

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-09-12 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
子どもは発明の天才だ。
私がお皿を洗っていたら、猫王国だけの、ゴシゴシ体操をミナミちゃんが考案してくれた。

今回の八丈島への旅に誘ってくれたのが、このMちゃん。
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足を肩幅程度に開き、お皿を持った左手をしっかり伸ばし、鏡を持つように顔の前に置く。
そしてタワシを右手で握りしめ、猫王国音頭と共に右から左へ、ゴシゴシにゃ〜、ゴシゴシにゃ〜と謳いながら、さらにはお尻も一緒に左右に振りながら、洗う。
手際よく洗うよりもやたら時間はかかるのだけれど、お皿洗いという日常業務が格段に楽しくなった。
同じバージョンで、猫王国のフキフキ運動も考えた。
フキフキ体操では、フキンを持った手を左右に動かすばかりでなく、お皿を前後上下左右に動かしながら、腹筋、背筋、手足の筋までを一緒に動かし、腰までをも鍛えるという運動。
まるで小柳ルミ子が台所で柔軟体操をしながら料理を作っているシーンみたいだなあと思いつつ、4才と7才の彼らが小柳ルミ子を知るはずもなく、私は笑いが吹き出して仕方がなかった。
泥猫運動というのを考案したのも、ミナミちゃんだった。
泥猫というのは、泥棒猫の略。ピンクパンサーの曲に合わせて、台所のまな板の上に乗っている美味しそうな大根や人参を銜えて逃げてくるという運動。
抜き足差し足で、4才と7才と30代の私が一列に並んで泥猫運動を展開。
ミナミちゃんのお母さんは、私と同世代。
目と目があってしまった時には、どういう反応をしてよいものやら、私は全身の血が熱くなるほど困惑した。
そしてまた、猫会議でいろいろ遊びを考え出し、“もしもゲーム”も行われた。
私がお題を唱える。「もしも、ミナミ猫が炊飯器だったら……」。
ミナミちゃんは、自分の両手をフタにみたて、床に座り込んだ。
私がその両手を持ち上げて、といだお米を入れ、スイッチを押したフリをすると、炊飯器になったミナミ猫はぐつぐつと中を沸騰させ始めた。
もう炊けたかなと思って両手を持ち上げると、ミナミは両足をバタバタさせて私の視界を遮った。
「これは湯気、なのだにゃ〜」
(おぬし、なかなかやるにゃ〜!炊飯器で湯気を表現するという発想までは、なかなか辿り着かないもんだにゃ〜)
全身で炊飯器を表現したらどうなるか。
これだけで、二時間も三時間も楽しく遊べた。
全くお金のかからない、それでいて爆笑が渦巻く遊び。
掘っても掘っても掘り尽くせない発想で、いろんなことを考え出す子どもには、本当にかなわない。
世代の縦の糸のちょうど真ん中にいる私は、ミナミちゃんとショーくんの顔を見れば、自分の中に湧いて出てくる言葉が全部、猫語になってしまうのだった。
私はどうもさっさとチャンネルの切り替えというものができない。
ミナミくんとショーちゃんと猫語でさんざん喋った後、同じくおばあちゃんの家にいる女子大生のMちゃんと喋らなければならなくなった時、思わず「今日の晩ご飯は何にするにゃ〜」と余計な一言がくっついてしまって困った。
基本的に、私は20才のMちゃんとはいわゆるタメ語で喋っている。
彼女の方は「です・ます調」で話しかけてくることも多いのだけれど、どこか早熟な彼女の性格も手伝って普段はあまり、10以上の年の差を私に感じさせることがなかった。
一緒に生活をしている間に、彼女の将来の夢をいろいろ聞いた。
将来は、この八丈島で、心を病んだ人を動物を使ってセラピーするという仕事に就きたいんだという。
テレビ番組に夢中になり、より具体的になってきた自分の道を模索し、携帯メールで友達とやり取りをする。
そうして大学を卒業したら……という明確な意志のもとで、それに関わる情報を集めひたすら邁進している。
彼女の横顔を見ながら、私にもこういう時代があったなあと思い起こした。
というか、久しく振り返ることのなかった自分の過去、または初心のようなものを、彼女が感じさせてくれた。
私がMちゃんと同じ年の頃は、とにかく何でもやってみたくてやってみたくて仕方なかった。
でも何かをするにはお金が要る。
だから時間を惜しんでアルバイトをし、そのお金を全て、自分がやってみたいと思っていたことにつぎ込んでいた。
さすがにミナミちゃんとショーくんの時代のことは、記憶に遠すぎて思い出せないのだけれど、Mちゃんの年頃のことは記憶は鮮明。
いろんな制約にジタバタしながらも、とにかく自分の道を見つけようと思って、なんでもかんでも、目の前に降ってきたチャンスをつかまえていたような気がする。
あの時代があったから、今があるって、心底思う。
Mちゃんの話を聞きながら、精一杯やり抜いて欲しいなと心の中でそっと応援した。

