

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-09-19 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
そして。
おばあちゃん宅に集合した人々の中で、一番先を背中を見せて歩いていたのが、70代になるMちゃんのおばあちゃんだった。
おばあちゃんは、普段は一人暮らし。
朝は6時頃に家を出て、観光ホテルの仕事に行く。
そして昼間少し帰ってきたかと思うと、また午後4時半頃から夜10時半まで、民謡を歌う仕事にでかけ、真っ暗な闇の中をくたくたになって帰ってくる。
八丈島は、若者達が東京に行ったまま帰郷しないケースが多いため、一人暮らしの70代、80代がとても多い。
聞いた話だと、94才になるおばあちゃんが一人暮らしで頑張っているという例もあるらしい。
とにかく。5人の息子を育て上げたおばあちゃんは、その後旦那さんを亡くしてからというもの、朝から晩まで働きづめに働いて、それでもなお、少しでもあいた時間を来客である私達のためにお寿司を作る時間にあてる。
「一人だから病気にもなれないからねえ。一人で自分が自分がと考えこんでしまうよりも、とにかく全ては仏壇のご先祖さまが守ってくれていると感謝しながら、今できることをやってるのが一番ええ……」
おばあちゃんはそう言って、梁の上にある旦那さんの写真と、今は亡き父母の写真をちらりと見る。
集団の一番先頭をしっかりと歩いているおばあちゃんの背中は、それだけで後続の私達を説得させる重みがあった。
「一年に一度でもこうして顔を見せてくれるから、それだけでも感謝や」
70代に入っても、働き盛りのサラリーマン並みの時間を、ホテルの仲居さんとして働いているおばあちゃんには、本当に頭が下がった。
と同時に、この人がここまでしっかり踏ん張っているのに、道の半分しか来ていない私があれこれ迷いや悩みを持っているのはなんてバカバカしいと私に思わせた。
このおばあちゃんがここまでしっかりと生きているんだから、私もそれについて行こう、そう思った。
おばあちゃんは、説教くさいことは何一つ言っていない。
なのに私の方が自然に頑張らなくちゃと思えたのは、懸命に立っていようとするおばあちゃんの背中のお陰だった。

Aおじいちゃんは、アロエだって自分で育てる。アロエは八丈島特産。
これがあれば、アロエヨーグルトだって自分で作れる。つるりとした食感がなんともフシギな食べ物なのだ。
八丈島ではこれをお刺身で頂く。
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島に滞在中、おばあちゃん宅を訪ねてきたAさんというおじいちゃんの話も壮絶だった。
今年で78才になったというおじいちゃんは、サトウキビ畑の手伝いをするためにサイパンに渡った両親に連れられ、幼少期をサイパンで過ごした。
いろんな事情が重なって、日本に帰国した翌年、サイパンは玉砕した。
仲間はそれでみな、亡くなった。
おじいちゃんは、八丈島で仕事を見つけ、家族を持った。
息子達を独立させ、定年も近くなった時、奥さんを病で亡くした。
数年後、お見合いをして、二人目の奥さんをもらった。
おじいちゃんは、仕事を60才でやめてから、何か自分の手でモノを作る仕事がしたいと工務店に入り直した。
60代になってから、また、高校生がアルバイトを始めるように、ゼロからの修行をスタートさせたのだった。
そしてやっと工務店の仕事を覚え、近所の家の改修工事ができる腕前になった頃、二番目の奥さんも逝った。
またおじいちゃんは、一人暮らしになった。
78才になっても、近所から便利屋さんのように慕われているおじいちゃんは、毎日体を動かし続ける。
健康的に黒々と焼けているおじいちゃんは言った。
「ニンゲンは、いくつになってもやっぱり体を動かして仕事をしていなくちゃ、ダメになるからな」
おじいちゃんは、なんでも自分の手で作る。
塀作りからペンキ塗り、洗濯ばさみまで、自分で創る。
78才で仕事を続けたままの一人暮らし。
きっと心の中は不安でいっぱいのはずだというのに、ちゃんと前を向いて歩いていた。
そして顔だって、しっかり笑っていた。
それはそれは、スゴかった。
いろいろ迷った時に本を何冊読むのよりも、おじいちゃんの背中はそれだけで年下の者の迷いを払拭させるくらいのエネルギーが詰まっていた。
おじいちゃんとおばあちゃんと私とがいろんな話に花を咲かせている時、仏壇の隣の第一世代がどこか私達を慈しみながら見てくれているように私は感じた。
赤い絨毯の上を歩き続ける先頭集団がしっかり前を向いて歩いてくれている限り、その後ろにいる私はただそこに行くまで歩き続けていればいいんだ。それが、八丈島で見えたことだった。
自分の位置を客観視できなくなった時に、ヒトは迷う。
そういう時には、思い切って世代の縦の糸が見える場所へ行けばいい。
そうすれば必ず、自分の現在地が見える。
すると、好むと好まざるとに関わらず、終点までのペース配分を考えざるを得ない。
と同時に、迷っているヒマはないということに気付くのだ。
2003年夏。偶然誘われてついていった八丈島のおばあちゃんの家。
世代の縦の糸がしっかりと見えた環境は、私に自分の現在地と歩いていかねばならない先を見せてくれた。
先が見えた瞬間に安心した。
歩き続けるおばあちゃん、お父さんを見習って、自分もひたすら足を動かして歩いていればそれでいい。
だから。私は明日もまた、いつ迎えられるかわからない終点に向かって、歩き続けようと思う。