

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-09-05 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
夏、Mちゃんのおばあちゃんの家には、4世代に渡る人々が集合した。
そして古い家の梁の上には、おばあちゃんの1世代前の人々の遺影も飾られていたから、それも合わせれば5世代。

天候不順の夏を受け、八丈島もちょっぴり肌寒い。
それでも潜ってみると、岩場の陰にいろとりどりの魚がいるのを見つける。
彼らが小さな体で泳いでいるのを見るとき、なんだかこっちがゲンキになる。
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そんな私達をじっと見守るように、小さな神棚には摘んだばかりの野花が揺れている。
『世代の縦の糸がしっかり見える……』。
4才と7才の子ども、20代、30代、40代、50代、70代、そして亡くなられたご先祖様が集った、おばあちゃん宅。
そこで、私は自分の行く先を見た。
そして今、2003年に歩いている場所を、見た。
神棚を一番先頭にして、次にご先祖様、おばあちゃん、50代、40代が、私の前を歩いていた。
そして私の後ろに20代と子ども達が、私の背中を見て歩いていた。
それはまるで、神殿に向かう参道の上を、世代順に歩いているような感じを私に抱かせた。
もしくは、奥の間に向かって敷かれた真っ赤な絨毯の上を、世代順にそれぞれがそれぞれの背中を見ながら、すっくと立っているような……。
それを感じた瞬間。不思議なことに、肩凝りが消えた。
頭と肩の上に抱えた鉛のような迷いが、すべてふわりとどこかへ飛んでいったような感じさえした。
あの不思議な感覚を、なんて言えばいいんだろう。
自分でもここしばらく味わったことのない安心感に、体ごと包まれた。
焦りや不安感が吹き飛び、世代の縦の糸の中にしっかりと自分の現在地を確認できたことが、自分の気持ちを等身大にさせたのかもしれない。
とにかく、自分の今いる位置を長いスパンで確認して、こう思った。
『私“も”、ただひたすらこの道を歩いていれば、それだけでいいんだ』。
ただ歩いていれば、いずれこの先にある仏壇に行き着く。そしたら素直にそこに入ればいい。お家に還ればいい。
それまで私がやらなければいけないのは、その終点までただひたすら、淡々と歩き続けることだけ、なんだ。
楽しかろうが、苦しかろうが、その先には終点があるという、普段の日常生活の中では感じることのないジンセーの時間の有限を体感したことが、もしかしたら私に安堵を抱かせたのかもしれなかった。

