

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-10-31 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
ここのところ、しばらく東京暮らしが続いている。
のだけれど。どうもノロマな私はこの世界のスピードについていけず、仕事が二つも重なるともう頭がパニックを起こす。そのたびに、東京はきっと、世界で二番目に単位時間あたりの仕事量が多い場所なんじゃないかと、あまりにも単純な脳を持ってしまった自分への擁護の意味も含めて思うのだ。
一番目はニューヨーク。その次が東京。
秒単位で目の前を通り過ぎる事象に、私はあんぐりと口を開けたままそれを見送り、自分が猛スピードのベルトコンベアに乗れていないことにハッと気付き、駆け出すのだ。
以前、全てがスローなアフリカに半年行って東京に戻った後、奇怪な現象が身に起きた。
友達に家に行こうと、駅へ行ったというのに、切符の自動販売機を前に、頭がパニックしてしまったのだ。
アフリカ滞在が長かったせいで、どうやって切符を買えばいいのか、わからない自分になっていたらしい。
自分自身に確認しなおす。「えっと……私は○○ちゃんちに行こうとしているんだ」。
まず、路線図を見た。
星の数ほどに並んだ駅名から、目当ての駅を探し出す。
次にここの駅から、そこの駅までいくらなのか、表を読む。
お財布の中から、小銭を一個一個数えて出す。
自販機にお金を入れる口を見つけ、そこに一つずつ小銭を入れる。
目当ての値段が入ったボタンを探し出し、それを押す。
ぴょっこりと出てきた切符を取る。
ジャラジャラと流れてきたお釣りを取る。
お釣りをお財布に戻す。
ここまでの作業をやるのに、どっと疲れてしまった。しかも。数分も時間を食ってしまったのだ。
私は都会に出てきたクロコダイルダンディーの気持ちだった。
もしくはタイムカプセルで現代に紛れ込んでしまった原始人のようだった。
同じ作業を2,3秒で済ませる周囲の人々を見て、逆カルチャーショックを受けた。
東京に住んでいる人達は、天才だと思った。
瞬時にこの9つの作業をやってのけるなんて……。
それにしても、この疲れの原因はなんだろうと考えた。アフリカにいた時には、○○ちゃんの家に行こうと思ったら、その瞬間にその方向に向かって足を動かすだけでよかった。全く頭を使う必要がなかったのだ。
単位当たりの作業量が格段に違う。
東京で9つの作業をこなしている間に、アフリカでは足を前に出すという一つの作業をしているだけだった。
東京の住人でありながら切符をどうやって買えばいいのかわからなくなった自分には、相当なショックを受けた。
まずい。まずい。また頑張ってこの町の猛スピードのベルトコンベアに飛び乗らなければ……。
そのペースに乗れるようになったのは、帰国して一ヶ月が過ぎた頃だった。
ここ数日、ガイドブックの仕事のために、取材先のお店に申し込みの電話をしていた。
ガイドブックというのは掲載物件数で勝負しているので、私も一人で40件ほどに連絡を取らねばならなかった。
地方を取材する時にも、似たような件数に取材申し込みをする時があるのだけれど、東京を舞台にした仕事ではその手間が格段に違った。
例えば、先日まで行っていた沖縄では、アポイントというもの自体が全く意味をなさない。
別の言葉で言うと、突然お店に取材に訪れても、特別怒られない。
けれど。トウキョウ社会は超予定調和に動いているという大前提があるから、突然取材に訪れれば怒られる。
だから、事前に電話を入れる。
電話を受けた相手が、口頭で即断即決できる決裁権のある人が出ればいいのだけれど、これも小売りや商店のレベルで仕事をする人が少ない東京という環境上、電話がグルグル回される。
A店に電話をした。
まず最初に聞かれる。「その本はどういう内容ですか?」
で、私は約3分かけて内容を説明する。
すると「ちょっとお待ち下さい」。
で、しばらく待っていると、また別の人が電話口に出る。どうやら広報の担当者らしい。
そこで私はまた振り出しに戻って、再度3分かけて同じことを最初から説明をする。
私は心の中で、この電話で取材の是非が決まってくれることを期待する。
するとたいていの場合こう言われる。
「私の一存では決められないので、その内容を紙にしたものをファックスしてください。上にあげますから。で、○日の×時にまたお電話を下さい」
あ〜あ……作業が増えちゃうなあと思いながら、私は企画書に相手先の名前を書き込み、送付する。
時計を何度も見、時間を気にしながら、○日の×時に電話をする。
するとA店の受付の人がこう言う。「担当の者はただいま別の電話に出ていますので、後でおかけ直し下さい」。
あ〜、なかなかトントン拍子にいかないなあ……。
ため息をつきつつも電話を切り、その間に時間を有効に使おうとB店に取材の申し込みをすべくダイヤルを回す。
すると。B店の人と交渉を始めた矢先、携帯が鳴る。番号を見ると先ほどお話中だったA店の担当者。
リーン、リーンと虚しく鳴り続け、別の電話に出ている私が携帯に出ずにいる間に、ベルは切れた。
ふう……B店との電話を切り、またA店にかけ直す。
するとまた、受付の人が電話を取り「担当者はただ今、別の電話に出ております」。
なんとなんと……。精神的にどっと疲れるも、また後でかけ直しますと言って、電話を切る。
しょうがない、時間をおいて電話しようと思い、私はまたC店に電話をする。
その時、また携帯が鳴った。A店の担当者だった。
私は思わず、笑いがこみ上げてきた。
トウキョウがいくら忙しいといっても、ほどがある。ナンダ、コリャ?
