

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-10-03 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
オキナワ……。南の果ての島々。
東京にいて、沖縄料理を食べ、夏祭りでエイサーを踊ったりしていたけれど、行ってみようとは思っていなかった。
それが。
ひょんなことから、オキナワの離島を仕事で巡ってみることになった。
10日間、オキナワという世界を、私は漂流した。

三つ星タクシーの入松田オジィ。まさか運転手さんの家に泊まることになろうとはなあ。
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9月も終わりだというのに、沖縄は、ぎらぎらした真夏の太陽が照りつけていた。
タクシー初乗り390円。
オキナワ的おかしなことはタクシー乗車から幕を開けた。
東京的感覚が抜けない私は、ぶっきらぼうに「○○ホテルまでお願いします」と言った。
するとタクシーの運転手さんは、柔らかい表情で「どっから来た?」と話しかけてきた。
正直言って、私は答えるのも面倒くさかった。というのも、前日まで仕事一辺倒で、仕事以外で他人とごく普通のコミュニケーションをするということが、下手になっている自分に気付いていたからかもしれなかった。
運転手さんは、そんな私の硬い表情を気にもとめずに、口元を緩めてもう一度言った。
「あんた、どっから来た?」
「東京です」
「ほう、東京はどんな天気かね?」
にこにこしながら、ミラー越しに私を見る。
(なんて人なつこい運転手さんなのかしら。沖縄の人ってみんなこうなのかしら)
それでも、見知らぬ人とむやみに話をしないという東京モードが身に付いている私にとって、タクシーの運転手さんと世間話をするのは、ちょっぴり億劫だった。
「だいぶ、涼しくなってますよ。ここは暑いですね」
私はそういって、額の汗をぬぐった。
すると、タクシーの運転手さんは、いきなり車を止めて、缶ジュースの自販機の前に立った。
「あんた、何飲む?」
それまでタクシーは単なる移動の手段と割り切り、無表情を決め込んでいた私にとって、沖縄のタクシーの運転手さんが、私の分まで缶ジュースを買ってくれようとしているのを見て、ちょっと気持ちが緩んだ。
「え、あ、え、いいんですか? いや、悪いから自分で買いますよ。お茶がいいんですけど」
オジィ(沖縄ではおじさんのことをこう呼ぶ)は、黙ってうっちん茶というウコンが入った沖縄独特のお茶の缶を一つ、私にくれた。
「飲みなさい。体にいいさぁ。この中に入っている成分が体にいい」
そしてハッハッハと笑いながら、付け加えた。
「まずいけどな」
見知らぬタクシーの運転手さんにおごられたのなんて、初めてのこと。
私は思わず、120円を払おうとした。
「要らないさぁ。沖縄は暑いから、あんたも喉が渇いたでしょ。わしは水があるから」
オジィは、水道水を入れたペットボトルを持ち歩いていた。
(お茶が入ったペットボトルじゃなくて、水道水を入れたペットボトルを持ち歩いているところを見ると、沖縄のタクシー稼業、そんなに優雅でもないはず。なのに、お客に自腹でおごってくれるなんて……。何か下心でもあるのか……)
オジィは相変わらず、ヘラヘラと笑いながら一方的にオジィの喋りたいことを勝手に喋っていた。
オジィが楽しそうに話をすればするほど、私は次第にわけがわからなくなっていった。
その理由は。オジィの様子が心から楽しそうにしていたからだった。
オジィは言った。
「仕事が楽しくてしょうがないんさぁ。いろんな人と出会えるからね、この仕事」
前日まで、私は仕事でくたくたになっていたから、こんなに無邪気に仕事が楽しいと言える人を逆に疑った。
(仕事が楽しいなんて、きっとムリしてリップサービスでそう言ってるに決まってる……)
私が心の中で何を思っていても、全くそれにはお構いなしと言った感じで、オジィは喋り続ける。
「タクシーに乗るお客さんが、沖縄の海はきれいだって言うから、わしはそうなんかなあってびっくりしたわけですよ、お客さん。わしらにとって、海っていうのは、みんなどこでもこんなもんなんだと思ってますからね」
目的地に着いた。
一応、その運転手さんの名刺をもらった。
なぜって、客にお茶をおごってくれるなんて、あまりにもヘンな運転手さんだから。
しかも、ぶっきらぼうに冷めてる私を相手に、ずっとにこにこと沖縄の自然についての話しをするなんて、随分と奇妙なオジィだから。
車を降りたとき、なんでだか、随分と気持ちが明るくなっている自分に気付いた。
足取りも軽く、街を徘徊した。
夕方、またタクシーが必要になった。
財布の中に入れた名刺を取り出した。また、あのタクシーに来てもらおうかな。
そしてオジィはやってきた。
一応、沖縄に取材で来ていた私は、夜、どうしても撮影しなければならないところが一カ所残っていた。
そこへお願いしますと伝えると、オジィは言った。
「おお、あんた、仕事で来てるんか。本当にお疲れよぉ。大変さぁね」
走り出した時、また初乗り390円のメーターが動き出す。
と思ったら。
オジィは、メーターを倒さなかった。
私はかなりびっくりした。
「あの……メーター倒すのを忘れてますよ」
「あ、これ? あぁ、サービス、サービス。昼間に仕事させてもらったでしょ? だから今はお金要らんよぉ」
私は目が点になった。
だって……タクシーがお客さんを乗せて無料で走るなんて、昔ならまだしも、今の時代にそんなことが現実に起こるなんて、どうしたって信じがたいもの。
頭の中が、かなり混乱した。
「あんた、仕事これで終わりかね? 沖縄来て、仕事ばっかりしとったら大変さぁ。石垣島は仕事で来たって楽しいとこなんだよぉ。もし時間があったら、ワシがこれから夜景見えるところに連れて行ってあげるよぉ」
(……いったいどういうことなんだ!!何が私の身に起こっているのだ!!)
