

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-10-17 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
イカ釣り用のオジィの疑似餌は、店頭ではおよそ見かけたことのない、素朴な手作りものだった。
「これはなぁ、店で売っとるプラスチックの派手な疑似餌なんかより、ずっとずっと手に入りにくいものなのさぁ」
そりゃそうだ。
小魚型に粗く削った木の切れ端が、心なしか光っている。
こんなのは見たことがない。
「けど、これがスゴイんじゃあ。地元で銘木と言われる種類のものは、一個で5万円くらいするからさぁ。中にはほとんど御神木のように崇め奉られているものさえあるんさぁ」

甲イカ用の手作り疑似餌は、お店では決して手に入らない。
オジィは、これでなんと8.5kgもあるイカを釣ったのが最高というのだから、スゴイ!
↑Click
オジィの話によれば、店頭で売っているプラスチックの疑似餌でイカを釣るなんぞ、邪道中の邪道、らしかった。
本当の釣りは、人に頼らず、店に頼らず、長年の経験で培った勘と技術だけで、赤ちゃんほどの大きさもあるイカを、自然と格闘しながら釣り上げるのこそが本道だ、と。
「まあ、オトコのロマン、みたいなもんさぁ」
「はあ……」
「簡単に釣れるやり方ってのはどうも狡い気がしてねぇ。自然の神様に顔向けできないって気がしてねぇ」
沖縄にはいたるところに“神様”がいる。
だから普段、喫茶店などで耳を澄ましていると、東京に暮らす私があまり耳にしないような会話をよく聴く。
「内地(本土)から来た○○さんさぁ、あそこが御獄(神様が宿っていると信じられている場所)だと知らないでずかずかと足を踏み入れちまったらしく、気がふれちゃったらしいよ」
「あそこの家は、ちゃんと拝んでいなかったから、いろいろ不幸にたたられているンさぁ」
霊媒師という立場がシゴトとしてここまで成立しているのは、沖縄くらいなんではないかとも思う。
離島に暮らす人々は何かあると、那覇市に住む霊媒師さん達に、飛行機代と日当を払いわざわざ拝みに来てもらう。
私も何度、地元のオジィやオバァにこんな注意を受けたことか。

波照間島の各家々の東西南北の角には、家を守る神様あり。
↑Click
「むやみやたらに、道以外の場所にずかずか入ってはダメだ」
またある時は、本土から沖縄に移住した人にこんなことを言われた。
「あんまりその辺にあるものを持ち出したりすると危ないですよ、沖縄は。先日も何も知らない旅行者が、大きくてきれいな貝殻を持って帰り、それから悪運にたたられた、と。地元の人に、それは貝殻に神様がいたからだと言われ、元の場所に戻したら、不吉な現象がピタッと止まったそうです」
来る日も来る日もそんなことを聞かされ、私は少し青ざめた。
なぜって。座間味島にいた時、私を島の東部に軽トラックで案内してくれたオジィが、私が「貝殻がきれいだナ」と言う前に、オジィの方が先にせっせせっせと辺りに落ちていた貝殻を懸命に拾い集め、私にごっそり手渡して『東京にはこんなステキなもんはないさぁ、持って帰れ』とくれた貝殻が、鞄に入っていたからだった。
「そういう場合は、大丈夫だそうです。地元の人は、どこにどういう神様が住んでいるか、全部把握しているので、おそらく移動させても大丈夫な場所の貝殻をそのオジィは採ってくれたはずですから……」
「はあ……」
もう一つ、心配になったことがあった。
私には、見知らぬ土地に行くと、そこのお墓をつい写真に収めてしまうという癖がある。
ご先祖様を極めて大切にする場所で、私が好奇心で撮ってしまった一枚は大丈夫か?

