

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-04-25 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
今、これを京都へ向かう新幹線の中で書いている。
最近はパソコンの電力が結構持つようになったお陰で、車内でDVDなどが楽しめるようになったのがうれしい。
一人でパソコンに南米で買ってきたお気に入りのCDを入れ、隣に人がいないことを確認して、座席に座ったままちょっと踊ったりしてみると、あら不思議、車窓から見える風景までいつもと違って見える。
私はなぜか地平線を見ていると妙に落ち着くという変な癖がある。
東京の通勤ラッシュの電車に乗りながら、少しでも地平線に近い風景が見られる場所がないかと考え、つい二週間ほど前から電車の最後尾、車掌室のところにへばりついて、外の風景を眺めるようになった。

オトナにとって当たり前になってしまった車掌室に、私以外、乗客は誰も興味を示していなかった。
でも以外と、そんな「当たり前」のところにこそ、よくよく見ると宝物が転がっていると私は思うんだけどなあ……。
↑Click
車掌室。今まで特に気にすることもなく、目の前を通り過ぎてした個室。
JR中央線のどこまでも続く線路と、両脇をびっしり固めた住宅群を見ながら、ふと、「車掌さんは車内アナウンスをしている以外の時間は、あの個室で一体何をしているのだろうか」と気になった。
早速、観察を開始した。
車掌さんがホームから車掌室に戻り、合図をすると電車がそろりそろりと動き出す。
窓を見ていろいろ確認してから、次の駅の案内を行う。「次は八王子、八王子……お降りの方は……」これに要する時間がほんの数秒。けれど、次の駅に到着するまでの時間は、あと約数分は残っている。
その間に、車掌さんが何をしているのか。
今までそこまで深い好奇心を持って、あの車掌室という個室を観察したことはなかった。
初日の車掌さんは、まったく忘れられないほどにステキな車掌さんだった。
とりあえず前後左右を確認し、アナウンスをし、時刻を確認し、やるべき仕事をきっちりと終えると、いきなり車掌室の窓を開けた。
そして何かを歌い始めたのだ。
残念ながら車掌室は完全な密室。私には何を歌っているのかは聞こえない。
でも車掌さんは爽やかな春風に吹かれ、前髪を逆立てながら口だけをパクパク動かしている。
そして二三分。またぴりっとした真面目な顔に戻ると、いつも通りのアナウンスをきっちりとこなした。
ふふふふふふ。なんだか私は愉快な気分になってきた。
まさかこんな展開になるとは思わずに、車掌室の観察を始めたのだけれど、まさかいつも機械的にアナウンスをしている車掌さんに、こんな人間らしい側面を見つけるとは、足下ニッポンでの大発見。
その日は清々しいほどの青空が、車窓全般に広がっていた。
線路は続くよ、どこまでも。電車はまた次の駅に向かって出発した。
駅名のアナウンスも終了。さて、次は車掌さん、どんな行動を取ることやら……。
(えっ。。。)
シーンとした車内で、そこまでじっくりと車掌さんを見ていたのは、おそらく私だけ。
次に車掌さんが取った行動を見て、私は可笑しさが腹の底からこみあげて、でも静かな笑ってはいけない車内の中にいて、私は笑いに殺されそうになった。ぷぷぷぷぷとなってしまったのを、適当にごほほほほと咳の音に変えた。
車掌さんは、子どものように唇をブル、ブルブル、ブルルルルーンと震わせて遊んでいた。
いや、遊んでいたと書くと、語弊がある。彼の立場もあるから「のどかな息抜き」をしていた、と書こう。
そういえば、小学生の頃、よく友達とそんなことをして遊んだっけ。
口を閉じたまま、唇だけを震わせてブルルルルルルーン、ブルルルルルーン。
まさかあの遊びを、45才くらいの車掌さんが、冷静な車内アナウンスの合間にやっているとは知らなかった。
そう、よく考えてみれば、車掌室はある意味で、電車にくっついた「個室」。
電車の普通の中で、その車掌さんと同じことをするのは憚られても、車掌室という個室はたぶん車掌さんにとって、仕事の時間内でも自分が自分らしくいられる唯一の空間だから、本当にのびのびとできるのかもしれない。
車掌さんは、ポケットに入れた懐中時計をきっと見ると、人差し指を立て、「オッケ!」と独り言を言った。
私はその車掌さんの秘密を知ってしまった気がして、高尾-新宿間の47分を時間を忘れて楽しんだ。
車掌さんは、ブルルルルルーンに飽きると、今度は舌を上あごのところにくっつけたり離したり、カッコン、カッコンと音を立て始めた。そして車窓を見ながら何かを歌い、時間が来ると真面目に仕事をし、また歌う。
