

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-05-02 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
先日、仕事で久しぶりに京都へ行って来た。
日本にある程度の期間いてから京都に行って感じることと、海外から戻ってきて間もないうちに京都へ足を踏み入れるのとでは、相手は同じ「京都」のはずなのに、目に映るものが違う。
私はここ8年ほど、日本に半分、海外に半分という生活をしている。
その中でいつも感じることなのだけれど、ニホンという国は本当にいろんな意味で一番変わっている。
島の中にいてしまえば、感覚もマヒして、それが当たり前になってしまうのだけれど、自分の国ながら、いや、これほど変わった、ユニークな国はない、と毎度思ってしまうのだ。
国旗を掲げることや愛国心を語ることが、よそ様の国を傷つけるという主旨で論議がはずむ国は、少なくとも私が今まで行った国々の中で一つもないし、教科書の黒人のおばさんのイラストが、鼻の横幅が広く、人種的偏見を感じさせるから訂正を!と、一国の官の機関が教科書会社に通達するという国も、これまた聞いたことがない。
開戦前に「タマちゃん」騒動が、戦争を押しのけて話題のトップにあがるという感覚も、地球のマジョリティーから言えばかなり、いや、とんでもなくずれまくっているし、ましてアザラシに市民権をあげることになったという国も前代未聞。せっかくの市民権を笑い飛ばすように、よその県に出没しているタマちゃんだけれど、それをまた必死で追いかけて報道をするという国も、かなり珍しい。そして、そんなテレビから流れてくる情報全てを懸命につかみ取ろうとしながら、情報に自分の人生を右往左往させられているという状態も、地球の60億の人口比から言えば、たぶん0.1%にも満たないんじゃないか、とよく思う。
地球の半分くらいを実際に見た結果、やっぱりそう思ってしまうのだから、仕方ない。
ともあれ、それら全てをひっくるめて、やっぱりニッポンはヘイワだなあ……としみじみ感じ入るのである。
そして……。
私は仕事の合間に、その不思議大国ニッポンの象徴とも言える、京都祇園の町をぶらぶらと歩いていた。
南米帰りの私の目に、フシギなものがいろいろ飛び込んできた。
「今にも消え入りそうな遠慮がちな看板」
「アリ一匹も通さないんじゃないかと思われる、ぴったりと閉まった門」
「窓の外側にもう一枚、視線を遠ざけるかのようにかかった簾」
「いったいその奥には何があるんだろうと、好奇心をかきたてられる小さな玄関」
「手で口を隠しながら小声で、伏せ目がちにひそひそとお話をする舞妓さん」
「一見さんはお断り、“会員制”の注意書き」
「慎ましやかに玄関口に置かれた塩」
「打ち水にしっとりとした風情を醸しだす石畳」
「小さく、品よく、絵画のように盛られた京料理たち」
「至る所に書かれた、“小便垂れるな”の走り書き」……。
挙げればキリがないくらい、それらは私が1ヶ月前までいた、南米という世界と見事なくらいに逆だった。
チリ・アルゼンチンの見慣れた光景は、こんな感じだった。
「ババンと目立つように置かれた看板」
「常に数カ国の人がじゃんじゃん出入りしている開け放された門」
「例え裸になって着替える時にも、カーテンさえ閉められることのない窓」
「いったいその奥に何があるんだろうと相手の好奇心をかき立てる以前に、全てを見せてしまっている玄関」
「喉ちんこが見えるんじゃないかと思うくらいに、大口を開けて豪快に笑う女性達」
「一元さんにさえ、ほっぺたにキスで迎え入れてしまう、誰でもWelcome気質」
「周りに多少の雑草が生えていても、ちっともお構いなしの石畳」
「少しくらい砂が混じっていようが、形が悪かろうが、素材その“まんま”を勢いよくお皿に盛りつけた料理」
「小便に犬の糞くらい、なんてことはない。気にもならないから、どうでもいい」……。
日本と南米。この二つの世界は、これ以上の正反対はないと思うくらいに、違って見えた。
日本文化の真髄は、「奥ゆかしさ」と「表面上の平穏」。
京都の文化は、入り口が狭い分、奥へ奥へと長く続いていた。
京都町屋の建築構造が、奥へ奥へと続いているように、または着物という重ね着文化が脱いでも脱いでも次が出てくるように、簡単には“核心”を見せてくれないところに、ガイジンは惚れ込んでしまうらしい。
表は質素な着物だというのに、裏襦袢の赤がたもとからチラリと覗いた時に感じられる美学。
または、小脇に抱えたカバンの裏張り布の情熱的ピンク色が、何かの拍子にチョロリと顔を出す時の小さな興奮。
舞妓さんの襟足に、後れ毛がほんの数本垂れているところにドキッとさせられる味わい。
御茶屋さんの簾の隙間から、ほんのりと電球の明かりが漏れている時の温かみ。などなど。
全てのものが直接的にオープンになっていない。南米にはほとんどなかった要素を数多く持っている日本独特の文化を噛みしめながら、私は花街・祇園を歩いていた。
空は黄金色。
子どもの声が路上から消え、風は夕暮れの空気を運んできた。
ちょうど時間は夕食時。
通りかかった割烹から、お料理の匂いがしてきた。
人ひとりがやっと入れる路地裏を、自転車に乗った仕出し屋さんが肩にお料理を乗せて走り去る。
これから御茶屋さんにお料理を届けにいくのかな。
柳の枝が垂れる通りは、橙色の街灯がつき始め、川はさらさらと心地よい音をたてている。
ハイヤーから降りて、楚々とした面持ちで御茶屋さんに入っていく舞妓さん達を眺めながら、私はその木造家屋の中の光景をふと想像した。
御座敷にどっかりと腰を下ろしたお客さんが、美味しい料理と、芸妓さんの三味線の音色に、束の間の安堵を感じているのかなあ……。
そう思った瞬間。
今まで“違ったもの”に見えていたニッポンと南米が、ふっと重なって見えた。
南米でもヒトはみな、夜になると「食」「酒」「色」そして「余興」のあるところへ出掛けていく。
そして人々はストレスを発散すると、夜遅く、または明け方近く、すっきりした顔をして帰っていく。
(カタチは違っても、ヒトのやっていることはどこでも一緒、だなあ……)
ぴたっと閉じられた門のある世界と、豪放磊落という言葉がよく似合う開放的な世界。
門構えは違うけれども、入ってしまえば、そこにあるのは、美味しいお料理と、艶っぽい女性と、心に響く歌。
なあんだと思った後に可笑しさがこみ上げてきた。
(ふふふふふ)
なんだか無性にヒトが愛おしく思えた。
根っこのところは、南米だろうが、ニホンだろうが、やっぱり一緒。
(複雑に見えているけれど、実はヒトがやっていることはなんて単純なのかしら)
表面的には、南米とは全く正反対のベクトルにある京都の御茶屋さん街。
(でも一皮剥けば……)
一見さんお断りの世界には、私が入れる余地はなし。
でも簾の隙間から漏れてくる舞妓さんのクスクス声を聞きながら、私はどこかほのぼのした気分になっていた。
帰り道。歴史がありそうな、古い漢方薬屋さんを見つけた。
ウィンドウには不思議なものがたくさん並べられていた。
(ン?)

