ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-08-22 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私は今まで、『旅』を中核にした「書く」「撮る」「喋る」「企てる」という仕事を同時進行でやってきた。
職人気質の先輩達からは、いつも「どれかに絞らないとダメだ」と言われてきた。
好奇心さえ持ち続けていれば、ジンセーは楽しいことに満ちている、はず、ナノダ。
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けれど、どうしても、自分の中で、それができなかった。
というのも、どれか一つだけに無理に絞ることで、視野が狭くなるのをなるべく避けたかったからだった。
世の中っていうやつは、意外と意外なところでつながっている。
人の縁にしてもそうだし、仕事のやり方だって土俵は違っても方法論は同じということはよくあること。
大学生の時、私が自分に適職があるとしたら、それは『表現者』という道だ気付いてから、それに合うことだったらなんでもやってみたいと思っていた。
世間的に言えば、「書く」はライター、「撮る」はカメラマン、「喋る」はスピーカー、「企てる」はプランナーという肩書きになるのだけれど、私の中ではその四つの職業は、あくまで自分が表現したいことの“手段”にすぎなかったので、名刺にどれか一つの肩書きを刷るのはとても困難なことだった。
ナニか、だけをひたすら突き詰める職人さんの世界は、それはそれでとっても認めている。
特に日本は、その道何十年の専門家が多い。
多いから、逆に言えば、私は物事を横断的にやっていくことでしか、勝ち目がないと思っていたのかもしれない。
いずれにしても、私にとっては『表現』ができれば、手段はなんでもよかった。
昔、ピアノをやっていたのだけれど、作曲という行為は、どこか文章を作るという行為に似ていた。
山を作って、谷を作って、その中にリフレクションを置く。
駆け出しの頃は、音楽と文章という一見全く違う作業に見えるものも、創作という意味において、根本の方法論は全く一緒だなあとよく思っていた。
職人さん的にある枠の中を突き詰めていった方がいいのか、それとも横断的に物事を押し進めていった方がいいのか、それは本当にその人の性格によると私は思う。
それを再び、私をアルバイトに採用してくれた和食店での出来事で感じた。
私が和食店でのアルバイトを始めることになった経緯は、前回コラムで書いた通り。
ここからがその話の続きになるのだけれど、この年になって、しかも全く別の本業を持っているのに、アルバイトで雇ってくださいと言うのは、かなり勇気が要った。
けれど、このまま与えられた“自由”に甘んじて仕事を続けていくことには、直感的な危機を心底感じていた。
そういう意味では、ちょっと切羽詰まっていたのかもしれない。
オーナーが店から出てきた。
普通なら会社で働いていそうな年頃の女性が「アルバイトをさせて下さい」と面接に来たことに、オーナーの冷たい目があるかと思ったら、意外にもそれが全くなかった。
本業のことは何も話さず、とにかく接客業がしてみたいことを伝えた。
書くという仕事をしている人にもいろいろなタイプがいて、他人との付き合いを全くしない人もいるけれど、私はどちらかというと人との接触の中で時代のエッセンスなどを感じ取っていくタイプなので、接客業がかなり好きなのは本当のことだった。
「一週間に何日くらい入れますか?」
「……週二日、くらいなんですけれど……」
「他の日は何をやっているんですか?」
「ちょっと別の仕事を……」
オーナーは、そのお店を大工さんと一緒に自分の手で作ったことを説明してくれた。
どことなく無邪気で、私の素性にはたいして突っ込まず、手作りの自分の店のことを満面の笑みを浮かべて爽やかに語ってくれたところがどことなく少年のようでもあり、なんだか私はホッとした。
経営者というよりもむしろ、自分がお客さんに美味しいお酒を飲ませてあげたい、旨い食べ物を食べさせてあげたいという気持ちがお店というカタチになったという情熱が、オーナーの周りにぷんぷんしていた。
30年あまりも生きていると、不思議なもので、フィーリングというものが最初の数分でわかるようになってくる。
どうやらこのオーナーも、自分のココロを優先して生きている人なんだなあと、直感で感じた。
オーナーは、できたばかりの店内の壁を指さし、「これ、僕が自分で塗ったんですよ」と嬉しそうに言った。
「ほら、こういう時代だから、なんでも自分でやった方が楽しいかなあと思って……」
私もどちらかというと、お金をかけて既製品を買うよりも、オリジナリティの高いものを手に入れたいと思う質。
本当に偶然、アルバイト募集の看板に吸い込まれるように入っただけなのに、そのたまたま出会ったオーナーとの妙に気が合う感じに、縁の不思議を感じた。
「あの……どういう経緯でお店を始められたんですか?」
