

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-07-04 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私は今、集英社のBAILAという雑誌で「東京おさんぽ日記」という連載をやっている。
普通は取材というと、あらかじめ決められたストーリーに従って、予測される取材先にアポを取り、そこを回って話に沿った具体的なネタを取ってくるという形で行われ、予定なし、具体的内容イメージなしに取材が行われることはまずない。
例えば自分が新しい部屋をどういう風にしようかと考えようとする。
雑誌などのマニュアルを見て、配置や家具の種類までを具体的にこういうものにしたいと案を詰めて、それから家具屋さんに出掛けていって、その案に合うものを見繕ってくるというやり方。
または、例えば自分がなりたい職業があったとする。
そしたら、その職業についている人に徹底的に話を聞いて、その人達が辿った道を参考にして、自分も同じようにやっていくという方法。
または、テレビのドキュメンタリーを作る場合。まず最初に結論と展開が全て決められたシナリオがあって、取材陣はそれに沿って話に合う映像を現場から撮ってくるという手法。
私はこれを勝手に“逆算方式”と呼んでいるのだけれど、管理社会になってくると、どうもこの“逆算方式”というのが、人の行動パターンのほとんどに採用されるらしく、へそ曲がりな私はどうもこれを時々非常に窮屈に感じる時がある。
“逆算方式”は最初にすべて結論が決められているので、途中で仮にどんなに面白いハプニングが起きたとしても、それはストーリーに合わないということでカットされる。
結局、最近のテレビ番組はどこか面白くないとみんなが感じている背景は、あまりにもこの“逆算方式”が行き過ぎた結果だと私は勝手に思っているのだけれど、すべてが予定調和で回り出した管理社会は、本当につまらなくなるもの。
結果がわかっていることをやることほど、退屈なことはない。なぜって、自ら進展や変化を拒否しているのと一緒だから。
現に今の世の中を見てみれば、必ずしも予定調和がいい結果を生まないことを、企業倒産や個人破産が証明している。
すべてが予定通り進むなんてことは、高度成長の時だけの産物。
いつもシナリオがなければ人はやっていけないかというと、決してそんなことはないはず。
いつもマニュアルがないといい結果が出ないかというと、決してそんなわけではないはず。
そこで。
へそ曲がりな私は自らの身をもって、予定調和ではない取材がどれほど楽しいハプニングを生み出してくれるかを紙面で実験してみようと思い立ち、上のBAILAの「東京おさんぽ日記」を始めることにしたわけだった。
あえて名付けるなら、“逆算方式”に相対する“創造方式”。
真っ白い紙に絵を描くように、あえて何も準備をせずに、そこに詰め込むネタを現場で感覚的に拾い出し、文章の結果と方向性は成り行きに任せるというのが「東京おさんぽ日記」の中で私がやらねばならない仕事。
今までに二回の原稿を納品し終えたのだけれど、これが意外や意外、実にいろんな面白いヒントを生み出してくれた。
全くのアポなし。事前の下調べもなし。
脳みそをまっさらな状態にして、毎月訪ねる駅だけを決めて、その周辺を徘徊する。
そしてそこで自分が素直にオモシロイと思ったことだけを拾い、紙や写真にまとめてみるのだ。
するといろいろな事がわかってくる。
自分は何に興味がむいているのかということ。
もしくは何に向いていないのかということ。
私は大陸横断バスなどの旅行中、ずっとこれをやってきた。
現代人は左脳ばかりが発達してしまって、右脳がつかさどる直感を鍛える機会がほとんどないと私はよく思うのだけれど、上のような訓練をすることは、実は右脳を鍛えるのにおおいに役立っているらしい。
やっているうちに何ができるようになるか。
人と5分喋っただけで、自分と筋が合う人かどうかというのが、瞬間的に判断できるようになってくる。
そして。
おさんぽ中にびっくりすることが起きた。
先月は「東中野駅」。今月は「上野駅」周辺をおさんぽしていたのだけれど、その二回とも、夕方近くに自分と気持ち悪いほどに価値観を共有できる人と出逢い、長時間に渡って話し込むことになるという現象が起きた。
先月東中野に行っていた時には、たまたま雑貨屋さんにふらりと入った。
そこの御主人と5分喋って、何か妙に筋が合うという感じを受けた。
その感覚は、ほとんど嗅覚にも近いようなもの。
人間も動物だから、初対面の人に対しても、類トモを“ニオイ”でかぎ分けるということができるらしい。
何十もお店が並ぶ東中野で、たまたま入ったお店。
そこにたまたまいた御主人。
そしてたまたま一言二言喋ってみたら、何か同類のニオイがする……。
そのあたりから、口の滑りが良くなって、いろいろな話題で言葉のキャッチボールが始まった。
