

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-05-09 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私が南米に行っている間に、学生時代の友達の一人が、栃木県でイチゴ農家を始めたという便りが届いていた。
このコラムのタイトルは、「そんな地球を訪ねてみれば」。
海外、国内を問わず、トモダチが栃木で農家を始めたとなれば、行ってみるしかない。
私は紙に書かれた住所の番地の部分だけを、切り取った。
最初、電話をしようかなあと思った。
けれど。そこでささやかなイタズラ心が働いた。突然行って、びっくりさせよう。
大人になって気付いてみたら、いくらトモダチでも、予告なしに目前に登場するということが少なくなっていた。
大人になればなるほど、予定調和で動かなければならないことが増え、今この瞬間にトモダチと会いたくなっても、まず電話をする、時間と場所を合わせる、そしてやっと会うという段取りを踏まなければならないことに、ちょっと窮屈さを感じていたのかもしれない。
思えば。私が子どもの頃は、トモダチを訪ねるのにわざわざ予告なんぞしないことが当たり前だった。
訪ねられる方も別に驚きもせず、家に偶然いればトモダチの相手をした。
けれど。“イソガシイ”らしいオトナの世界になるとどうもそうはいかない。
だから。突然そのキマリを破りたくなったのだ。
計画は極秘のまま進められた。
車を持っている近所の友達10人あまりに声をかけ、いきなりその住所のある場所に向かう。
といっても、イチゴ農家になった彼を知っている人は、私一人。
それでも「来たかったから、来てしまいました(笑)」という気持ちがあれば十分と、全員が行くことにした。
集まった人が知らされているのは「イチゴ狩りにでかけるらしい」ということのみ。
手に持った住所は、栃木の足利の板倉町。そしてそこに着いたら、人づてにイチゴ農家のTさんを知っていますか?と尋ねながら探せばいい。そう思ったら、無性にワクワクした。
地図を見ながら、まず足利のインターを降りる。
そして“板倉”と地図に小さく書かれた辺りを、とりあえず車でウロウロする。
そして。辺りに点在する民家の呼び鈴を押し、ピンポーン。
「この近くでイチゴを作っているTさんを知りませんか?」
「知らないねえ……あっちの方じゃないかね?」
そして“あっち”の方に行ってみたけれど、それらしきものは見当たらず。
そこでまた、民家をピンポーン。
「知らないねえ……そっちの方にあるんじゃないかい?」
“そっち”に行ったけれど、よくわからず。
これを何度か繰り返した揚げ句、一人のオジサンがこんなことを教えてくれた。
「Tさんという名前かどうかはわからんが、イチゴを作っている人がいたねえ……こっちの方に」
今度は“こっち”に向かう。
「イチゴを作り始めたTさんを探しているんですけど……」
「あ、まだ若い彼ね。彼はうちの土地でイチゴを育てているんだよ。地図、書くよ」
道端にはタンポポがたくさんの綿毛を付けていた。
そして新緑山々に小鳥のさえずりが響くのどかな一日。
教えてもらった一軒家の扉を叩く。どうやら不在の様子。
やっぱり予告すべきだったのかなあ……と思いながら、あぜ道にどっかりと腰を下ろす。
タンポポの綿毛を吹き飛ばしながら、ただぼーっと待っていた。
東京のスピードに慣れてきつつあった体には、この待ち時間という代物はムダではないかと私に思わせた。
そしてまた、栃木足利、板倉町の時間の流れの中でじっと待つ。
そのうち。頬を撫でる風に意識が向くようになった。
そして、タンポポの綿毛がふわふわと飛んでいく様子が、しっかりと目に入ってくるようになった。
東京の猛スピードの時間の流れが、私を盲目にしていることは山ほどあるんだな、と思った。
イヌノフグリの小さな花びらを眺めながら、可愛いなあと思った。
青々と育ったヨモギの葉脈を見ながら、頑張っているなあと思った。
板倉町のゆっくりしたスピードの中で、一見ムダなような待ち時間が、次第に楽しい時間に変わっていった。
彼に会うのは、ほぼ三年ぶり。ちょっぴり太っていた。
突然の私の来訪に一瞬驚いた表情を見せたのだけれど、そこに一緒にいた見知らぬ10人あまりの私の友達に、彼は目を丸くした。

今年初めて“自分のイチゴ”を作り始めた34才のTくん
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本当はゲリラ的イチゴ狩りをするつもりだったのだけれど、彼の朝4時からの仕事でイチゴはもう摘み終わり。
今年始めたばかりの新米イチゴ農家は、彼一人ではとても手がまわらず、毎日とても忙しかったと言っていた。
じゃ、みんなで脇芽の間引きを手伝うかということになり、土になんてほとんど生まれた時から触れていなかった私の仲間達は、イチゴ狩り、ならぬ、イチゴの葉っぱ狩りをすることとなった。

