

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-10-10 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
「ワシんち、泊まれ」
沖縄にいる間に、何度、この言葉を聞いただろう。
離島の路地をふらふらと歩いていると、「うちに寄ってけ」。
そこで少しでも出された泡盛を頂こうものなら、「このままワシんち泊まってけ」。
入松田さんというそのタクシーの運転手さんもそうだった。
ただのタクシー客である私をミラー越しに見ながら、「ワシんち、泊まれ」。
「汚いけどな。はっはっは」
そしてこう続けた。
「あんた、いくら仕事とはいっても、ホテルで一人じゃ寂しいさぁ」
負けギャンブルも平気でいられるくらいでないと、いい旅はできない。
「……。そんなこと言うと、本当に行っちゃいますよ」
「当たり前さぁ、来ていいから、言ってるんじゃないかぁ」
私は他の離島での仕事を終わらせた後、タクシー運転手さんの家へ行くことにした。
二日後、桟橋に、子どものような笑みを湛えたオジィが、タクシーで迎えに来てくれていた。
「あ。お家までのタクシー代、払いますよ」
「要らんよ。前に使ってもらったから、今日はいいんじゃ」
そして、タクシーはまた、メーターを倒さないまま、私を乗せて走りだした。
「あの……ちょっと買い物がしたいんですけど……」
オジィはタクシーでスーパーマーケットに乗り付けた。
「あの……ちょっと荷物を送りたいんですけど……」
オジィはタクシーで、クロネコヤマトの営業所に乗り付けた。
メーターは相変わらず作動させないまま。
最初は心苦しくていたたまれない気持ちだったのだけれど、私はなんだか可笑しくなってきた。
「……は、ははっ。はっはっは。ホントにこんなんでいいんでしょうか、ヨノナカ」
するとオジィも、ミラー越しに私を見て野太い声で笑った。
「ハハハハハ。いいんじゃ、これがヨノナカ……じゃないのかね?ワシ、何かヘンかね?」
「ヘン、ですよ」
「ナニがさぁ?あんた、訳のわからんこと言うとるね」
「いや、運転手さんの行動の方が、私にとってはワケ、ワカリマセン!」
虫の声が聞こえ始めた夕暮れ時、タクシーは団地の前でエンジンを止めた。
オジィの家は団地の三階。小さくて、本当に庶民的なお家だった。
オジィは慌てて家の中を片づける。
ハンガーにたくさんかかった衣類、薄めのカーペット、そして網がなく、羽根が剥きだしになった扇風機がくるくると回っていた。
「この扇風機は、息子の嫁さんが捨てようとしていたのを、もらったんじゃ」
「動かなくなっても、ちょっと油をさせばまだまだ使える。それを捨てるのは、もったいないさぁ」
オジィは、さきほどスーパーマーケットで一緒に買った150円のヘチマを切り始めた。
「本土の人はヘチマは食べるもんじゃないと思ってるらしいけど、食べれば美味いんだぞ」
鍋の中に豚の三枚肉を入れ、かなり長い時間煮た後、ヘチマを放り込んだ。
そして味付けは味噌。シンプルな男の料理である。
「ところで。運転手さん、ご家族は?」
「息子がおるよ。母ちゃんは30代の時に病気で逝った。それはそれは美しい女性じゃった」
「女性というのは、本当に美しい。女性の体を見て、美しいと思わんオトコはどこにもいないさぁ」
東京あたりでこの台詞を聞いたら、「セクハラです!」と目くじらを立てるところなのだろうけれど、沖縄という風土は不思議とそういう率直な会話が似合うところだった。
笑顔で顔をくしゃくしゃにするオジィを見ながら、私はハッハッハと大きな声で笑った。
(ところで。赤の他人、しかも一応女性である私が、見知らぬ男所帯に入り込んでいいのだろうか)
奥の部屋には、息子さんがいる気配があった。
「うちは母ちゃんがいなくなってから、みんな自分のことは自分でするようになっているから、夕飯も勝手に食べることになってるんじゃ。気にしなくていいさぁ。あんたも勝手にくつろいでなぁ」
そうはいっても、やっぱり気になる。本当に大丈夫なのかなあ……。見知らぬ男所帯なのに。
……と。
オジィは突然、ヘチマを煮る手を止め、私に向き直って言った。
「ワシがあんたにうちに来いって言ったのはさぁ……」
胸が高鳴った。モ、モクテキは……。
オジィは自分の部屋へ入っていく。