沖縄のお墓は立派だ。墓の前の4畳半ほどのスペースでは、
一族集って酒盛りを開くためなのだとか。
↑Click
「シャッターを押すとき、胸騒ぎがしませんでしたか?」
「胸騒ぎ?」
「沖縄では何でも、これはやっても大丈夫、これはまずいという判断をする時に、神様が人に『なんとなく胸騒ぎ』とか『なんとなく悪い予感』という電波を出すんですよ。都会から来る旅行者は、そういう『なんとなくなカンジ』を察知する能力が極端に欠落しているので、それがアブナイ。あなたが撮った時、そういう『なんとなくなカンジ』をキャッチする五感がちゃんと開いていて、なおかつ何も悪い感じがなかったとすれば、大丈夫だと思いますよ」
「は、はあ……」
久しぶりにこんな台詞を聞いた。
アフリカへ半年間行っていた時、この『なんとなくなカンジ』能力が自分の中で凄まじく発達するのを感じた。
『ここの森の奥には、なんとなく猛獣がいるカンジがある』
『ここの路地の角には、なんとなく強盗が徘徊しているカンジがある』
『この人は、なんとなくついて行っても大丈夫な人である』
最初の一・二ヶ月は、結構当たりはずれがあったというのに、半年もアフリカで暮らしていたら打率9割でその勘が当たっていることに、自分でも驚いていた。
でもなぜなのか、東京に戻ったら、アフリカで身につけた『なんとなくなカンジ』が全く役に立たなかった。
世界が完全に違っていたのだ。
なんでだろうと考えた。
東京は、皮膚感覚で生きる場所なのではなく、左脳(理屈)で生きる場所だからなんだろうな、と思った。
アフリカでは、常に全身の細胞を開いて周囲の空気を感知する能力がないと生きていけない。
けれど東京は野生動物がいるわけではないから、背中に目がついていなくても生きていける。
それよりも、ヒト社会の中で、どこにどういうモノがあって、それをどうすれば自分が行きたい方向に行けるのかを、頭脳戦で考えなければいけない社会の中にいる。
昔、アフリカの人は原始人みたい(に遅れている)という台詞を誰かから聞いたことがあった。
けれど。その時私はそうは思わなかった。
環境が、ヒトのどの能力を発達させるか、多分に関係している。
だから、説明的に論理だってモノを考える能力があまり必要ない分、彼らには物事の真相を心で感じ取る直感が驚異的なくらいに発達している。だから、お互いにこっちにあるものがあっちになく、あっちにないものがこっちにあるだけで、どっちの世界も一緒なんだなあと思ったものだった。
沖縄でも思った。
彼らが連発する『神様』とか『勘』は、東京で生活をする私にはただのオカルトに聞こえてしまうのだけれど、でもきっとそれは、逆に言えば、私にそういう能力が欠落しているということの証明なのかもしれなかった。
いずれにしても。沖縄は、皮膚感覚に長けた人々が多く暮らす土地、らしかった。
オジィのイカ釣りの話は、底無し沼のように奥が深く、それはそれは面白かった。
石垣島の本道派イカ釣り仲間の間では、他のどの土地にもない疑似餌の独特のブランドが確立していた。
オジィは、例えば『山川』と言った。
「植物学的に同じ種類にある木でも、なぜか甲イカが食いつく木とそうでない木があるんさぁ。科はもちろん一緒、そこから細分化されてつけられた学名も一緒なのに、だよ。それを、わしらの先輩達が代々、いろいろ実験するんさぁ。その結果、ほぼ100%の確率で釣れる一本の木に、釣り師は自分で命名するんさぁ。その一つが山川……」
「学名が全く同じ木だってさぁ、育った場所、環境によって、形も香りも色も水中での光り方も、それはそれはもう一本一本、全て“違う”んだよ。生き物は全部、全てのものに個体差があるんさ」
「山川という名前がつけられた木はな、幻の銘木なんさ。これで作られた疑似餌は、何年経ってもなぜか、条件が整っていれば100%、しかも時代を超えて甲イカが食いついてくる。これ、大げさでもなんでもないんだよ」
