

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-05-16 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
つい先日、文化放送ラジオの山野愛子ジェーンさんの番組に呼んで頂き、ノコノコと四谷に出掛けた。
スタジオに入った時、そこに並んだ顔の一つを見て、私は思わずアッ!と声を上げた。

文化放送山野愛子ジェーンさんの番組で、収録途中の様子
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懐かしい10年も前のこと。私がネパールでビールを飲んでいた仲間のTくんの顔が、そこにあったのだ。
あれから一度も会わずに時間だけが経ち、Tくんの顔は頬の角度が少し横に広がっていたけれど、学生時代のどこかやんちゃな雰囲気はそのまんま。唯一、違っていることと言えば、あの当時は薄汚れたTシャツを着ていた彼が、ビシッとしたスーツにその身を包んでいたことだった。
なんだか時計の針が一気に、ハチャメチャをしていた学生時代に舞い戻ったような感じだった。
「いやあ、こんなところで再会することになろうとはね……」
「僕だって、びっくりしたよ。ゲストの名前を見たら、白川さんだったんだから……」
文化放送のカフェで、あまりの懐かしさにしばらくお喋りをした。
「結局。似たようなモノの考えを持っている人同士ってのは、社会に出ても、いつか巡り巡って再会を果たすことになるものなのかもね」
「そうだね。似た趣向の人達は、結局行き着くところが一緒、なのかもね」
不思議だなあと思った。
私はよく、友達とその手の話になった時、「この世は3000人説」を唱える。
一応国連のデータでは、地球上の人口は60億を超すと言われているけれど、仕事を始めるようになってからより一層、「でも実はこの世には3000人くらいしかいないんじゃないか」という縁のミステリーを感じることがあまりにも多い。
同じ日本人同士、同じ言語を話す者同士の間でも、一から十まで全てを話して、それでもまだお互いにお互いの考え方を理解しあえないという関係もある一方で、一を話せば二十くらいがわかってしまうような間柄もある。
結局、思考回路が近いかそうでないか、別の言葉で言えば感性や価値観が、似通っているかそうでないかの問題だと思うのだけれど、どうも私のこれまでの経験では、その思考回路が自分に近い人達というのが、それぞれ、一人当たり3000人くらいなんじゃないかと漠然と感じるのだ。
私がTくんとネパールで出会った当時、彼は某大学の探検部に属していた。
彼がやっていたことは、本当に滅茶苦茶だった。地球上の秘境という秘境の川下りに挑み、それでもまだ放出しきれないエネルギーを、飲みにぶつけ、揚げ句の果てには、テーブルによじ登ってお尻まで見せてしまうという乱闘ぶり。私はその時大学4年生。一応私は私なりに、卒業後の自分の身の振り方を真剣に悩んでいた時期だったのだけれど、自分のお尻を見せてうれしそうにアカンベーをする彼を眺めるにつけ、「一体この人は今後どうなっていくんだろう……」と自分の今後より、Tくんのその後の方が心配になったのを、懐かしく想い出す。
「そんな立派なスーツを着ていても、私はあなたのお尻を知っている……(笑)」
ニヤニヤしながらそう言うと、彼は「参ったなあ……」と頭をかいた。
「じゃ、あの後、真面目に就職活動して、このB放送に活路を見いだしたんだね」
と私が言うと、彼はこう答えた。
「まあ、あんなことをしていたオレが生きていける業界はマスコミくらいしかないかなあと思って、試験を受けたんだ。そしたら、受かっちゃったから、そのままここにいる」
「そうなんだ。私もあの時はかなり、自分の進路に迷っていて、やっぱり私もいくつかのマスコミ系を受けた。けれど、運命って本当に余地不可能だね。見事に全部落とされた(笑)。だから、こうしてフリーであの当時のままの活動を、仕事に無理矢理つなげてきた、というわけなのよ、私は……」
私だって、今自分がこうなることを当時から予想していたわけでは全くない。
たまたま、就職活動にことごとく失敗したから、フリーランスで仕事をしていくしかなかったという運命だった。
けれど、彼は就職活動で成功した。だから、ちゃんと会社員として仕事をしている。
もともと、お互い似たような思考回路を持っているから、その運命はもしかしたら、逆だったかもしれなかった。
だから。お互いに全てが「たまたま」の積み重なりで全く違う立場で仕事を続けていた。
けれど。お互いにもともと持っている素質がちょっと似ているから、そして違った立場で仕事をしていたから、仕事の現場でまた会えた。
「そうなんだよなあ……。営業先に行くと、おまえ、こんなところで何やってんだよって、昔の飲み仲間に突然出会ってびっくりすることがよくあるよ」
彼は、B放送の営業マン。私が出演した番組を偶然、担当していた。
もしこれが、お互いに同じフリーランスという立場で仕事を続けていたら、会うこともなかったろうと思う。
一つの番組というのは、営業から、ディレクター、出演者、ゲストと、立場の違うたくさんの人で出来上がっている。
私は偶然、やっぱり海外好きのディレクターに呼ばれた。
