

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-08-15 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
今、私はかなりルンルンしている。
というのは、何年かぶりに飲食店でアルバイトをすることに決めたから。

先日訪ねた成蹊大学にて。
講演会の仕事も大好きだけれど、接客業だってやってみたい。
いつまでたっても、欲張りな性格で、困るなあ……トホホ。
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別に今の仕事がイヤになったわけじゃない。
別に明日飢え死にしそうなわけじゃない。
仕事を頂けることには、本当に感謝している。
そうして、飢え死にしたくてもできない日本にいることにも、本当にありがたいことだと思う。
だけど。
たぶん、だからこそ、毎日わかった事をやり続ければやり続けるほど、なぜかココロのどこかに気付けば奇妙なモヤモヤが溜まってきているのを、カラダが感じていた。
人のココロってのは、どこまで行っても複雑怪奇極まりないなあ……。
最近の自分を通して、つくづくそう思った。
事の成り行きはこういうことだった。
なにか最近、自分を包む“自由”が極端な“不自由”に感じてきて、奇妙な重圧を感じ始めていた。
私は24才の時に会社を辞めて以来、いろんなものから“自由”になれることだけを目標に突っ走ってきた。
最初のうちは、ココロの感じるままに旅を繰り返し、そこでまっすぐに感じたことをひたすら文章にしてきた。
かなり長い間、自分の一番の信念を、自分が海外で感じたことを日本に暮らす人々に伝えることで、その人達の(もちろん自分も含めて)なんらかのヒントや新しい考えにつながればいいなと思い続けてやってきたことは間違いない。
最初の4年は、それをアルバイトと並行してやっていた。
自分の目的のために、アルバイトで稼いだお金を軍資金にして外に出掛け、帰ってきてやっとなんとか取材費が回収できるという程度。だから、生活を続けていくために、またアルバイトをしなければならなかった。
今思っても、それはそれはハングリーだったと思う。
なぜって、何がなんでも、これを仕事にしていかなければ、自分には後ろに道がないと思っていたから。
そうこうするうちに、ありがたいことに次第にそれ自体が仕事につながっていくようになっていた。
本当にココロが躍動するくらいに嬉しかった。
でも、最初のうちは自分の“書きたいこと”が、全く書けなかった。
それは会社に勤める人達が、新人は上司という存在が壁になって、社内で自分の企画が全く通らないのと一緒。
そうなり始めてから、3年間は、さらに次の目標に向かってあがいた。
『自分の書きたいことを書きたい』。
今思い返せば、書くということが仕事になってきた時点でも、書きたいことを書けていたのは、全体の1〜2割程度だったと思う。
ちょっとづつ、ちょっとづつ、“自分の”企画がカタチになっていく度に、涙が出るくらい嬉しかった。
海外で自分の好奇心に基づいて取材をして、それを商品として売っていく。
それをやればやるほど、今度は逆に自分が生まれた国ニッポンに、興味が移っていくのもどこかで感じていた。
だから、海外で“自分の企画”をひたすらやり、日本に帰ってくれば“会社から依頼される”ガイドブックの仕事などを受けるようになっていった。
ガイドブックの仕事は、“書きたいこと”は全く書けない代わりに、その途上で学んだことは多かった。
日本料理のことから、店舗建築のこと、または板前さんの魂など、ガイドブックにその細々したことは逐一書けないのだけれど、そこで得た知識は自分の中にどんどん溜まっていった。
本当は“自分が本当に感じたこと”を書きたいのだけれど、仕事というのはなかなかそうもいかない。
だから、辛くなかったと言えば嘘になるのだけれど、それは全て“自分の国ニッポンを知る”ための勉強だと思ってやり続けた。