仕事は真面目にやるもんだ。そりゃそうだ。その車掌さんも仕事はとても真面目にこなしていた。
けれど、同時に仕事を楽しんでもいるみたいだった。
47分の間、彼の口はいろんな方向に動きっぱなしだった。
一人暮らしの人が、「家では独り言が多くなる」と言うけれど、まさにそんな感じ。
そして私はそんな彼を見ながら、南米の人みたいだなあと思い、普段の性格も楽しい人なんだろうなあと想像した。
ちょっと話は飛ぶのだけれど、ウツになる頻度は、口を使う頻度と反比例するといった研究論文がある。
いろいろ民族的に、ふさぎ込みやすい民族と、自殺率ゼロパーセントに近い民族との特性を、「口の使用頻度」という切り口で探っていくと、口をよく使う民族ほどふさぎ込むことが少ないということが明らかになっている。
口を使うとは……「食べる」「喋る」「歌う」「キスをする」。
この説、まんざらウソでもないなあと、と私は南米に行って思った。
ラテン民族は、とにかくよく食べ、よく喋り、よく歌い、よくキスをする。
それで彼らに自殺率を尋ねると、日本の比較にならないほど、僅かしかない。
それに比べて、結構高率の自殺率があるアングロサクソンなどは、あてはまるのが「喋る」くらいで、あとはあまり当てはまらない。
周りにいる人をちょっと想像してみて欲しい。
ちなみに私は昔、ゆでダコと言われるくらいに内向的で照れ屋で全く喋らず、歌わず、食べず、キスをせず、という性格だったのだけれど、その分、なぜだか当時の日記を引っ張り出してみると、やっぱりこれが不思議に暗い。
ところが、今は……なぜか逆。ゆでダコと呼ばれた高校生の頃と比べて、口を使う頻度が異常に増えたせいか、自分でもよくここまで変わってしまったと思うほどに、ふさぎ込むということが格段に少なくなっている。
そして、その研究論文を読んでから、自分を使って実験をするという意味も含めて、何かイヤだとか辛いと思うことがあって落ち込みそうになった時には、とにかく上の四項目を自ら促すことにしてきた。
私の場合は、これが非常に効果的だった。
別に辛いことがあった時だけではない。
楽しいことがあった時、面白いなと思ったことがあった時、独り言でもいいからとりあえずそれを口から出す。
すると、それまで感じていた以上、楽しさが倍増してくるのだ。
例え周囲の人に変と思われても、私は一人でお散歩をする時、結構歌っていたりする。
または、散歩中にオッと思ったことを、わざわざ「オッ!」「ヘエ!」と口に出して言ってみる。
そうすると、自分の周りにある「見慣れてしまってつまらないと思っていたもの」が結構違ったものに見えるという風に気分が変わってきたりするのだから、口をよく使うということの偉大さを思わざるを得ない。
一般的な日本の場合は……「食べる」。食べる量の国際比較からいくと、少ない。「喋る」。どうだろう。大阪と東京は随分と違うから、大阪人と東京人はこのあたりでふさぎ込む率が違っているかもしれない。「歌う」。世界中の他の途上国やラテンの国々と比べれば、なんでもかんでも歌にして唱ってしまうという傾向は日本では少ない。「キスをする」。挨拶代わりにいつでもキスをしている人達と比べると、やっぱりこれも頻度は少ない。
ということで、結論。国際比較をすれば、一般的に日本人はどちらかというと、口を使う頻度が少ない。
もし上の理論が信憑性があるならば、日本人はふさぎ込みすぎないよう注意しなくてはいけない。のかもしれない。
というところから考えれば……(前置きが非常に長くなりましたが)先に述べた車掌さんはそういう心配はする必要がないだろうなあ、あれだけ電車の個室で自分の口を使っているんだもんなあ……と私が思ったところで、車掌さんをちらりと見ると、また窓から顔を出して口パクで唱っていた。
(電車の扉は閉まっているし、車両とはガラスで隔てられているし、きっと誰にも聞こえていないと思って車掌さんはあんなヘンなことができるんだろうなあ……ほんとは、私に観察されているのに)
私はぷぷぷぷぷぷと吹き出し、なんだかほのぼのした気分になった。
毎日毎日乗っていた「見慣れた」「つまらない」電車は、その日を境にちょっぴりタノシイ電車にと変化した。
それからというもの、地下鉄に乗っても、好んで最後尾にわざわざ乗るようになった。
ある時もとても楽しい光景を目にした。
いつも地下鉄の最後尾の車掌室はガラス張りになっている。
ある時は女性車掌さんが、そこに立っていた。
年は28才くらいといったところか。制服は着ているものの、茶髪で結構今どきの女の子。
女性の車掌さんなんて珍しいなあと思って覗き込むと、周りにもたくさんの目玉があるのに気付いた。