私は彼が何をやってきた人なのか、その時点では全く知らない。
そして彼も私が今まで何をやっていた人なのか、全く知る由もない。
雑貨屋さんは営業中だったというのに、立ち話は瞬く間に単なる世間話から政治経済から進化論、社会学、建築、芸術文化にまで話題が及び、およそ三時間も夢中になって喋った後、彼が何をしていた人だったかということを知った。
彼もまた海外生活が長く、私と似たような人生を送っている人だったことが発覚した。
香港に自分の会社を持ち、東中野に雑貨のお店を出店。
それを人に任せて、自分はこれからバンコクに移住するつもりだと彼は言っていた。
これだけたくさんの人が暮らす都会で、ウマが合う話ができる人というのは誰にとってもそう多くないもの。
しかもその日のおさんぽで、10人くらいの人と言葉は交わしているのだけれど、何かに取り憑かれるように、ずるずると引きずり込まれるように猛烈な勢いで会話をしてしまったのは、彼一人だった。
あの日、私はなんて出逢いは「偶然」なんだろうと思った。
予定調和的取材だったら、こんなハプニングは起きなかっただろうなあと、その「偶然」性をとても嬉しく感じていた。
それから一ヶ月。
今度は「上野駅」周辺に狙いを定め、私は友人とおさんぽ隊を結成し、出掛けた。
おさんぽの途中、下町人情に溢れる人々にたくさん出逢った。
けれど、なぜか深入りしてお喋りに花が咲くということはなかった。
夜も7時近くになって、たまたま革細工のお店の前を通りかかった。
一度は素通りしようと思ったのだけれど、なんとなく商品のディスプレイのセンスの良さが気になって、ふと足を踏み入れた。
中からジーンズをはいた白髪の男性が顔を出した。
「革細工、作ってるんですか?」
という、見りゃわかるだろと言われそうな当たり前の言葉を私は口にした。
「そうだよ。君たちは何してんの?」
「……さんぽしてるだけです」
その男性の風体、店の内装、すべてを見ながら、私は大きく息を吸い込んだ。
なぜって、その雰囲気を“ニオイ”でかぎ分けようとして。
なんだかよくわからないけれど、何か、ナニかが、そこにあるような直感が働いた。
「いつから革細工、やってるんですか?」
「半年だよ」
「その前は何をやっていたんですか?」
「会社員だよ」
私の中で、直感の声が囁いた。もっと会話を突っ込め、つっこめ。ここにはナニカがあるぞ、と。
「あの……ヘンなことを聞いていいですか?今まで、どんなジンセーを送ってきたんですか?」
初対面の人に質問するにしては、あまりにも唐突すぎる質問だけれど、根拠のない直感がそこを突っ込ませた。
入り口はいつでもどうでもいい世間話。
ところが。そこから先が凄かった。会話はまるで激しいパスをゴールへ向かって送るように、瞬く間に異常な盛り上がりを見せ、仕事をしていた男性はすっかりその手を止めて唐突にこう言った。
「ねえあんた達、ここで一緒に飲まない?」

東京おさんぽ隊が初対面の人のお店で、夜中の12時まで「いきなり飲み会」をした日。
奥が革職人の男性。手前は、おさんぽ隊のメンバー。
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ちなみに私は、東京で初めてふらりと訪れたお店で、その店内でいきなり一緒に酒盛りをしてしまうという経験は、これまでの人生でなかったことだった。
会話はまるで、薬品が強烈な化学反応を起こし始めたように回転し始め、止まるということを知らないまま爆走した。
といっても、最初はお互いの素性にそれほど触れることもなく、やはり話題は音楽、芸術、建築、文学、民族学から。
怖いくらいに、息が合ってしまった。
時間を忘れるくらいに楽しい時間と、十年以上前からその人を知っていたような不思議な感覚。
夜も更けてきた時、革細工屋さんの彼は、親友の写真家の話を私にしてくれた。
家に戻ってから、私の親友の写真家にそれを話すと、彼の親友と私の親友は飲み仲間だったことが発覚した。
ああ、やっぱり。
国連の統計では地球の人口は60億と言われているけれど、私の周りには3000人くらいしかいない。
感覚的には、どうもそんな感じがした。
いろいろ話を聞くと、どうも彼も若い頃から独立独歩で様々な仕事をやってきた人らしかった。
その経験の仕方が、私の発想とも近い何かを生み出しているのかもしれない。
それにしても。
たまたま何も考えずに入ったお店で、そのような類の人といきなり出逢うというのは、あまりにも奇妙だった。
私は酔っぱらいながら、脳の片隅で考えた。
この間の東中野の時といい、今回の上野といい、どうしてこうまで趣味趣向価値観が合致した人に出逢うのだろう、と。
共通の趣味を介した会合で出逢うのならわかる。
同じような職業を持っている人々の集まりで出逢うのなら、まだ話は理解できる。
人に紹介されて、それこそ類トモつながりで似たような考え方を持っている人に出逢うのなら、それもわかる。
けれど。