それぞれ、どういう効能があるんだろう? 右端が“狐の頭の黒焼き”知っている人がいたら、教えて下さい。
↑Click
「狐の頭の黒焼き」に「マムシのムシ焼き」「狐の舌」に「マムシの玉子」。(一体こんなもの、なにに使うのか?)
そう、南米ボリビアでも、ついこの間に年末に全く同じことを思った。

ボリビアでも「干し動物」を並べたお店が……。彼らは祈祷にこれを使うのだとか。
↑Click
市場に「子リャマのミイラ」「干しカエル」「乾燥アルマジロ」など奇妙奇天烈なものが売られていたっけ。
私はそれを見て、確か叫び声をあげた。
でも私のお膝元、ニッポンにあったのは……。
「狐の頭の黒焼き」に「マムシのムシ焼き」「狐の舌」に「マムシの玉子」。
やっぱり。ヒトのやっていることにあまり大差はない、様子。
私はうれしくなって、この京都の漢方薬屋さんの事をアカルイ話題として、ある集まりで提供した。
というか、少なくとも「狐の頭の黒焼き」は私にとっては楽しい、興味深い、そして軽やかに笑える話題だった。たぶん欧米人に同じ話しをしても、“アッハッハ”で済まされる程度の話題だった。
が。やっぱり、風変わりな、いやユニークなニッポン国の人々の反応はちょっと違っていた。
ただでさえシリアスだというのに、みんなもっとシリアスになった。
そして、マジメな議論になってしまった。
「法的規制では、狐の頭の黒焼きは、許されているんでしょうか?」
「薬事法にひっかかっていないんですかね?そんなものを販売して」
「動物愛護団体からのクレームを、そのお店は受けたことがないんでしょうか?」
「変なウィルスなどが、本当に怖いですよ。取り締まらなくてもいいんですかね?」
私はどう反応してよいかわからずに、とりあえず固まった。
結局。東京のとある場所で数人のエネルギーが30分ほど、その議論に費やされた。
ヒトのやっていることはどこでも一緒。
でも。狐の頭の黒焼き一つに真剣な論議を30分もできるニッポンは、やっぱり変わっている。
というより。なんてヘイワなんだろうと、私は再度思ってしまったわけだった。