

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-08-08 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
「あなた達の祖先はアフリカ人じゃないですか?」
意外にも、興奮している私の期待に反して、答えはノーという人が多かった。
なぜ? こんなにも似ているのに……。

陽気なフィジー人達とパチリ。右側の人はどうやら系譜の途中で、植民地だったイギリスの血も混じっているらしいけれど、左側のお兄さんは、どう見てもアフリカ系の顔をしているよなあ。
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そこで一つ気付いた。
アフリカというのは、ニュースだけを見ていれば極めてネガティブイメージが強い。
彼らにとって、アフリカ人が自分達の祖先だと思うことは、あまりうれしいことではなかったのだ。
諦めずに何人にも同じ質問を繰り返すうち、一人の女性がこんなことをぼそっと言った。
「……そうね、私達の伝統的な歌に一つ、“私達の祖先”っていうのがあるわ」
私は唾を飲み込んだ。
「で……その中の歌詞は?どこから来たって、その歌は言ってますか?」
「もうおじいさん達しか知らない歌なので、私は部分的にしか知らないけれど、でもその中にこんな歌詞が出てくるの。“私達の祖先はタンガニーカからやってきた。そしてここフィジーに初上陸した”ってね」
私は目を丸くした。彼女はシラッとしてこう言った。
「ところで。そのタンガニーカって、どこのことなのかしらね?」
その時の私の興奮といったら、絶頂に達していた。謎解きがぐるりと全部つながった。
今でもタンザニアにはタンガニーカ湖というのが残っているのだけれど、タンガニーカという地名は、アフリカ東部がイギリス統治領になる前まで呼ばれていた地名なのだ。
ということは。彼女のその歌の話から推測すれば、フィジー人の祖先はやっぱりアフリカにあることになる。
ナントナク、なのだけれど、フィジー人の雰囲気はアフリカ南部の人々と酷似していた。
東部と南部。この謎解きも、簡単に解けた。
アフリカ大陸を民族学に見ていくと、アフリカ大陸中央部の人々は長い時間をかけて南部へと移動していった形跡があちこちに見られる。
例えばマサイ族の親戚にサンブル族と呼ばれる人々がいるのだけれど、彼らはケニアの北部に暮らしている。
もともとはその人々が次第に南部に移動をしてきて、マサイ族というグループになったと言われている。
これはあくまで私の勝手な推測だけれど、たぶん彼らが南に下れば下るほど、もともとそこにいた人達はさらに南を目指したに違いない。
私がフィジー人が南部アフリカの人達と酷似していると思うかというと、そのゴスペル調の歌い方のリズムを見てもそう。南部アフリカのナミビアで教会のゴスペルを聴いたことがあるのだけれど、それがまた、フィジー人達の間に伝わる歌とそっくりだったのだ。
ということは。
彼女が言う歌の中のタンガニーカは、アフリカ東部の呼称だったけれど、そこにいた人達はさらに南に下り、その中の数人が、なんらかのきっかけでアフリカからフィジーへのつながりを作るきっかけとなった旅に出たとも考えられなくもないというわけだ。

