

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-05-23 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私は仕事柄、メディア系以外の大手企業の人と接する機会がとても少ない。
けれど、先日ひょんなことから、カメラメーカー・ミノルタでの飲み会に参加させてもらった。
ことの始まりは、南米縦断バスをスタートさせる一ヶ月ほど前に書いた手紙。
今まで、旅の画像記録は一眼レフカメラとポジフィルムでやっていたのだけれど、時代がこういう時代に入ったこともあり、さらにこの連載を持っていたこともあり、現地からその日視たものを直接日本に送れればいいなあ、サイトを読んでくれている人に是非臨場感を伝えたいなあと思って、デジカメが欲しくなった。
折しも、同業者同志の飲み会で、日記調の画像の画像撮影をするなら、ミノルタのDimageXというデジカメがいいよと聞き、さらに手に入れたくなった。
けれど。ただでさえかなりの資金がかかる南米縦断バス計画の前。どこを叩いても一円も出てきやしない。
どうしよう……。それでもやりたい。それに。南米縦断バスのチャンスは、今しかない。
ちょっとほろ酔い加減だったこともあり、そのまま家に帰宅すると、ほとばしる気持ちが冷めないうちに、明け方の4時までかかって、素直なお手紙を書いた。
[カクカク、シカジカ、こういうわけで南米縦断バスを走らせることになりました。つきましてはDimageXを一台、頂けませんでしょうか?]
……自分でも今想い出すと恥ずかしくなる。なんという単刀直入な文面。
これでは、お金を持たずにスーパーに行って、「このトマトと牛乳と肉をタダで下さい!」と店員さんに向かって叫んでいるようなもの。
けれど、それを受け入れてくださった暁には、ぜひ恩返しをしますから、南米縦断バスのチャンスは今しかないから、という切羽詰まった気持ちが私にこういう行動を起こさせた。
ポストに投函した後、急に冷静になり、穴があったら入りたくなった。
が、もう一人の自分が別の自分を慰める。
「別に法に触れることをしているわけじゃないし、本当に南米での体験をデジカメを通して周囲の人に伝えたい、一緒に楽しんでもらいたいと思っている気持ちがあるだけなんだから、恥ずかしいことは何もないじゃない?」
まあ、やってしまったことは仕方がない。忘れよう。
とある日。ミノルタからお電話を頂いたのだった。「本社に来て下さい」。
事細かに内情を聞かれるものだと思って出向いたら、「頑張って下さい」という言葉と共に、デジカメを渡された。
すごい企業だなあと思った。
さらに、そこで、南米でやりたいと思っていることを一生懸命お話した。
「これを使って、ライブレポートを現地から送りたいんですが……」
そしたら、別の部署にすぐ連絡をしてくれ、あっという間にその話も決まった。
とんでもない企業だなあと思った。
一体、こんな柔軟な会社にどういう人種の人が働いているんだろうと、興味がむくむくと湧いてきた。
そして、帰国後。飲み会に参加させて頂くことになったわけだった。
決断に長い時間を要する日本の企業、らしくない社風。
即断即決、まるで右脳的直感で物事の決断をしているかのような、その担当の方の名はH部長。
私はこの部長に出会ってから、いわゆる「企業人」のイメージがことごとく覆された。
というか。H部長のように型破りな人が企業人をやっているということに、素直に驚いてしまった。
飲み会に同席していた30代前半の女性が仕事でいろいろ悩んでいるという話しを聞いて、H部長はこう言った。
「君ね。シゴトってどういうもんだかわかる?」
「いえ……」
「シゴトは、“たかが”シゴトだよ」
私は腰を抜かしそうになった。
H部長は、だから手を抜いて宜しいという意味でこれを言ったのでは決してなかった。
「キミね、シゴトとスイミン、どっちが大事かわかる?」
彼女が返答に困っていると、H部長はハッハッハと笑いながら言った。
「スイミンに決まっているじゃないか」
だから仕事さぼって寝てなさいという意味でないことは、H部長の人柄、そして仕事ぶりを知っている人はみな、理解していた。
よく寝て、よく遊んで、よくいろんなことを感じて、とにかくいつも視野を大きく持っていないと、イイ仕事というのはできない、つまりいつも余力で仕事をするくらいの余裕を持っていた方がいい、という意味だった。
これはスゴイ発想だった。
私もよく、原稿を書くということに行き詰まると、ついムキになってそれを直視し過ぎて、もっと書けなくなるということが、昔は頻繁にあった。
でもそういう時にこそ、いったん手を休めてそこから離れることこそが、一番の解決策だということを、なんとなくこれまでの経験から学んでいた。
“自然”に感じる心、“自然に”やりたいと思う気持ちを大切にしながらいろいろな物事をやっていかないと、特にせわしない東京の生活では、いつのまにか自分を見失う。それこそ、仕事で悩むことの何倍もの代償を払うことになる、と。
そのコツのようなものを、心の中で思ってはいても、普通、仕事上の部下に対してそれを堂々と、真っ正面から言えるオトナは、実はそう多くない。
H部長はバリバリの企業人でありながら、心の中にたくさんの“自由”を持っていた。
少年のような素直さを、50代になっても全く忘れていない人なんだなあ……そう思いながらH部長をちらりと見ると、H部長は、口にくわえた二本のつまようじを両鼻の穴に手を使わずに口の筋肉だけを使って突っ込むという、とんでもない芸当を、3、40代の私達、つまり部下に堂々と披露した。