普段はデスクワークをしているいいオトナ達が、慣れない土仕事に挑戦。
それでも無心にやっているとだんだんにハマってくるのだから、不思議なもの
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スーパーで並んだイチゴを買ってただ食べるのと、実際にイチゴの苗に触れてから食べるのとは、なにか、感じることが違う。私の仲間達は、苗についたままの真っ赤になった実を振って、イチゴの躍り食いを楽しむ。
スーパーのイチゴは、透明のパックにあまりにもきちんと整然と並べられているから、もしかしたらこれもベルトコンベアーで種別されてパックされているんではなかろうかと錯覚してしまう節がある。
というか、実の大きさまでがピシッと揃っているから、一本のイチゴの苗にはいつも同じ大きさの実がくっついているのではないかと、どこか思い込んでいたのだ。
けれど。実際に苗にくっついているイチゴの実は、大きさも形も実にバラバラで、ただそれを一つ一つ農家の人が選別に選別を重ねて、大きさを揃えてパックしているだけなんだという、まったくもって“当たり前のこと”を、そこにあったイチゴの苗に“触って”“感じる”ことから教わった。
アフリカでも似たようなことがあった。
昔、子どもだった私は動物園の動物が、オリの中のほんの一部をぐるぐるぐるぐる8の字をかきながら歩いているという光景に触れ、いつのまにか、動物の行動とはそういうものなんだと記憶してしまった。
というか、子どもながらに、オリは彼らが8の字をかいているスペース以上の場所があるのに、どうしてほんの1mくらいの間をぐるぐるぐるぐる回り続けているのかが、全く理解できなかったのである。
一日中、ぐるぐる回り続けて何が楽しいんだろう、きっと動物はバカなんだな、で片づけていた。
ところが。
アフリカで実際に見た野生動物は、意味もなく8の字をかいている動物なんて、どこにもいなかった。
まっすぐまっすぐ、どこまでもまっすぐに歩いていたのだ。
私はびっくりした。だって、動物園で見た動物と、アフリカの動物の行動が全然違ったから。
そして日本に戻ってから、もう一度上野動物園に行ってみた。
そしたら、ライオン区画のところで、ライオンはもっと広い範囲で走ろうと思えばそれをできるスペースは十分にあるというのに、なぜか1mくらいの限られたスペースを、やっぱりぐるぐるぐるぐる回っていた。
シロクマもそうだった。オリの端から端までまっすぐ歩こうと思えば歩けるスペースはあるのに、頭をヘンに振り続けたまま、ぐるぐるぐるぐる回っていた。
ビョーキなんだな、と思った。
子どもの私は、オリに入れられてビョーキになっている動物の生態を、そのまま信じていたらしかった。
全ての動物がまっすぐに歩くことは当たり前。その当たり前のことが、アフリカに行くまでわからなかった。
たかがイチゴ。されどイチゴ。
あんなにパクパクと食べてしまうイチゴなのに、実はこんなに人の手がかかっているなんて、知らなかった。
しかも、彼の説明によれば、真っ赤なイチゴになるまでに実をつけてから約40日も時間がかかるのだと。
そう思って再びイチゴを眺めてみれば、今まで気にもとめなかった粒々のデザインまでが、妙に愛おしく見える。
存在の軽かったイチゴは、あの一日で一気に重くなった。
軽い思いつきに始まった小さな旅。
イチゴ狩りができると信じて一緒に来た私の仲間は、イチゴの葉っぱ狩りをする羽目になり、しかも目的地に着いてからその張本人を自分達で探さねばならない展開になり、今日はこれこれあれをしようと作業の計画をしていたイチゴ農家のTくんは、いきなり10人もの見知らぬ人が訪ねてきたことにより、その予定は木っ端微塵に粉砕されてしまったに違いない。
けれど。予告も、約束も、事前の電話も、準備もしない行動は、爽やかすぎるほどに自由だった。
それはまるで、タンポポの綿毛がどこへ飛んでいくか予定していない割には、ちゃんと次の種をどこかに植え付けるかのような。
意外と。そういうくらいの方が、物事は面白い展開が待っているんだよな。
イチゴでお腹をいっぱいにして帰ってきた仲間達と、思わぬところでイチゴの脇芽の手伝い人を得たTくん。
両方が、腹の底から笑えた一日だった。