これが島特有のフルーツ、島ウリ。
この味をなんと形容しようか、何日もおいてカスカスに柔らかくなったリンゴから甘みを取った感じとでも言おうか。
噛みごたえというものが全くない実に、砂糖をつけて食べるのが八丈流。
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もし。ヒトが全員、いつ終点になるか完全に見通せたら、ジンセーを逆算するだろうと思う。
普段の日常生活においては、終点がどこらへんにあるかなんて感じている機会はない。
というよりも、核家族が増えて世代間の断絶が激しくなってしまった今、どこかジンセーというものの時間に対しても視野狭窄になっていて、ある部分、有限だということも感覚が麻痺してわからなくなっているような気がする。
かくいう私も、友達にしたって、仕事仲間にしたって、普通に生活をしていれば、自分と30才以上年の違う人と密に付き合うなんて機会は本当に少ないから、どこか視点が同世代だけに留まってしまっているのだ。
けれど。
5世代が同じ屋根の下に集まると、自分の現在地がはっきり見える。
私は、とりあえずジンセーという時間の真ん中まで歩いてきてしまったんだなあ、ということが、よくわかった。
これが全くフシギなもので、世代の縦の糸がここまではっきり見えると、まるでマラソンのペース配分を選手が考えるように、自分の年代毎の残りの力配分を、感覚的に掴みながら考えることができる。
先が見えすぎるとイヤになってしまうこともあるけれど、でもジンセーという名の舞台では、ある程度先が見えた方が、逆に一生懸命生きようという気になる。
学校だって卒業があるから、それまでに好きな男の子になんとか気持ちを伝えようとするわけだし、会社に入れば仕事の締め切りを設定されているから、逆算でそれまでにどうすれば良いかをヒトは考える。
少なくとも終点が明確なら、ダラダラと時間が過ぎるのを待つという風にはなりにくくなる。
でも普通、私の世代では、まだまだ終点のことなんぞ、考えない。というか、考える機会もない。
だから、ともすれば、今の状態が永遠に続くような感じさえして、自分でも時々自分が何をやっているのかわからなくなる。そうすると、迷いのようなものが、自分の中で勝手にどんどんでっかくなっていく。
私もちょっぴり、ちょうどそんなものを抱えていた。
そんな時、5世代が集うおばあちゃん宅を訪れた。
世代の縦の糸に触れ、自分が順当に生きた場合の終点への距離がしっかりと目に見えた。
そしたら、例え迷いが多少あったとしても、自分がすべきことは、その終点までの残りの距離をしっかり歩くことだけなんだということを、感覚的に理解した。
行く先はもう見えている。そこまでひたすら歩くのみ。
そう考えたら肩の荷が下りた。
どうやらこのあたりが、私が感じた安堵の理由になっているらしかった。
記憶、または、脳の軸というのは、背負っている時代または世代によって、それぞれ宇宙人並みに違う。
これがとてもオモシロかった。
私は4才のショーちゃんと、7才のミナミちゃんと、三人で猫王国を作って遊んだ。
朝、起きると、ショーちゃんが寝ぼけた顔をしながら、『オハヨーにゃ〜』と気の抜けた声を出す。
それに応えて、私も『今日もゲンキかにゃ〜』と訊ねる。
いつのまにか、私達の猫王国では、全ての言葉の語尾に『にゃ〜』をつけて喋ることが習慣となった。
次第にいろんな規則ができてきた。
まずは、猫王国メンバー集合の合図。
「にゃ〜、にゃ〜、にゃにゃにゃにゃ、にゃあ〜ん!」
顔を上にあげて、グーにした手を万歳にして、言葉を上向きに言うのが、猫会議のための集合の合図。
それをやると、おばあちゃんちのアッチとコッチでそれぞれ勝手に遊んでいたショーちゃんとミナミちゃんは、四つん這いになって、本当の猫をも蹴っ飛ばすくらいの勢いで飛んでくる。
ドタッドタ、バタバタッ! 築150年の家が壊れてしまうのではないかと、私は肩をすくめ辺りを見やった。
そしてしばらく、にゃ〜にゃ〜だらけの猫語で本日の出来事を話し合うと、今度は解散の合図。
「にゃ〜、にゃ〜、にゃにゃにゃにゃ、にゃあ〜ん!」
言葉は変わらないのだけれど、解散の場合は、顔を下に向け、グーにした拳を下に振り下げる。
すると、これまでお座りの体勢で猫会議に参加していた面々は、一目散におばあちゃんちの隅っこにまで散らばる。
私も当然猫王国のメンバーだから、ミナミちゃんにこれをやられた時には、四つん這いになって散る。
これが……。私にとっては、ム、ム、ムズカシすぎた。
思えば私が四つん這いの世界にいたのは、かれこれ30年前に遡る。
そしてミナミちゃんが四つん這いの世界にいたのは、6年前。
ショーちゃんは、たったの2年前。
すると、猫王国の四つん這い移動の世界では、圧倒的にショーちゃんの勝ち、なのだ。
私は「にゃ〜、にゃ〜、にゃにゃにゃにゃ、にゃあ〜ん!」というかけ声をかけながら、思いっきり笑った。
それこそ、二人は目にも留まらぬ速さで、猫会議の会場に向かって四つん這いで“走って”くるのだから。
私もそれを一緒にやったけれど、手足が絡まってしまって、まったく“走れない”。
その時に思った。
奥の間に向かって敷かれたジンセーという赤絨毯の中で、始まりが四つん這いの世界だったとしたら、私がいる場所というのはその世界からはだいぶ遠ざかってしまったんだなあ、と。
その代わり、奥の間の手前にいるおばあちゃんへの距離の方が、今は、近い。
ここでもまた、自分が今いる位置を、しっかり感覚として確認したのだった。
(次回に続く)