「ワシもびっくりした。ワシの友達が10年ぶりにこの山川を取り出して釣り糸につけた。そしたらそれまでどんな手を使っても釣れなかった日、一瞬で甲イカが食らいついてきたんさぁ。他の同じ種類の木でも全くダメなのに、山川と命名された木だけは別格やったんさ」
そこで私は聞いてみた。
「なんで、甲イカはこの山川だけにそんなに食らいついてしまうんですか?」
「それが謎なんさぁ。それこそ、甲イカに聞いてみないとわからないんさぁ」
山川という名前の疑似餌を手に取ってみた。
木の肌がうっすら光る砂をまぶしたように、キラキラ光っている。
同じ種類の木はいっぱいあるけれど、山川はこれ一本。
山川だけが甲イカに対して、異常な能力を発揮する。そして他のイカの場合、山川はてんでダメなんだ、と。
そっか。同じ種類の人間はいっぱいいるけれど、自分という人はただ一人。
「もしかしたら、ヒトも、ピンポイントで自分の能力を最大に発揮する場所がどこかに必ずあるってことですかね?そしてその場所がスルメイカなのか、甲イカなのか、あおりイカなのか。同じイカでもどの種類なのか、そこまで追求すればさらなる何かが見つかるってことなんですかね?」
オジィはきょとんと私を見ると、次の瞬間豪快に笑った。
「自然は全てを教えてくれるんさぁ。はっはっは」
タクシーに乗ったところで出会ったオジィは、釣りのために仕事をしているような人だった。
ただの客とサービス係という関係だったというのに、見知らぬ人とは思えないほど、いろいろなことを喋った。
「いや実は……。沖縄に来て3日くらい、私、イライラして大変だったんですよ」
「なんでさぁ?」
「だって、あまりにもいろんなことがのんびりしすぎていて、というか、オキナワン・タイムというのがあって、それが私のトウキョウ・タイムとあまりにも合わなくて、摩擦を起こしていたんですよ」
「そうかぁ?」
「だって私、一応今取材仕事で来ているでしょ?一日にこれだけ終わらさなければというノルマがあるんですよ。普通は、というか他の地方では、一応こちらが確固たる意志を持ってそれをこなせば、一通りは終わる。けれど、なぜか沖縄は、それを全て覆されちゃうんですよ。やれお店を訪ねても、営業日のはずなのに『子どもの運動会があるから』休み。国指定の観光地を訪ねても、営業時間中のはずなのに『買い物行ってるから閉館』」
オジィはふんふんと私の主張を聞いていた。
「遊びで来ていればそんなに腹も立たないんでしょうけれど、仕事だから、本当に困った。思い通りいかないから、本当にイライラしていた。けど、三日それが続いて諦めたんですよね。ここは沖縄であって、東京じゃないんだから、自分の感覚を持ち込む方がおかしいのかな、と。そしたら、急に楽しいことがいっぱい降ってくるようになった。その一つがオジィとの出会いでもあったわけです」
「そうかぁ。それは黒潮と一緒やな」
「は? どういうことですか、それ?」
「黒潮と一緒さぁ。よく覚えとけ。運悪く、潮に流されたとするさぁ。けど、潮の流れは本当に早いもんだ。みんな抵抗しようと思って、ジタバタ体を動かす。すると、体力使い切って死んじまうわけさぁ。けどな、そういう時にはさっさと諦める。潮に流されるままになっとくのが得策なんさぁ。黒潮に乗ってフワフワ漂流しとれば、いずれヘリコプターが助けに来る。それまでじっと耐えとくんさぁ」
オジィは続けた。
「ちょっと抵抗してダメなら、いい意味で諦めるんさぁ。するとなんとかなる。ことの方が多い」
「これも、ワシが石垣の自然から教わった知恵さぁ」
あっけらかんとオジィは笑った。
思い通りいかなくて諦めたところで乗ったタクシーの運転手さんが、このオジィ。
それを思えば、オジィの言っていることがまんざら的をはずしているとも思えなかった。
(次回に続く)