ついさっきまでは仕事、仕事、仕事に追われる感じに随分と怖い顔をしていたであろう自分が、気付けば私もオジィにつられて一緒に笑っていた。
「あんたに、石垣島の夜景を見せてあげたいなぁ。あれは本当にきれいだ。内地(本州)から来た人には、見せてあげたい」
「でも……ガソリン代とかかかりますよね?あの……無料というのは、まずいと思うんですけど」
「ワシが見せてあげたいって言ってるんだから、無料で案内してあげたいと言っているのに、どうしてまずい?」
メーターを倒さないタクシーは、石垣島の町中を走り抜ける。
仮にも、人を乗せることを商売でやっているタクシーに、ただ乗りしている私は、なんだか悪いことをしているようで、気が気ではなかった。
「あの……人をタダで乗せてるって、バレないんですか?」
「そりゃあ、わかるさぁ。天井のライトがついてないのに、人が乗ってれば」
「じゃ、あの……同じタクシー会社さんのタクシーに、怒られないんですか?」
「はぁ、これ? ワシがこのタクシーのボスなんだから、誰も何も言わないよぉ」
「けど、タクシー会社さんのタクシー、ですよね?」
「そうだけど、このタクシーの中では、ワシがボスだから、ワシの気持ちが一番大切だ。ハハハハ。仲間だって、みな暗黙の了解よぉ。ワシ、何かヘンなことを言ってるか? あんたにそうも言われると、こっちがヘンなことをしている気分になってくるさぁ」
「はい、ヘンです。少なくとも東京じゃ、自分の気持ち次第でタクシーにタダでお客さんを乗せるなんてことなんて、絶対にあり得ませんから……」
「そうかね? ワシがあんたに島の夜景を見せてあげたいと思ってる。それで何が悪いのかね?」
「??????」
私はことごとく、理解に苦しんだ。
私を乗せたタクシーはぐるぐると1時間あまりも島をまわり、ちょっとした丘に到着した。
小さな島の小さな夜景は、可愛らしかった。
虫の声が耳に優しい闇の中で、ホタルが光っていた。
私があっと声をあげると、オジィは自分の携帯電話を取り出し、その明かりで一生懸命にホタルを照らした。
「あんた、見えるか?ほら、島のホタルはこんなに小さいんだ。可愛いよぉ」
オジィはぽーっとしながらも、まるで子どものように懸命にホタルを追いかける。
「こんなに小さいのに、ホタルは頑張ってるよぉ。これが石垣島のホタルさぁ」
無垢な横顔は、もうタクシーの運転手さんでなく、自然を愛するただの一人の島民だった。
「島には、いろんなものがいる。あんた、ほら、写真撮らなくていいのかぁ?」
その時、私は別のことを考えていた。
東京では、仕事は仕事として割り切ってやっていなければ、やっていけない部分がある。
そうして、そんな環境に合わせてがむしゃらに仕事をしているうちに、ココロで感じるところを忘れていく。
ココロ先行で仕事をしていたら身が持たないからそうならざるを得ないのだけれど、それにしても最近の私は忙しいということを理由に、あまりにもココロを置き去りにしていたなあと、反省した。
オジィの表情を見る限り、下心なんてどこにもなかった。
本当に心底から、自分の愛する島を、外から来た人に見せてあげたいと思う、ただの人間・オジィだった。
そして。
オジィだけがそういう性格だったのなら、その特性は個人のものとして片づけられる。
けれど、これが不思議なことに、私が出会う人の中に、かなりの確率でオジィのような人がいた。
だから、これは沖縄という環境がそうさせているんだろうと思った。
知り合いだったわけでもない、赤の他人の私に、自分のまっすぐな気持ちを露骨にぶつけることができる沖縄という環境がニッポンにあることを、私は誇りに思った。
オジィのタクシーは、結局私を乗せたまま、あっちへこっちへと2時間あまりもタダで走り続けた。
オジィの懐は全く潤わないというのに、私のココロはすっかり潤いを取り戻していた。
すっかり打ち解けて、車内でオジィといろんな話をした。
オジィは私に訊いた。
「あんた、ホテルはどこに泊まってる?」
私が場所を言うと、オジィは言った。
「島に知ってる人もいないで、一人なんて淋しいなあ。うちに泊まれ」
私は再び仰天した。
タクシーに乗って、運転手さんに家に泊まれと言われるなんて、いったい全体、本当にここはニッポンか?
「ワシの家は汚いよ。でも片づければなんとかなる。泊まってけ」
私にとって初めてのオキナワには、東京出身の私には理解しがたい感覚が普通にまかり通っているようだった。
(次回に続く)