A店の担当者からの電話は、別の電話にまた出てしまった私に愛想をつかしたかのように切れた。
それでも、仕事に責任がある私は、懲りずにA店に電話をした。
やっと。やっと。やっと。やっと。A店の担当者と電話がつながった。
私は思わず、最初の一言でこう言ってしまった。
「いやあ、お互いにタイヘンですよね。口は一つしかないのに、電話は二つも三つもあるから……。手も二つしかないのに、作業は山ほどあるから……。頭も一つしかないのに、用件は頭が二つ必要なくらいあるから……」
担当者も思わず吹き出している。
私は心の中で、取材OKの許可がもらえるものと期待した。そうすれば、話にやっと、カタがつく。
するとA店の担当者はこう切り出した。
「大変申し訳ないのですが、いつ頃取材に来られる予定なのか、書面にしたものを送って下さい」
ま、ま、またかぁ!また話が決まらない!
電話を切り、また紙にその旨を丁寧に書き、ファックス送信。
(どうしてこんなにムズカシイのぉ!取材可もしくは不可、で、可の場合はお互いの時間を決めればいい。それだけのことなのに、どうしてどうしてこんなに時間と労力がかかるのぉ!)
もし社会がシンプルなら、そして構造がフラットなら、決裁権のある担当者と話しをして10秒で決まりそうなことなのに、電話代も、時間も、紙も、インクも、労力も、ぐるぐるぐるぐる、核心の周りをぐるぐるぐるぐる気分が悪くなるほど、ぐるぐるぐるぐる回り続ける間に、どんどん消費されていく。
結局。10秒で済みそうな話は、4日間ぐるぐるぐるぐると宙を漂ったまま、取材日程が担当者と合わず、ボツになった。私は叫び声をあげたくなった。
驚いたのは、トウキョウで取材申し込みをする場合には、上のような、意味を持っているのか持っていないのかわからないぐるぐるぐるぐる作業が、“例外”ではなく、“フツー”のこと、だったことだった。
『だってヨノナカ、そういうもんだから、仕方ないじゃないか!』と叱責を受けそうだけれど、上の一連の作業を繰り返し、げっそりと疲れ切っている自分が、私はマヌケに思えてきた。
意味のあることで疲れ切るならわかるのだけれど、こんなぐるぐるにみんなが当然と思って労力を使っているのは、なんかヘンだと思ってしまった。やっぱりもうちっと、構造を平坦にして、それぞれの担当者だけに電話が行くようにして、決裁権のあるその人がその場で結論を出していく、その方がよっぽどヨノナカ、みんなが疲れずに済むんではないのか、と。紙を作ったり、相手を電話でつかまえるためにヤキモキする時間を、家族と憩いの時間を持つ時間に費やせるのではないか、と。
けれど、片一方でこうも思う。これが大都会というものの姿なのかなあ、と。
自分達で作業を増やして自分達で疲れ切る。この構造の滑稽さに、私は皮肉な笑いをかみ殺してしまった。
トウキョウというところには、際限というものがない。
別の言葉でいえば、トウキョウは足るを知らない都市なんだ、とよく思う。
そういう意味では、先日訪ねた沖縄と対照的だと思った。
沖縄は、ある意味、『足る』だらけだった。いい意味でも際限だらけ、だった。
自分がこれをしたいと思っても、台風という自然がそれを邪魔する。もしくは交通の少なさがそれを阻止する。
やろうとしても自分以外の要因でできない、そんなところが、いい意味での諦めにつながっている。
けれど。トウキョウはいい意味でも悪い意味でも、『やればできちゃう』。
仕事にしても、やろうと思えば寝ずにやれる環境が用意されている。
遊びだって、際限なく様々な種類のものが揃っている。
社会を動かすスピードにしても、トウキョウはニンゲンの限界にまで挑戦している。
限界寸前まで、トウキョウ人は自分達で仕事を増やし、自分達を忙しくして、追い込んでいる。
どこか滑稽だけれども、私もそのスピードについていこうと、今日も必死でキーボードを叩いている。