フィジー人は体も大きいけれど、足もでっかい。
30cmサイズは当たり前なのだ。
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その辺から推測して、いろんなことを想像した。
きっと彼らの祖先であるアフリカ人がこのフィジーに辿り着いていたとしたら、たぶんそれは1000年以上前という時間感覚の中での出来事。
でも一体、エンジンも何もないそんな時代に、いったい彼らがどうやってここに辿り着いたというのだろう。
きっと丸木船くらいは作れていたかもしれない。
それにしたって、アフリカとフィジー。この距離を考えれば、誰もこの二つがつながるなんて、想像さえしない。
昔、ノルウェーの学者が、ポリネシア人達のルーツは南米大陸にあるのではないかと考え、自分で丸木船を作り、コンティキ号という名前をつけて自ら実験してみて、世界中の話題を呼んだことがあった。
彼は、あのポリネシアの人々と東のモンゴロイドがどう考えてもつながっているわけがない、顔を見たってあまりにも違いすぎる、だとすれば、南米大陸から渡った人々がポリネシア人になったのではないかという説を実証しようとしたのだけれど、確か110日目かなにかに実際に太平洋のどこかの島にたどり着いたはずだった。
けれど、世界は彼とコンティキ号を笑うことはあっても、認めはしなかった。
記憶が今ひとつ曖昧なのだけれど、あまり彼の説を支持する人はいなかった、はず。
私は……そこでもう一つ、思い当たる節があった。
昨年から今年にかけての南米大陸縦断で、チリのパタゴニア地方を通った時に、一カ所だけ黒人が多い町というところを通過した。そこがなぜ、黒人が多い町だったのかという理由まではあまり気にもとめていなかったので、突っ込まなかったのだけれど、フィジーの一件があってから、突然そんな町があったことを思い出したのだ。
ということは……。もしかしてもしかすると……。
何らかの理由があって、南部アフリカから丸木船で東へ向かった人々がまず、南米大陸のパタゴニアに漂着したことが考えられる。
そしてそこから、また東を目指す人が発生し、その中の何人かがフィジーに辿り着いた。
そして今のフィジー人達の祖先となった。
これは全くまだいろいろ調べたりない私の推測だけれど、このもしかしたら、がもしかするかもしれないのだ。
アフリカ大陸からどうやって南米大陸にまで辿り着いたのかは、ちょっと疑問が多いけれど、南米大陸まで辿り着いてしまえば、海流は東へ向かっているので、フィジーにまで辿り着いたと言われても整合性がないとは言えない。
想像しているだけで、ぞくぞくした。
だって、当時はきっと丸木船。
地図なんてあるはずもなく、もちろん羅針盤なんてあるはずもない時代。
そんな時にも、ヒトはこのとんでもない距離を移動できる逞しさを持っていたんだよなあ……。
タンガニーカの件を教えてくれた彼女にいろいろ私なりの勝手な仮説を伝えると、彼女もほーっとため息をついた。
「1000年以上前……もしかすると、今のフィジー人の家族は5人くらいから始まっているかもしれないよね……。ロビンソンクルーソーのように一人単独で辿り着いていたとしたら、今のように子孫が増えているわけはないはずだから、やっぱり何かの理由で元の場所にいられなくなった数人が始まり、なのかな」
そういうと、彼女は夜空を見上げて笑った。
「ポリネシアの人々は、星の航海術といって、星を見ただけで、隣の島へ行ける方法を知っていたのよ」
私も行きがけ、上空から太平洋に浮かぶ島々を見て、どうやって、これだけ海に囲まれた島に人が暮らしているんだろうと、本当に不思議に思った。
飛行機がある今なら、隣の島に行くのはそう難しいことじゃない。
でも。何の地図もない時代に、いったいどうやって、何百キロも離れたところに島があることを、彼らは知っていたのか。またはどうやって、お互いに行き来していたのか。
それはもしかしたら、ヒマラヤの峠と谷を自分達の命をかけて越えていくような旅だったのかもしれないけれど、キケンという意味では、丸木船だけで海の上を移動していただろう海洋民族の方が凄みがあるような気がした。
フィジーの村の酋長は世襲制。アフリカの村の酋長も世襲制。
家ではお父さんが偉くて、家族はそれに従う家父長制であるところも、フィジーとアフリカは同じ。
もし私の勝手な仮説が正しければ、昔のヒトというのは、本当にとんでもない距離を人力で旅していたんだよなあ。
その先に何があるのかわからないのに、移動をする。
それも、現代人が想像もできないようなやり方で。
コワイとか思わなかったのかなあ……。どうして命の危険も省みずに、先へ進もうとするのかなあ……。
『ポリネシア人はアフリカからやってきた』。学識者の世界にそんな説があるのかは疑問だけれど、まんざら間違っているとも言い切れないのではと私は思う。それよりも、もしかしたら大発見かもしれない。
それが事実かどうかはともかく、そんなことを想像しているだけで、本当に楽しい。
ヒトの歴史は謎に満ちている。
私達はそんなとてつもない逞しさを持ったニンゲンの子孫。
自信を持って、未知の大海原へ漕ぎ出していけるようなヒトでありたいなと思った。