

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-06-20 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
最近、私は魚介類の不思議にはまっている。
一昨日もたまたま伊勢志摩を訪れる機会があり、また水中の世界を知ることになった。
なぜ、水中生物に惹かれるのか。
それはその形状があまりにもエキセントリックで、陸上動物ニンゲンの想像を越えていたから。
先々週このコラムでも書いたメジナにしても、先週触れたミル貝にしても、海の世界に生きる生物のカタチはあまりにもバラエティーに富んでいて、奥が深い。
陸上動物は、たいてい二つの眼、一つの口、足か腹付近で体を支える体型、というのが定型パターンだというのに、海の生物達のカタチの豊かさは、三流のSF映画でヒトが創り出す未来型生物の遙かに上を行っている。
そして。そんな水中生物達の奇妙奇天烈なまでのカタチは、歴代の芸術家の誰もの想像をも越えている、究極の前衛アートなんではないかと、ある時から思い始めたのだ。

これもヒトデの一種。岡本太郎作のオブジェのような。
オブジェは動かないけれど、これは歩くのだから凄い。
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紀伊半島の突端にある小さな水族館・志摩マリンランドに、海の生物を触れるコーナーがあった。
水槽には、ウニやハリセンボン、ヒトデにカニ、ナマコなどが入っていた。
神経質な感覚からすると、そんな針やハサミがついた生物を一般人に触らせるなんて……とお咎めを受けそうだけれど、そこは気質がおおらかな紀州。「カニのハサミの近くに指を置かないでくださいね」という注意だけを受け、そのまま魚介類を生で触って皮膚感覚から生き物たちを確かめることができた。
「ヒトデをひっくり返して、水中に置いてみてください。起きあがりますよ」
スタッフの人に言われた通りにやってみた。
オレンジ色になった腹をわざと水面を向くように、模様の入った背中を底にして置いてみた。
すると。あの星形の先端器官の一本を、ヒトデはうねうねと動かし始め、その一本からまるでブリッジをするかのように体を浮かせ、最後は人間のバック転のようになりながら、見事にひっくり返ったのだった。
あんなに平面的な手裏剣のような物体が、体を裏返す芸当は、水中世界の新体操を見ているかのようだった。
スタッフの話によると、ヒトデはその手に見える器官の先っぽが、実は眼のような役割を果たしているのだという。
ということは。五本足が☆の形になっているヒトデは、眼を5つ持っているということになる。
言い換えれば、足の先にくっついたヒトデの眼は全方向・マルチ方角に対応していている。人間で言ったら、頭の周囲の全角度5方向に眼がついているようなもの、というわけ。
「地上動物の多くは、眼が一方向に向けられているケースがほとんどですが、水中生物の場合は平面的広がりを持った体型では、眼は全方向360度に向けて備わっている例が多くみられます」
まるでインターネットみたいだなあと思った。
考えてみれば、ヒトデやウニなどの類は、体自体が“左右”の発想を持っておらず、全方向にまんべんなく伸びていくマルチ体型だから、彼らは生まれながらにしてインターネット的なのかもしれない。
陸上の動物はなぜ左右の別があり、水中の生物はなぜ陸上と比べ、全方向的な体型の生物が多いのか?
なぜ水中生物は、陸上動物の枠を越えたカタチのもの、とんでもなく奇妙奇天烈なものが多いのか?
私はじっと考えた。
陸上世界と水中世界の決定的な違いはなんなのか。
それは『重力』。
上下があるから自ずと左右も決定されるという陸上世界と比較すれば、より無重力な水中世界では左右上下の別は陸上ほどの意味を持たない。
言い換えれば、陸上が重力という絶対条件によって、移動のパターン・進化の過程においてある一定の枠組みから抜け出せないのに対して、重力条件が格段に少ない水中世界は、陸上に比べ、より自由な形での移動・または進化が可能だったんだなあと、思った。
水中世界での大前提は、重力条件をあまり考えなくていいカタチになりやすい、ということ。
これは凄いことだ!と思った。
ニンゲンがもし今のような陸上動物ではなく、水中に暮らす原始生物だったら……と想像した。
頭とお尻が表と裏でくっついた核から、手とも足ともつかない千手観音のような器官が無数ににょきにょきと生え、その表面は繊細な皮膚を守るための鎧のような皮ががっちりついている、そんな生き物になっていたかもしれない。
言ってみれば、巨大なウニのようなカタチ。頭とお尻の機能を果たす核の表面には、全方向におびただしい数の眼がくっつき、脳天に口が一つ。そしてウニの針を巨大にしたかのような手が核から生え、その表面をびっしりウロコが覆う……。
もしニンゲンが陸上に出てくることがなかったら、そんなキテレツな、未知との遭遇的形状生物になっていた可能性だって、ないとは言えないのだ。
見れば見るほど、海中生物のカタチには度肝を抜かれた。
昆虫の頭の部分だけを抜粋したかのような古代貝・オウムガイは、なんだか25世紀を見据えているような顔をして、水中を漂っていた。

