬間の今の感覚を大事にして欲しいなと思った。
それと同時に、今の高校生はどんな感じなのかなと、とても楽しみだった。
『EXODUS(脱出)』というテーマが、広島学院文化祭の今年のテーマ。
手渡された学院新聞には、こんなことが書かれていた。
-『EXODUS(脱出)』はユダヤ人の出エジプトを指す言葉でもあります。モーセに率いられた人々は、エジプトを脱出し、現在のユダヤ人の土地イスラエルへの『回帰』を果たした。けれど、イスラエルは脱出したユダヤ人にとっては新天地。だから彼らはそこで『開拓』を行った。(中略)だから広島学院の今回の文化祭でも、自分の立ち位置に『回帰』しつつも、形骸化した伝統を改善するという『行動』を起こし、その上で新しい歴史を『開拓』してもらいたい、だからテーマは『EXODUS(脱出)』……-
私を講演会に呼んでくれたのは、伊藤くんという青年だった。
はっきり言って、無名の私を文化祭に呼ぶというには、本当に骨が折れたことだろうと推察した。
普通は講演会というものは、学校の先生の方が講師のセッティングをするもの。
だから、私はまさか、伊藤くんという一人の生徒の発案で、講演会に呼んで頂いたとは全く思っていなかった。
先生がこう言っていた。
「白川さんの名前が挙がった時、みんな、それ誰?って思いましたよ。でも、伊藤が呼びたいっていうんだから、任せてみようということになりまして……」
なんだか私は涙が出るほど、うれしかった。
もちろん、いろんな意味で、有名な人を呼んだ方が各方面からの風当たりは少ないに決まってる。
きっと保護者からの圧力もあったでしょうし、学校の先生の反対もあったでしょう。
でもそんな一つ一つをクリアして、無名の私を呼んでくれたということが、なんともいえずうれしかった。
『有名人とかどうとかではなく、人にはなかなかできない体験をしてきた人』という条件で探してくれたと、学院新聞には書いてあった。
私は、彼の私を呼んでくれた情熱に匹敵するくらいのエネルギーで最近生きていただろうかと、自問自答した。
ベストは尽くしている。
けれど、彼の持っていた情熱と真摯さに比べれば、私のベストはかなり異質のものになっている。
残念ながら、それは認めざるを得なかった。
その理由は、得てきた経験の差であったり、実社会で揉まれに揉まれてきた結果だったりするのだけれど、だから仕方がないとか、だからそれでいいんだと心のどこかで思っていた自分が、伊藤くんという一人の青年を鏡にしてくっきりと直視せざるを得なかった。
良い悪いの問題ではなく、頭の天辺から冷水を浴びせられたような気分になった。
メガネ越しから見える彼の目が、私の心になぜかグサリと突き刺さった。
思い過ごしかもしれないけれど。
真摯に生きていないオトナをどこか見透かしているような瞳だった。
私は、高校生の時の鬱屈した思い、衝動、一生懸命さを、この15年くらいの間に失っていたことに気付き、でもその代わり社会を生きる知恵のようなものをいつのまにか身につけていたことを知り、愕然としたのだった。
それは年齢を重ねていくということの当然の帰結なのかもしれない。
けれど。
最初にこの仕事を始めた頃の叫びに近い思いをどこかへ置き去りにしていたことに、いたたまれなかった。
そういうつもりは全くなかったのに、今も思春期の頃のように情熱を燃やしながら生きていると自分では思っていたのに、伊藤くんの姿が当時とはまるで違っていることを教えてくれた。
高校生の伊藤くんは、生々しい命のエネルギーがオブラートに包まれないまま躍動していると感じた。
岡本太郎は、よく『命の躍動』ということを表現していた。
命を躍動させていなければ、ヒトは死ぬ。
伊藤くんと喋りながら、日本の未来は明るいなと思えた。
キラキラと煌めく“思い”だけの塊は、学校にいる間中、私を揺さぶり続けた。
それと同時に、その人を射抜くような純粋な力が学校にあったことが、本当にうれしかった。
運が悪ければ伊藤くんの真っ直ぐな“思い”は、実社会を知り尽くした先達というオトナ達によって潰されるかもしれない。もしかしたら、伊藤くんがやりたいと思うことを、まだ伊藤くんがやってもいないのに、「そんなのやったって実社会ではダメだよ」というオトナが中にはいるかもしれない。
けれど。負けないで欲しいなあと心の底から思った。
実社会進出はこれからだからこそ、持てるパワーだってある。
それに。純粋で痛いくらいの“思い”のパワーは、周囲に負けずにいると、いずれあるカタチで花開く時が来る。
いろんな周囲からの圧力を、はねのけて、はねのけて、貫いて行って欲しい、私も頑張るからと言いたくなった。
かつて高校生にこう訊かれたことがあった。
「ヒトはなぜ、30才を過ぎると惰性で生きるようになるんでしょうね?」
その言葉にもドキッとした。果たして私は惰性でなく生きているだろうか、と。
かつて同じように斜に構えてオトナを見ていた私がオトナになって思うことがある。
高校生から見ると惰性に見えるかもしれないけれど、一つの生き抜く知恵を30才を越えると身につけ始める。
だから。逆に言えば、知恵を身につける前の人は、知恵に縛られない命の躍動を精一杯やっていなければいけないんだと思う。
で、オトナはそんな高校生を見て、また初心に還り、勇気をもらうんだと思う。
惰性で生きているかもしれない自分にハタと気付き、気持ちを締め直すんだと思う。
そんな風に私を含むオトナを刺激してもらうためにも、高校生は命を躍動させていて欲しいと思う。
講演会が終わってから、一通のメールをもらった。
「僕は日本人として誇りに思えるものがありません。特に僕らの世代は、僕も含めて無気力で、努力を格好悪いと思っていて、今が楽しければいいと思っている……」
私はすぐに返事を書いた。
「私にメールを送って下さった時点で、無気力という言葉は当てはまっていないと思います。すでにそうしてアクションを起こしているんだから。それに誇りなんてものは、本当は誰でもが持っているんだけれど、たまたまそれを目覚めさせる環境にいないから、誇りに思えるものがないって錯覚しているだけじゃないかな」
メールを送信しながら、また、日本の未来は明るいなと思った。
だって、そんなことを考えている高校生がいるんだから。
今の時代は本当に、自分の命が躍動するものを見つけることの方が難しいとは、私も思う。
けれど。アンテナを常に磨いていれば、16才から25才くらいまでの間に、必ずそういうものに出会っている瞬間があることに気付くと思う。
伊藤くんほか高校生に教えられたように、私ももう一度手綱を引き締めて、年相応に命を躍動させることにベストを尽くしたいなと、今思っている。
広島学院の先生、及び生徒の皆さん、どうもありがとうございました。