

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-04-18 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
南米から戻ってきてちょうど三週間。やっと日本の空気感に慣れるようになってきた。
日本の春は本当に素敵だ。うちの庭にも、小鳥達がたくさんやってきて、気持ちよさそうにさえずり、足下を見れば、アリンコ達が巣作りにわっせわっせと勤しんでいる。
生き物達が元気に活発する様子に、なんだかこちらまで楽しい気分になってくる。
帰ってきてから、よくこんな言葉を周りの人から聞いた。
「あちこち行けて、刺激のある人生でいいですね」
「私は毎日代わり映えのしない日々が続いて、本当につまらない日常を送っています」
最初はニッポン的謙遜の言葉なのかなあと思って聞いていた。
けれど、よくよく話してみると、本当にそう思っている人も少なくないということがわかってきた。
でも。私はよく思う。
楽しいか、楽しくないかは、個々人の目のつけどころ、好奇心の持ち方次第なのではないか、と。
なにも地球の裏側まで行かなくたって、例え半径5mのところをウロウロする毎日だって、例え引きこもっている状態だって、実は世の中は楽しいことに満ちている。
このエッセイのタイトルは「そんな地球を訪ねてみれば」。
というわけで、今回は、私の家から7分のところにある、超身近な地球、日本国東京都八王子市狭間町にあるスーパーマーケット・イトーヨーカードーの探検に行ってみた。
いつもなら、買うべきものだけ買って戻ってきてしまう「つまらない」日常から脱却するべく、いつもの三倍くらいのスピードに歩く速さを落として、牛にでもなったかのように店内を徘徊してみた。
あるわ、あるわ、フシギな光景。
なんといっても、私を驚かせたのは、パック詰めされた金目鯛だった。
金目鯛二切れと書かれた値札には、実にさりげなく、こっそりと「釣り針にご注意下さい」と書かれていた。
こんなことは、さっと通り過ぎてしまえば、全く気付かないことだった。
一瞬ぎょっとした。そしてその後、思わず一緒に探検しに行った友達と顔を見合わせた。
「釣り針にご注意下さいってことは、釣り針が入った金目鯛を売っているってことかね?」
三人で顔を見合わせて、フフフフと笑った。
「でもどうして?普通、こういう魚って、大型魚をのぞいて網で捕まえていると思っていたのだけれど……」
「カツオの一本釣りはよく聞くけれど、金目鯛の一本釣りって聞いたことがないね」
「私、この間チリのパタゴニアでさんざん釣りをしたけれど、普通、釣りした時って、釣った後にちゃんと釣り針取るから、釣り針が入ったままになるなんてことはまずないよ。だから釣り針に注意する必要は全くない!」
「うーん……じゃ、金目鯛は、稚魚の時から実は釣り針にぶら下がったまま、育てられているとか……」
私達は、パン食い競争のパンが糸にぶら下がっているみたいに、赤い鯛の稚魚が横一列にぶら下がって養殖場を泳いでいる図を想像し、そこでまた、フフフフと笑った。
「釣り針にご注意下さい」ラベルはちょっとした議論を巻き起こしてしまった。
「これ……やっぱりちゃんとお店の人に聞いてみるしかないんじゃない」
そうだ。自然に不思議だと思ったことは、なんでも口に出して聞いてみよう。
おさかなパックを整理していた若い店員さんを呼び止めた。
「あの……ちょっとヘンなことを聞いていいですか?」
お兄さんはちょっと目を大きくし、ナンデショウ?と聞き返してきた。
「あのですね……そこで売られている金目鯛についてなのですが、釣り針にご注意下さいって書いてあるってことは、釣り針が入っているということなんでしょうか?」
「えっと……えー……釣り針、ですか?」
お兄さんの顔はみるみるうちに赤くなった。
質問している私の顔も、それにつられて赤くなった。
「はい、これなんですけれど、金目鯛は網で捕るものだとばかり思っていたので、釣り針にご注意下さいって書いてあって、本当に不思議だなあって思って……、いや、率直な疑問が湧いたので、聞いてしまっただけなんですけど……ごめんなさい。金目鯛って釣り針で釣るもんなんですかねえ?」
真っ赤になったお兄さんは棒立ちになったまま、「私にはわからないので、上司を呼んできます」と言った。
今度は上司のお兄さんが出てきた。
「はい、なんでしょう?」
「あの……釣り針にご注意下さいって書いてあったんで、結構頻繁に釣り針が入っているのかなあと不思議に思って聞いてみたくなってしまったんですけれど……」
すると、ハキハキしたお兄さんは丁寧に答えてくれた。
この金目鯛は、釣り糸で釣るんですよ。もちろん普通は釣り針は入っていないし、僕たちも魚をさばく時に細心の注意を払っているんですが、ごくごく稀に釣り針が入っているということが過去にあったものですから、一応念のためにこういう表示をするようにしたんです。よそさんで結構大変な事件に発展したもので、だからまあこちらも守りに入ってこういう風にせざるを得なかったと言いますか……。
そっか、納得!!三人でありがとうございましたとお兄さんに頭を下げ、再度フフフフと笑った。
「やっぱり、稚魚が釣り針で育てられているんじゃなかったね」