自分がやりたいことは、海外を舞台にやればいいと思う気持ちがそれを支えていたのも事実。
ニッポン国内を依頼されたガイドブックの仕事で巡る傍ら、自己実現としての海外の仕事を半分でやっていた。
それからさらに2年ほどが経過した今。
本当に感謝しきれないほどありがたいことに、海外の自分の書きたいことだけで、食べていけるようになった。
別の言葉で言えば、ガイドブックの仕事は個性があまり要らない仕事なので、書くことにより個性が強くなってしまった分、出版社から個性抜きの仕事を依頼されるということが、全くと言っていいほどなくなってしまったのだ。
9年前からすれば、当初の目的はほとんど達成した。
本当だったら、そこで満足してそれだけをやっていればいいはずだった。
けれど、どうやら私は常に目標がないと生きていけない質らしい。
不思議なことに、やればやるほど、ココロに訳のわからない重圧がのしかかってくるのだった。
こんなにも、“自由”になっているのに、全く混乱したのは、私自身だった。
あんまりこんなことを書くと、贅沢だと叱られてしまいそうなのだけれど、自分のココロに素直になってみれば、それは事実なのだから、仕方ない。
昔、アフリカ縦断をした時もそうだったっけ。
半年という時間をかけて縦断した。
私は旅をこよなく愛している。それがないと生きていけないというほど、愛していた。
だというのに。
半年という時間をかけて旅をした最後の一ヶ月で思っていたのは、これまた奇妙なことに「もう旅はしたくない」という気持ちだった。
それを友人に言うと、「ゼイタクな!」と怒られるのだけれど、自分のココロに素直に聞いてみれば、私は「もう旅はイヤ、働きたい!」と思ってしまったのは、残念ながら事実だった。
だから、その時、友人にはこう答えるしかなかった。「あなたもやってみればわかる」と。
ここ最近は、そんな状態に少し似ていた。
どうも、人のココロというのは、頭で予想することと違う結果を生むらしいのだ。
行き過ぎると、必ず揺り戻しがあるらしいのだ。
あえて批判を覚悟で言わせてもらうと、最近の私は行き過ぎた“自由”というものが、逆に“不自由”になっていたのだった。
自分のココロに正直に生きると、必ずとんでもない矛盾に付き合わなければならなくなる。
“自由”というものは、“不自由”がないと存在しない以上、“自由”になりすぎた“自由”は、“不自由”に変質していくんだなあとというのが、自分の気持ちを観察しながら思ったことだった。
とりあえず、自分に与えられた“自由”を最大限に楽しむためには、同じくらいの“不自由”が必要だということが、やってみてわかったのだった。
さあ、どうしよう。
どこへ行けばいいんだろう。次の目標をどこに持てばいいんだろう。
とりあえずは、モヤモヤするココロをなるべく見ないようにして、ただひたすら遊んでみた。
けれど、モヤモヤは晴れない。
どうしよう、どうしよう。
こんなにありがたい仕事を頂いて、こんなに好きなことを書かせて頂いているのに、ココロが躍動感を失っているなんて……。贅沢な悩みだとわかっているけれど、作り手としては、ココロが躍動していないというのは、かなりの問題。ココロが思いっきり感じたことを書くのではなく、原稿を仕事として書くようになったら、もうお終い。
これは、作り手なら誰もが感じる危惧感だろうと思う。
どうしよう。
解決策はただ一つだな。
初心に返って、自分を戒めるしかないんだな。
もう一度ココロが躍動するために、別の言葉で言えば、惰性にならないために、自分で自分を痛い目に遭わせなければダメなんだな。奢った気持ちを冷ますために、大変だと感じることをやらなくちゃダメだな。
じゃ、『元に戻ってみよう』。
私はアルバイトを探し始めた。
時給はあんまり問題じゃない。目的は自分を追い込み、いろんな意味でカツを入れることだから。
毎日近所を散歩した。
新しく作っているお店があった。ちょっと変わった和食店。
週二日から接客業のできる人を募集中。
これだ! 頭で考えるより先に、足の方が先にふらふらと店内へ歩を進めていた。
(次回に続く)