仕事に疲れたといった風体のオジサン達が、車掌さんが若い女性という珍しさも手伝ってか、車掌室をじっと覗き込んでいるのだった。といっても、ガラスに隔てられているわけだから、どことなく動物園の見せ物状態。
ついさっきまで乗っていたJR中央線は、いつも車掌室にいるのは男性だけだから、誰一人として車掌室を覗き込んでいるというようなことはなかった。というよりむしろ、そのガラスの前に立ちながらも、「全く興味もございません」と、窓枠のスチールに髪の毛を挟まれながらも立ち寝をしている人がほとんどだった。
が、若い女性が車掌室に立っているとなったら、様子は一変。
車掌室の周りは活気が渦巻いていた。
若い女性車掌のお姉さんはお姉さんで、自分が数人のオジサンから注目されているということを意識してか、地下鉄の窓ガラスに鏡のように映った自分の姿を見て、髪に手ぐしを入れている。
ガラス一枚へだてて、オジサン達は動く彼女をじーっと見つめる。
そしてぷいと(あなた達に興味はないのよ)と言いたげな表情で、また彼女は手ぐしを入れて口を尖らせる。
そしてその間に、きちんとお仕事。
「はい、次は赤坂見附、赤坂見附でございます。お降りの方は……」
ホームを見、出発進行の合図をした後は、またニンゲン劇場の始まり、始まり。
乗り込んですぐ目をつむろうとしたのに、車掌室に立っている人が若い女性だからびっくりして、そのまま目を見開いて彼女を観察せずにはいられないという状態のオジサン達。
そしてそれを意識して、まんざらではないという顔をしながらも、わざと無愛想に振る舞う女性車掌のお姉さん。
ニンゲンかくも滑稽なり。いや、実に愛らしい。なんともほのぼのしているではないの。
いつもイヤというほど乗っている地下鉄の中で、こんな面白い光景に出会えるとはなあ……。
私は心の中でぷぷぷぷぷと笑いながら、いつもよりも格段にルンルンした気分になって電車を降りた。
さて。このエッセイを掲載するためには、写真がいる。
よし、本日はまたまた最後尾に張り付いて、その光景を買ったばかりのデジカメで撮るぞ。
通勤時間帯で押しくらまんじゅう状態になっている車内で、小さなデジカメを引っ張り出した。
そして、いつものように車掌室のガラスのところにへばりつく。
右にも左にも後ろにも人がいるけれど、恥ずかしいと思うなかれ。
法律に触れることをしているわけでもなく、人を傷つけることをしているわけでもなく、ただ自分が興味があると思ったことに素直に、そして車掌室の写真が欲しいと思っているのだから、撮るのだ!と自分に言い聞かせる。
パシャッ!
設定を間違えていたのか、朝の静かな電車の中で、フラッシュが思い切り光った。
車掌さんは、ガラスの向こうにへばりついたまま、デジカメ片手に車掌室を覗き込んでいる私の存在に気付き、サササササッッと身を隠してしまった。
今までは駅から電車を発車させると、車掌さんは私の見えるところに出てきたのに、隠れたまま全く姿を現さない。
だ、だめだ。せっかくだから、車掌さんも入った写真を撮らなくっちゃ。
JRの中央線の電車内で、何が珍しいのか写真をパチパチ撮っているガイジンさんを見ることがあるけれど、周囲の人はそのガイジンさんを特に咎める気配はない。
ソウナノダ。私も自分をガイジンさんだと思えばイイノダ。
だって、車掌室がとても珍しくて写真を撮りたくなってしまったんですもの……。
もう一回挑戦。なんとか一枚、撮らせてもらった。
良かったよかった。また観察を続けよう。
……と思って車掌室のガラスに顔をくっつけたところで……。うわわわわわわ……。
それまで陰に身を潜めていた車掌さんが、ガラス越しにいきなり私の真ん前に突っ立った。
私はガラスを挟んで車掌さんとキスでもしてしまいそうな距離。
そしてマイクを持つと怖い顔で私を真正面からギロリと凝視しながら、「次は東京……トウキョウ……」と私に向かって喋っているかのような、とても力強い声でアナウンスをした。
車掌さんの無言の逆襲。事態は思わぬところで急展開した。
それまでガラスのこちら側からじっと観察していた私が、今度は車掌さんに逆観察された。
ああ、怖い怖い。思わずカメラをしまった。そして視線を床に落とし、身を小さくした。
(どんなに機械的に仕事をしている車掌さんも、やっぱりニンゲンだったんだなあ……)
車掌さんに睨まれても、私はなんだか楽しくて仕方なかった。
日常の中で小さな冒険。その種はきっと半径5mのところにだって転がっている。
“コドモの好奇心”。それさえ持ち続けていれば、「毎日変化がなくてつまらない」どころか、「毎日がつまって仕方がないくらいになる」と、私は思っているのですが……、さて、いかがなものかしらん?