「へえ、金目鯛が網じゃなくて釣りで捕まえられているとは、結構手がかかっているんだね」
「ほら、自分一人が食べる魚を釣る時には、時間にも余裕があるから、ゆっくり釣り針を取っていることもできるけれど、もしかしたらこれを釣っている人達も仕事ってことになると、とにかく短時間で生産性をあげることに終始しなければいけないから、慌てていて釣り針取り忘れることがあるのかもね。もしノルマを課せられていたら、釣り針に気を使っている余裕もなくなっちゃうだろうしねえ……」
「大量生産大量消費時代のせわしない現実が“釣り針にご注意下さい”に見え隠れしているねえ……」
見慣れたはずの魚売り場が違って見えた。
今日は、金目鯛が釣り糸で釣られているということを知った。
そして最近の金目鯛は釣り針に注意して食べなければならないことを知った。
でもそれをわざわざ表記しなければいけないとは、スーパーも本当にご苦労様だと思った。
釣りに詳しい人にとっては、別になんてことはないことなのだろうけれど、普段スーパーの魚になぞたいした注意を払ったことのなかった私達は、なんだか非常に楽しい発見をしたような気分になり、スーパー探検を続行した。
現実がいかに規制としがらみでがんじがらめになっていても、ヒトには空想をする自由が永遠に残されている。
そしてそこには、タノシイことが山ほど詰まっているのだ。
ペルー産のホワイトアスパラガスとやらが売られているのを見て、先日まで訪ねていたペルーの大地を想像する。
あんな地球の裏側からどうやってこの八王子市狭間町のスーパーに生鮮野菜のまま届くのか、全く不思議だねと三人で話をしていたちょうどその時。私はあることを思い出し、思わず「あーっっっっっ!」と叫んだ。
「うわーっっ、びっくり!私、ペルーでこれを作っていたオジサンに出会った!」
ペルーと言えば、ほとんど日本の裏側。
そこで八王子市狭間町のイトーヨーカドーにさりげなく並べられていたアスパラガスを作っていたオジサンに、私は地球の裏側でつい4ヶ月ほど前に出会っていたのだった。
友達は、「え?」とキツネにつままれた顔。
私はこの不思議なつながりに興奮し、一気に記憶が蘇った。
あの時、私はペルー北部の田舎、トルヒーヨという町の食堂でお昼を食べていた時、隣に恰幅のいいオジサンが座っていた。流しのギター弾きの音楽に合わせてなんとはなしに踊るうちに、そのオジサンも一緒に踊り始め、それがきっかけでいろいろ話をするようになったのだった。
オジサンは、ペルーで最大のホワイトアスパラガス農園の社長だと言っていた。
日本が一番の顧客で、最初にIの英文字がつく大手スーパーにも卸していると言っていた。
Iといえば、Ito Yokado。
まさか。自分の家からたった7分のところにある、八王子市狭間町のイトーヨーカドーに、私が地球の裏側で出会ったオジサンが作ったアスパラガスがさりげなく置いてあるとは思ってもみなかった。
イトーヨーカドーの店員さんに、「私、このペルー産のホワイトアスパラガスを作っている人物に、実際ペルーで出会い、一緒に食堂で踊りました」と言いたい心境だったのだけれど、さすがにやめておいた。
彼のいわば“作品”が近所のスーパーに列んでいて、みんな日本のお客さんが彼を知らずに購入している。
生産者の顔が見える野菜を!という標語が最近の野菜売り場の流行のようだけれど、そのホワイトアスパラガスを作っているペルーの一オジサンの顔が、私には、見えすぎるくらいに見えてしまったのだった。
そうだったのだ。まさにこのエッセイのタイトル、「そんな地球を訪ねてみれば」。
地球の裏側だろうが、ペルーだろうが、日本だろうが、家の近所だろうが、私達があまり気付かないところで世界はちゃんとつながっている。たぶん。私がペルーを知らなかったら、そのホワイトアスパラガスはただのホワイトアスパラガスのままだったのだと思うのだけれど、ペルーをたった一度訪ねてみたからこそ、ただのホワイトアスパラガスを通してその向こうにいるオジサンの人生までが透けて見えてしまったというわけ。
きっとこれからもし、イトーヨーカドーにホワイトアスパラガスが並ばなくなった日があったとしたら、私はそれを通してオジサンの仕事の行く末を心配するに違いない。
私は家に戻ってから、現地でもらった名刺を引っ張り出してみた。
ペドロ社長。アスパラガス農園“sol produce”の最高責任者。
ホワイトアスパラガスを家で食べながら、その名刺に向かって言った。
「いやあ、オジサンが地球の裏側で作ったアスパラを、今頂いていますよ」
今度、もしペルーへ行く機会があれば、八王子市狭間町のイトーヨーカドーに並んだホワイトアスパラの写真を持って、オジサンを訪ねてみようと思った。
近所のスーパー探検は、私に予想もせぬ興味を抱かせてくれた。
友達と三人、爆笑に爆笑を重ね、2時間あまりも小さな探検を楽しんでしまった。
“釣り針にご注意下さい”の金目鯛には、金目鯛なりの小さな物語があった。
ペルー産のホワイトアスパラは、ただのホワイトアスパラに終わらなかった。
身近なところにも、面白いことは山のように転がっている。
つまらない日常に飽き飽きしていると感じたら……あなたも、超身近な地球、近所のスーパーマーケット探検に、いつもと違う「目」をもって出掛けてみてはどうでしょう?