そこには簡素な寝床が敷いてあった。オジィはそこでごそごそと何かをし始めた。
「おうっ、こっちへ来いさぁ」
私は部屋の中を思わず凝視した。
「来い、さ」
沖縄という本土とは風土が全く違う見知らぬ土地で、見知らぬタクシーの運転手さんの家に誘われた、その彼の目的は、も、も、もしや……。今までのあの笑顔と行き過ぎたサービスはも、も、もしや……。
全身を凍らせながら、オジィの様子を見守った。
顔だけ出して部屋を覗くと、オジィは相変わらず何かをごそごそと探していた。
逃げるなら今か。
財布が入った荷物ももう部屋に入れられてしまったし、無一文で逃げるか。
心臓がバクバクいう。
部屋からオジィが出てきた。
「どうして来ないんだ?」
「……」
「ワシがあんたを誘ったのはぁ……」「ワシが家に来いって言ったのはぁ……」
ナニ?ナニ?ナニがモクテキ? 私は今にも泣き出したい心境だった。
「ワシは、これをどうしてもあんたに見せてあげたかったのさぁ」
オジィの部屋には、甲イカを釣る時の疑似餌が50本ほど、ズラリと並んでいた。
それも、よくお店で売っているような派手色のプラスチックの疑似餌ではなく、木でできた素朴なもの。
小魚の格好をした木製の疑似餌がずらりと壁にぶら下がっていた。
「『本当に海がきれいですね』と本土から来たお客さんはいつも言う。ワシらと海を見る目が全然違うんさ。お客さんが海の表面を見ている時、ワシらの目はいつも水面下を見とる」
「こういう波が立っていて、このくらいの気温で、水面がこういう色に見える時には、下にこういう魚がおるな、とか、珊瑚がこういう状態になっとるなとか、今あそこのポイントに行けば、イカが釣れるな、とか……」
「ワシらにとって、海は戦うところさぁ。海というのは、5分先に何が起こるかわからん。今の今まで天国のように美しい場所だった海が、5分後には地獄になるんさ。そんな時に第三者に助けを求めるような感覚を持っていると、そういうヤツはすぐ死ぬ。ワシの友達も、海で死んだ」
オジィが淡々と海の話を始めた横で、私は思っていた。
いわゆる“都市化”していない場所では、ヒトの戦いの場が対自然にある。
だから、逆に言うと、ヒト同志は争っている場合じゃなくなるし、それよりも沖縄の“ゆいまーる”という相互扶助の精神に代表されるように助け合わなければお互いにやっていけない。
アフリカだってそうだった。あまりにも過酷な自然の中で人が暮らしていかなければならないから、あれだけ争いが多いように言われているアフリカだって、意外と部族の村に入ってしまえば、徹底した相互扶助的協力関係の中で人の社会が成り立っているのをかつて目の当たりにした。
けれど。人の住む場所が都市化していくにつれ、ヒトにとっての敵は対自然から対ヒトへと移行していく。
東京ジャングルという言葉もあるけれど、都市化構造が進んでくると、ヒトがその日のゴハンを得る場所が海ではなく、畑でもなくなり、ヒトがヒトの手で創り上げた資本主義構造という場所がゴハンを得る場所そのものに代わってくるから、ビジネスという名の戦いの場で、ヒトは時として同じヒトを蹴落としてでも生き延びようとせざるをえない状態になっていくんだなあと思った。
それは良い悪いの問題ではなく、沖縄・石垣にはまだない、都市という構造の宿命なんだな、とも。
昔、ビジネスでも成功し、最後は大学の先生をやっていた祖父がいつも言っていたことがある。
『どんな状態になろうとも、ヒトは土や海から離れては絶対にダメだ。おかしくなる』
新聞などで昔はなかったという種類の犯罪が今あることは、日本の構造がそれだけ進んでしまった必然なんだなと、オジィの横顔を見ながら、ふとそんなことを思い出していた。
私が疑似餌に感心を示すより先に、オジィは壁に並んだ疑似餌をさも愛おしそうに手の上に乗せた。
「釣りというのはぁ、網で大量に捕ることが釣りじゃない。それは邪道というもんさぁ。たった一匹のイカとの戦いにヒトとしてのオレがこの手作りの疑似餌を用いて勝つことが、本当の釣りというもんじゃ」
私の心配は全くの杞憂に終わった。
オジィが「ワシんち泊まれ」と言ったその目的は……。
オジィはただひたすらに、自分が集めた手作り疑似餌のコレクションを、海というものを全く知らない東京育ちの私に心の底から見せてあげたかった、ただそれだけが理由だったことに、私は思わず奥歯で笑いをかみ殺した。
(次回に続く)