釣り上げたばかりのカンパチを喰らう。緑の葉っぱは、伊豆名産の明日葉。
今日採っても明日にはすぐ生えてくるというところからこの名前がついたそうなのだけれど、これは美味しい。
セロリにも似た苦さがあり、お醤油&マヨネーズで茹でたのを頂くのは、最高。
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小さいところから世代順に行くと、ミナミちゃん、ショーちゃん、Mちゃん、そしてその次に私がいた。
そして。ほんの少し前には、ミナミちゃんとショーちゃんのお父さんとお母さんが歩いている。
二人の軸は、家庭を守るというところにエネルギーの全てが注がれていた。
お父さんは研究所で毎日働き、お母さんはミナミちゃんとショーくんの面倒を見るのが仕事。
自分達の夢、はとりあえず脇に置いて、二人の子どもを育てるというところに最大の目標が置かれていた。
何をするにも、まずは子ども達が中心。
それを二人の大人がいつも遠くから優しく見守っている。
ショーくん達と一緒になって「おはようにゃ〜」なんて寝ぼけたことを言っている間はない。
ミナミ&ショーくんコンビとほとんど同じ目線で遊んでいた私は、自分とあまり変わらぬ年のお父さんお母さんと真っ正面から言葉を交わすのが、なんだか妙に照れくさかった。
オトナにはオトナの世界がある。
ついさっきまで「おはようにゃ〜。フキフキにゃんにゃん!」なんて彼らのご子息と一緒にやっていたというのに、急に「オシゴトは何をなさっていらっしゃるんですか?日本経済も昨今は……」なんていうオトナの会話をしようとすると、なんだかどうしようもなく恥ずかしい気持ちに駆られ、言葉が出てこないのだ。
4才&7才の世界の軸と、30代のオトナの世界の軸との間には、ギャップがありすぎた。
チャンネルを合わせるのに、また少し、時間が必要だった。
そしてその先には、Mちゃんのお父さんがいた。
彼は今40代後半。
お父さんとMちゃんは、びっくりするほど仲がいい。いつも他愛のないことで、じゃれ合っている。
お父さんとしては、Mちゃんが連れてきたトモダチである私を、ムスメの友達なのだからムスメのように扱いたかったに違いない。
けれど。年齢からいくと、私はMちゃんの年と、お父さんの年のちょうど真ん中。
お父さんもいったい私にどういう口調で話せばいいものか、私との距離を相当測りかねていた。ように見えた。
日本語は、丁寧、謙譲、尊敬など、それぞれ相手が目上かそうでないかによって言葉が変化する分、扱い方が本当に難しい。
英語だったら日本語と比べてそういう縦社会特有の言葉は存在しないに等しいから、関係性もフラット。
けれど、日本語は言葉遣いによって、お互いの立ち位置を完全に決められてしまうのだ。
お父さんだって、かなり困ったろうと思う。
娘に接するように「おい、これ、旨いから食えよ!」と軽く言っていいものか、それとも「これ、味がいいので是非食べてみて下さい」と言うべきなのか。
私だって混乱の極みだった。
4才&7才コンビと「おはようにゃ〜」と喋ったかと思えば、Mちゃんとは「〜じゃん!」という会話調を多用したタメ語で喋り、初対面の4才&7才コンビの父兄とは「〜です・〜します」の丁寧語で喋り、Mちゃんのお父さんには「お茶、お飲みになられますか?」と尊敬語で語りかける。
喋っている言語は一つなのに、目を見る相手によって語尾と調子を変えなければならない忙しさに、数カ国語を同時に操っているような感覚にさえ陥った。
Mちゃんのお父さんは、ばりばりの仕事人だった。
とある専門分野で上層部にまで上り詰め、その業界では知らない人はいないというところまで頑張った。
上り詰めた分だけ、仕事の内容は相当にきついはず。
「どうして遊びだとこんなに早く時間が過ぎていくんだろうなあ……」
お父さんはビールを片手に、仕事のことを忘れられるおばあちゃん宅での時間を心から満喫しているように見えた。
いろいろ話を伺うと、お父さんの頭の中には定年後の夢がいろいろと育ってきているらしい。
娘も20才になってそろそろ手が離れた。
あとはゆっくりと、自分の趣味に没頭したい。
お父さんは、趣味の園芸のことを語る時、まるで少年に戻ったかのように、目をキラキラさせていた。
その話の内容からは、お父さんはこれから仕事を辞めてからのジンセーをどうするか、それをいろいろ描き、そのための準備をしていくことに、全ての軸が置かれているようだった。
(次回に続く)