25世紀を見ているかのような表情の、オウムガイ
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オニヒトデも凄かった。
どこかサボテンを彷彿させるけれど、やはり水中らしく、こんなとげとげしい出で立ちで、円盤のように、全方向自由自在に歩いているから、かなり怖かった。しかも体長は大皿ほどもあるのだから、ちょっとした小動物的。
サボテンは歩かないけれど、オニヒトデは結構なスピードで歩き回る。それがなんともオドロオドロしく、もし自分が一人の時にこんな生物にとご対面したら、気を失ってしまうんではなかろうかと思われた。

オニヒトデ。なんでこんな痛々しいカタチにならなければいけなかったのか?!
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フィリピンに生息するという“真っ赤な毛の生えた貝”のカタチも、とんでもなかった。
貝。なのに、毛が生えている姿カタチは、どう見ても地球のものとは思えないくらいにヘンだった。
貝殻から、派手な朱色の長い毛(のようなもの)が無数に生えていて、水中にふわふわと舞っている。

名前は忘れてしまったが、これが“毛”の生えた貝。
見ればみるほど、この奇妙なカタチへの謎は深まる。
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他の貝と比べて、どうしてこの貝だけが、貝とイソギンチャクを合体させたような形にならなければいけなかったのか、まずそれが全くわからない。
しかもこの貝ときたら、どんなに自分を飾り付けてもまだ足りないと頑張るどこぞのお姉ちゃんのように、貝殻と貝殻の間に時々稲妻のような青白い光を発して、見る者をアッと言わせる不思議な技まで持っている。
他にも怪獣みたいな顔をした魚、または丸まると球状になってしまうカニ……などなど、久しぶりに訪れてみた水族館は、想像もつかないキテレツ形状生物のオンパレードだった。
尻尾部分が断崖絶壁のようにストンと垂直に落ちたマンボウのカタチの不思議にまた感動していると、そばで説明をしてくれていた水族館の館長さんがぽつりと言った。
「こりゃ、よくスーパーに出回ってるな」
(えっ??)
「春先、脂が乗った時が一番美味い。肝臓も生のまま味噌和えにするといいって、漁師さんも言ってたな」
どうやら、志摩では網に引っかかったマンボウの切り身が、スーパーにごくフツーに並んでいるらしかった。
「海の生物で食べられんもんは、ほとんどないんだよ。ヤドカリだって、生で食べられるしなあ……」
ただでさえ、魚介類の形状の奇想天外な奔放さにかなりのショックを受けていた私は、同じニンゲン種の同じニッポンという地域で、マンボウやヤドカリを食べているヒトがいることに、おまけのオドロキを頂戴した。
ニンゲン界ですらその種は実にバラエティーに富んでいるのに、陸上動物まで枠を広げるとさらなる多様性が。
それをも一つ、海中生物にまで広げると、もうどんな天才にも理解をしきれないほどの、どんな芸術家の想像にも及ばないほどの種の豊富さが地球にはあるってこと。
やっぱり地球って愛おしい。
私は少なくとも、自分が生きている間に、可能なだけ、その素晴らしさに触れていたい。再び、そう思った。