私は思わず、切り出してしまった。
「もともとはサラリーマンだったんですよ。けど自分がお酒が好きでねえ、会社を辞めてこの道に入ったんです」
「それはまた、すごい転身ですね」
「まあでも、会社で営業やってましたから、接客という意味では何か役に立つこともあるだろうし、それに自分がこだわったお酒と料理を出せるってのは、別のシアワセがありますからね。結構楽しみですよ」
その辺りから、話題がとんでもない勢いで膨らんでいった。
オーナーが元勤めていた会社の話から、鮮魚など食材についての話、お店のコンセプトから、自分の手でお店を建てるという話題にまで。
まるでジグソーパズルを埋めていくように、私が知りたいことをオーナーが知っている、オーナーが手に入れたい情報を私が持っているというような感じで会話は留まるところを知らず、私はそのままそこに座り込んでしまった。
そして晴れて、私は二週間後から週二回のペースで仕事を御一緒させて頂くことになったわけだった。
「白川さんが別にやっている仕事をまず、大事にしてくださいね」
私はこの台詞に少々驚いた。
オーナーは私より少し年上といった感じ。でもほぼ同世代といったところ。
時代は、全く違う分野のことを両立してやっていくことを許し始めたんだなあと思った。
人によって違うと思うのだけれど、私個人の場合は何か一つだけのことをやり続けていると、必ず行き詰まる。
ところが、全く違う分野のことを同時進行でやっていくと、これがとんでもない相乗効果を発揮することは経験上知っている。
語学学習だってそうだった。
ネパールに留学していた時に、英語とネパール語を一緒に勉強していたのだけれど、その両方を比較しながら学習すると、一カ国語だけを集中的にやるよりも、習熟のスピードが確実に早かった。
確か宗教学者の中沢新一さんも、似たようなことを本の中で言っていた。
私の仕事でもそう。
「書く」「撮る」「喋る」「企てる」を四分の一ずつやっていると、妙に脳みそ全体が活性化する気がするのだ。
それぞれの作業を終えた時に、脳みその疲れる場所が違う。ということは、使っている場所がたぶん違う。
それを全体的に動かしていくことで、より立体的に、より全方向的に、物事がバランス良く理解できていくということは、私の場合は非常に多い。
今の50代から上の人々には、こういう発想は本当に理解できないだろうと思う。
いろいろ手を出せば出すほど、全てが中途半端になるというのが、今までの考え方。
でも、人によっては、全方向に手を出すことが、よりそれぞれの仕事の質の向上につながる場合もあるんじゃないかと私は思うのだ。
帰り道、いろいろ考えた。
もし私が、ある分野のことだけに特化して仕事をしていたらどうだろう。
話の幅が広がらず、もしかしたらオーナーとの貴重な出会いを見過ごしていたかもしれない。
そこで思った。
ジンセーに無駄なんてことは、何もないんだなあと。
前のコラムにも少し書いたけれど、ガイドブックの仕事をしていた時、自分の書きたいことを書けない分、辛いと思ったことが度々あった。
でもそこで得た知識が、数年後に出会った面白いオーナーの話を理解するのに、とんでもなく役に立ってくれているということ。それがなかったら、初対面の人とあんな強烈な化学反応を起こす会話にはならなかったに違いない。
職人気質という言葉があるけれど、一つのことをやり続けるのはある意味大事なことだと思う。
けれど、そのお陰で視野狭窄になるのは、いかがなものかと私は思う。
入り口は、常に無尽蔵なくらいにあった方がいいに決まってる。
何が、自分の次の道を切りひらくかなんて、全くわからないんだから。
自らを視野狭窄にして、自分の可能性を閉じてしまうことは本当にもったいないと、私は思うのだ。
ニンゲンは年と共に考え方も好みも変わっていく。
それを思えば、同じことをずっと同じにやり続けるのは、ある部分では美徳かもしれないけれど、ある部分ではとても不自然、だとも思う。
少なくとも……私は、何歳になっても間口の広い人でいたいなあと思った。
そして物事を全方向から立体的に捉えられるような視野の広い人間でいるために、いつまでも分野の違うことにどんどん首を突っ込んでいける勇気を持っていたいなあと思った。
だって、入り口が全方向的に開いていても、その中に自分自身の“核たるもの”さえあれば、それだって、一つの専門を持った職人だと言えるもの。
これで、私の仕事は、旅について「書く」「撮る」「喋る」「企てる」の他に、もう一つ、和食のお店でお酒と食を愛でながらアルバイトをするという「接客サービス」が加わった。
なんだかとっても楽しみ。ワクワクする。
きっと、この一見全く違う分野のように見える仕事は、お互いに予想もつかない相乗効果を生んでくれそうだもの。
実際に、アルバイトが決まってからというもの、原稿書き仕事が進んで進んで困るくらい(笑)。
どうやら、再びココロが躍動し始めた模様。さあ、これからどういう展開になるのかな?
ハイ、私、自分が一番、ルンルンが止まりません(笑)。