その番組は、米国と日本を行ったりきたりして仕事をしている山野愛子ジェーンさんが出演者だった。
そしてTくんは、その番組の担当営業だった。
まるで立場の違う、でもどこか“ニオイ”を共にする人々が集まって、その“ニオイ”がいい意味で開花した番組が出来上がっているというわけ。
世の中って、面白いなあと思った。
“ジブン”を形成するのにいつの時代が大切かと訊かれれば、私は迷わずに17〜22才だと答える。もしくは人によっては20〜25才くらい、の人もいるかもしれない。
私が年下の人に言ってあげられることがあるとすれば、その時期にいる人は、とにかくなんでもかんでも全てやってみた方がいい、ということ。
私だって、初めから自分が旅を愛している人だと知っていたわけじゃなかった。
でも、あの頃は、金銭的にも時間的にもいろんな自由が手にできる年頃だったので、とにかくほんの少しでも興味があることは、ほとんど全部やってみたといっても過言ではないと思う。
アルバイトだって、たぶん30種類くらいは経験したはず。家庭教師、ウェイトレス、マネキン、販促スタッフ、フォトライブラリーの手伝い、水商売、事務……。本当にいろいろやった。
やっていくうちに、少しづつ、自分に向いているものと、そうでないものが区別できるようになっていった。
時々、近所の大学生とお喋りをしていると、「自分のやりたいことが何かわからない」といった話をよく聞く。
けれど、それは逆に言えば、やりたくないことをやってないから、やりたいこともわからないんだ、と思う。
とにかく、「長続きしない」とか「すぐ気が変わる」と上の人にどれほど言われても、やっぱり様々な分野をアルバイトで体験したことは、本当に物事を選択していく上での役に、とても立っているような気がする。
これは多少耐えれば自分でも続けられると感じる職種がある一方で、この職種はもうどう頑張っても体が受け付けないという分野もある。それを上に書いた時期に知っておくことは、とても重要だと思うのだ。
そんな中から、私は“旅”を選んだ。これなら、他のあらゆることを犠牲にしても、続けていけるくらい好きなものらしいということが、やっていくうちに段々とわかってきた。
ブランドものを買うのを止めても、多少行く先が不衛生でも、はっきりしていたのは「旅が決して嫌いではなかった」ということだった。
今という時代はあまりにもいろんなものがありすぎて、本当に自分が何が好きなのか、わからなくなるのは当たり前。私だってそうだった。だから、いろんなことをとにかくやってみることで、逆に「どうあがいてもできない、嫌いなこと、耐えられないこと」を見つけていくうちに、つまり消去法で探すうちに、旅が残ったということだったようにも思う。
きっとTくんもそうだったに違いない。というか、ネパールで出会っているのだから、そういう人種だった。
けれど。私もTくんも、旅をしているだけでは食べていけないと気付いていた。
じゃあ、どうするか。
Tくんは少しでもそれに近付けるだろう、マスコミ業界を選んだ。
これなら多少は、自分の好きなことも仕事の中でやっていけると考えたんだと思う。
そして私は……「たまたま」マスコミ系会社数社に全部落とされてしまったので、それなら旅のコンテンツ、つまり文章や写真を売り歩いて食べていくしかないという状況に迫られた。
お互いにそんな風に別々の道を歩き続けて約10年。
二人とも、仕事の上でもちょっぴり成長して出会えたことを、心から喜んだ。
もう一つ言えることは……二人のうちどちらかが、途中でその気持ちを断念してこの分野での仕事を辞めていたら、会えなかっただろうということ。さらに言えば、20代でお互い仕事を勉強するのに四苦八苦していた頃だったら、会えたはずがなかった。
よく、講演会で、「大陸横断をすれば、自分が変わりますか?」という質問を受ける。
いろんな人達と旅を共にしてきた経験則からいくと、そういう刺激的な体験をした年齢が上に書いた時期に当たっていれば、その後の人生は激変する、場合もある。
けれど。たぶんその時期に重なっていない場合は、たいして変わらない。
というか、人間の持って生まれた本質は、それほど変わらない。
というか。別の言葉で言えば、自分の持って生まれた本質にたどり着ける、時間的、精神的、経済的自由を持っているのが、上に書いた時期なんじゃないか、と私はよく思うのだ。
だからこそ、その時期を本当に大切に、あらゆることに挑戦して時間を過ごして欲しいなって思う。
そしてその時期に「なんとなく話が合う」と感じた相手は、長いときを経てまたどこかで会うことになる人なのかもしれないのだ。
飲み会でお尻を見せていたTくんは、スーツは着ていてもやっぱり本質は変わった気配がなかった。
だから、10年会わない時間を過ごしていたというのに、ツーといえばカーの会話が繰り広げられた。
ネパールでビールを飲んでいた当時、お互いに「趣味趣向が似ているなあ……」と思っていたことは、結局今になって「ジンセーの方向性までが似ていたんだなあ……」と感じることとなった。
「いつかチャンスが巡ってきたら、一緒に面白い旅番組を作ろうね」
「そうだな。黙っていても、このまま続けていたら、運の引き合わせが自然にそうさせる、かもな」
次に会う約束は全くしなかったけれど……。Tくんに私はまたどこかで会うような気がしてならない……。