東中野の時といい、今回の上野といい、何千人、何万人が住む町を無差別、無目的にただ散歩しているだけで、同じような趣向性を持っている人と「偶然」出逢うというのは、あまりにも気持ち悪すぎる。
もしかしたらこれは、決して「偶然」ではない「偶然」なのではないのか。
まだ二回だから、二十回くらい実験を重ねれば答えは自然に出てくると思うのだけれど、私はこの「東京おさんぽ日記」の連載をきっかけに、「偶然」が「偶然」とは思えなくなってきた。
私は今の仕事を、旅の途中に出逢った人達との「偶然性」の中で創り上げてきた。
前にも書いたことがあるけれど、なにも最初から大陸横断家やフォトエッセイストになろうと思って、要するに最初から結論を決めて今に至っているわけでは決してなかった。
今までの経験からいくと、見栄も虚栄心も計算も全部捨てて行動している瞬間に、その後の人生を決定づける人に必ず出会うことになっていた。
だから逆に言えば、私個人の場合に限って言うと、最初から結果を予想して中味を創り上げていく“逆算方式”で行動すると、どうも自分の真価を発揮できないと感じていた。なればこそ、最初から予定された取材のやり方は、性に合わなかった。
「おさんぽ」は、何も考えず、何も計算せず、何も持たず、ほぼ嗅覚のみで行動していたから、逆に趣味趣向が恐ろしいくらいに似ている人を、そこに暮らす何千人何万人という人の中からまぐれなくらいの確率で直感的に探り出せたんだ、とも思う。
先日、私が尊敬している大学教授と会う機会があった。
NHKのビジネス英会話を一手に引き受けている田中宏昌さんという人なのだけれど、たまたま“逆算方式”と“創造方式”についての話を私が持ちかけた。
「いつも悩むんですけど、直感でこう思うってのは、自分では絶対に間違っていないという感覚はあるんですが、仕事上などで何かをしようとする時にはいつも、日本ではどういう数値的根拠があるんだって言われますよね? 私の場合は、数値的データから“逆算”していくタイプじゃなくて、直感や嗅覚から“創造”して結果を創り出していくタイプなので、いつも何かをプレゼンする時には、君の直感は当てにならんと言われてやりこめられちゃうんですよ」
そう言うと、田中さんはこう言った。
「そうだね。数値的データが左脳、直感が右脳がつかさどっているとすると、日本は左脳型社会だから、確かに数値的データを求められることが多い。けれど、数値的データってのは、マーケティングのやり方でも僕はもう古いと思っている」
「物事を解析する時には、直感だって決してバカにできない。例え、根拠がないと言われても、ね。そこには質的データってのが存在するんだ」
「例えば企業のマーケティングに例えて言おう。次に何がヒットするか、という命題を与えられた時に、例えば数値的データで解析しようと思って、質問票を配り、データを取ったとする。でも。それはその数字を取った時点で、もう過去のものになってしまっているんだよね。その結果は過去の検証にしかなっていないってことなんだ。特に今みたいに時代の変化が激しい時代では、数字を取った段階でもう次のマーケットには全く合わないものになっている可能性があるんだ」
「だから、僕は質的データによるマーケット分析ってのを提唱している。白川さん的に言えば、要するに直感だよね」
「マーケットに対して、どういうモノが欲しいかっていう数値データを取るんじゃなくて、直感的な、物事の進んでいる方向性のベクトルを、いくつか探り出すんだ。それが例えば白川さん一人の直感だったら、ただの主観じゃないかで終わってしまうんだけれど、その直感も客観的な方向性が伴っていれば、立派な質的データになるんだよ」
「質的データってのは、数字が伴っていない感覚的なもの。それは右脳の世界なんだけれど、そこにも物事の方向性を解析していく科学的根拠がきっとあるはずなんだよ」
もともとヒトは動物として生まれてきているから、直感という感覚も決してばかにできるものではないと私は思っている。
私が見てきたタンザニアのマサイ族は、数字の計算は本当に苦手だったけれど、どこにどういう危ない動物がいるかということは恐ろしいくらいに鋭い直感で知り当てていた。
シリアのベドウィン族だってそうだった。彼らの世界には数値的データや、“逆算方式”なんて全くないのだけれど、荒野でしっかり生き延びていた。
だから、左脳型社会に生まれた私は、自然に脳のバランスを取るために、もしかしたら自然に、予定調和を全く無視した「東京おさんぽ日記」を始めたくなったのかもしれなかった。
あんまり“逆算方式”の中ばかりで生きていると、大切な閃きが失われる。
だから私はこれからも、「東京おさんぽ日記」の機会を生かして、次回もまた嗅覚だけを頼りに、スジの合う人を何千人、何万人の中からほぼ直感的に探り出してみたいと思っている。
偶然が決して偶然ではないことが、そのうち連載の回数を重ねるごとに数値的データで証明されたら、これはこれでまた凄い発見になるぞと、次回のおさんぽを今からわくわくしながら心待ちにしている。