「君たちも、一週間練習すれば、できるようになるよ」
呆気にとられた私は、そこで口を挟んだ。
「あの……事後だから言えるんですが……どうしてどこの馬の骨だかわからない私の企画を、私の身辺調査もすることなしに、OKをして下さったんですか?」
私はつい、南米縦断前あまりにも手際よく決まってしまったライブレポートの経緯について、訊いてみたくなった。
「答えは単純。面白いからに決まってるじゃないか」
「でも……普通はマーケティングリサーチやら、なにやらかにやら、企画自体がいくら面白いとはいってもそんなに簡単にことは進みませんよね?」
「面白ければ、それが全ての答えじゃないか?」
「でも……どんなに面白いとはいっても、あまり前例のない、新しい試みをするということは、普通、大企業はつい臆病になって躊躇するもの、だと私は思っていたのですが……」
「なんでもやればいいんだよ」
「でもでも……あまり型からはずれたことをすると、いろいろ叩かれたりするだろうということをつい想定してしまって、身動きが取れなくなるということがあると思うんですけれど……。例えば私だって、いつもレポートを書きながら、こんなことを書いてしまっては、企業イメージに差し障りがあるんじゃないか、これはまずいんじゃないかといつも心のどこかで萎縮しながらいろいろやっているんですけれど……」
「まず“やる”。で、文句言われたら、その時に初めて解決策を探せばいいじゃないか」
まだ文句も言われていない、叩かれてもいないのに、やる前からそれを自分の解釈で勝手に想定して、自分の行動に垣根を作ってしまうのはおかしい、とH部長は言いたいらしかった。やりたいことがあるならやればいい、と。
そしてH部長はぽつりと言った。
「ただその時に、その“やりたいこと”が善意に基づいていることは絶対条件だけどね」
善意でやりたいということがあれば、素直にやればいい。それをやる前から、これをやると“きっと”叩かれるだろう、周りから何かを言われるだろうと勝手に想像してやるのをやめるのは、無用の長物で意味がない、と。
「例えば会社の中でもそう。もっと顧客が喜ぶ商品を開発しようとなった時に、その顧客が喜ぶだろう商品を会社の社員が勝手に想像して会社の会議室で議論を戦わせるのは、本当に意味があることだろうか?それよりも、顧客が集まる店舗に実際に足を運んで、現場の顧客と話をすれば、答えは自然に出てくるだろう?そういうこと」
そう言ってH部長は、またつまようじを鼻の穴に突っ込んだ。
H部長の説明はとっても分かり易かった。一言で言えば、頭でっかちになるなということだった。
日本の縦社会という枠組みの中で、いつも若者達は「これをやると“きっと”上に怒られる」と勝手に想像を広げ、ともすればこれをやりたいという気持ちの方を、“自分で”殺してしまっていることは数多くある。
けれど。必ずしもいつもそうとは限らない、中には気持ちとか情熱だけを買ってくれるオトナもいるということを、H部長の存在が証明していた。だから、とりあえずやりたいことは、まず“やって”みろ、と。
その日、やはりミノルタの社員であるTさんが、私に一冊のカメラのHow To本を下さった。
よく見ると、著者がTさんになっている。プロフィールに“サンデーカメラマン”とある。ミノルタのれっきとした社員でありながら、カメラ雑誌の執筆や、写真教室の講師を務めている、とのこと。
「あの……ミノルタでは、副業禁止じゃないんですか?というか、普通、企業というのは副業禁止、ですよね?」
「いや、別に仕事をさぼってこれを書いているわけではないし、あくまで土日にやっていることの集大成なんだから、会社もその辺は全く自由なんですよ」
ミノルタの人々に出会って、企業人という立場の人々のイメージそのものが、私の中でがらりと変わってしまった。
私は会社にいたら、自分のしたいことができないと思って、会社を辞めた。
けれど。少なくともH部長やTさんは、会社という箱の中に身を置きながら、やりたいことを次から次へと実現していっているように見えた。二人とも、映画から音楽まで、びっくりするほどの多趣味人間だった。
シゴトが忙しいから遊んでいるヒマはないという言葉はウソだと、二人は私に思わせた。
シゴトに一生懸命な分だけ、趣味にも一生懸命になれるんだと思った。
だから、二人はシゴトをやればやるほど、趣味の世界も同じ勢いで広げていきそうな気配があった。
会社で仕事をしたら、やりたいことをやれる時間がなくなると思い込んで会社を辞めてしまった私は、彼らを見ながら、その発想は実に短絡的だったかもしれないなあと20代の前半を思い返し、少し反省した。
イイ趣味があって、イイ仕事が成立する。イイ仕事をするから、イイ趣味に打ち込める。
その両方をバランスよく実生活で成り立たせている二人は、本当にステキだなあと、素直に思った。
そしてこういう人々を抱えている企業は、これから会社に入ろうと就職先を探している学生にとっても、本当に魅力的なのではないか、と。
「君ね、シゴトは“たかが”シゴトだよ」
短いH部長の言葉が、随分な重みも持って、私の心に突き刺さった夜。
こういう出会いにつながっただけでも、南米縦断出発前に無謀な依頼の手紙をミノルタに送ったことは決して無駄じゃなかったなあと、私は手紙をポストに投函した日のことを、しみじみと思い返したのだった。