

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-04-11 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
帰国後、連日のように目にする戦争のニュース。
それでも、桜は満開に花開き、小鳥達はさえずりながら甘い香りを漂わせる梅の木にうれしそうにとまっている。

横田基地内のレストランで、ジョシュアと一緒にパチリ
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こんな時に「ニッポンの中のアメリカ(米軍基地)はどんな様子になっているのかなあ」と純粋に興味が湧き、ふと行ってみることにした。
電車を降りると、友達が迎えに来てくれていた。
一人は横田基地に誘ってくれた私の友達の日本人。そしてもう一人は、基地の管制塔で働く米国人ジョシュア。
160cmの小柄なニッポンと、190cmのノッポな米国が、ニコニコと手を振って近寄ってきた。
福生の駅に降り立つのは、ほぼ15年ぶりということになる。
あれは高校1年生の夏だった。
もともと、ガイコクというものに異常な興味を抱いていた私は、学校で習った英語をとにかく使いたくてたまらない年頃にいた。
ある日、友達とサマーランドに出かけた。
そしたら、いわゆるガイジンが、まるでタマちゃんのようにプールの表面にぷかぷかと浮いていた。
話しかけたかった。けれど、怖かった。
目が合えば、それを伏せる。でも向こうがまた目線を反らせば、またじっと観察する。
それを繰り返しているうちに、向こうの方から「Hello!」を勢いよく声をかけてきた。
名前はトム。初めてそれをきいた私は、いかにも英語の教科書に出てきそうな名前だなあと、なんだか可笑しかった。体もでかかった。筋肉が隆々だった。私は好奇心に駆られながらも、どこかカイブツのようにも見える彼の姿を横目でちらりと眺めながら、緊張と警戒心で体を固くした。
私達は、プールの脇のテーブルに座り、アイスクリームを頬張った。
その頃の私の英語力なんて、ほとんど挨拶程度。
それでも、なんだか今までいたニッポンと違う空気を発しているガイジンに対する興味を押さえることができず、とにかく学校で習った単語を並べて、訳のわからないことを喋った。
というか、今思えば、あれは絶対に会話になっていなかった。
それでも、見知らぬカイブツくんと交流が持てていることだけで、あの時はなんだか楽しかった。
全てのことが、私にとっては新しいこと。
カイブツくんは、私が隣の人に迷惑になると気にしているにもかかわらず、それはもうでっかい声で笑った。
仕草だって、私がそれまでに見たことがないくらいに大仰で、筋肉隆々の両手を振り回して何かを喋っていた。
Yeah! Yeah!と短く切れる文節が、妙に威圧感があって、私は怖くて怖くて仕方がなかった。
けれど、トムはそんな身を縮めて様子を観察する私達をからかうように、マイペースを貫き通していた。
「一度、横田基地に遊びに来いよ」と住所をもらった。
そこには、また、教科書で決して習わなかったような、ミミズが這ったようなアルファベットが列んでいた。
帰りのタクシーの中で、私は友達と「なんだか食われそうな勢いがあったけど、とにかく無事で良かったね」と、ほっと胸をなで下ろした。
プールの水でよれよれになった、住所の書かれた紙は、しばらく私の勉強机の上に置かれていた。
そして、単調な高校生活にも飽きたなあと思った休日、初めて横田基地を訪ねたのだった。
あの時も、福生の駅にトムが迎えに来ていた。
さすがに一人で行って殺されたら怖いからと、サマーランドに一緒に行った友達に無理矢理ついてきてもらった。
トムはやっぱりカイブツに見えた。
車に乗るまでの間に、トムの後ろをついて行きながらも、こんなマッチョな腕で首根っこをつかまれたら、一瞬でひねりつぶされるなあと、びくびく警戒していた。
横田基地に入る。私にとって、初めてのガイコク。フェンスの一歩外はニッポンなのに、その中はアメリカだった。
勉強もできなかった私は、なんで日本の中にアメリカがあるのか、その意味もよく理解していなかった。
けれど。トムが頼んで私達にくれたハンバーガーは、異常にでかかった。
コーラも、三人で一つで足りると思われるくらいにでかかった。
そしてその中を歩いている黒い顔をした人や、白い顔をした人は、ずいぶんと大股で歩いていた。
並べられていた戦闘機を見ながら、私は身を縮めた。
そういえば、今日、横田基地に来るなんて、家に言っていなかった。
ここはアメリカだから、ここでもし私が拉致されても、文句言えないんだよなあと想像し、また縮み上がった。
トムは、僕の部屋に来るかい?と言って、私達を彼の寮へ車で連れて行った。
トムがトイレに行った時、「もし襲われそうになったら、股間を蹴って逃げようね」と、真剣に友達と相談した。
結構広い部屋には、軍服や横文字カセット、ビデオ、星条旗が散乱していた。
トムは静かに、ハリウッド映画のビデオのスイッチを入れた。
言葉が全く通じない私達は、ビデオでも見て時間潰しするしかなかったのだ。
(とりあえず。今のところは、まずい気配は見えていない……。私達は二人だから、トム一人には勝てる)
そのうち、トムの友達がどやどやと、部屋にやってきた。マッチョが4人くらい、なだれ込んできた。
みんな、私達が理解できないことを喋って、大声で笑っている。
友達と目配せした。
(まずい。これがトムの作戦かも。こんな大男達に、私達二人では、絶対に勝てない……)
トムが友達と腹の底から笑っている姿を見て、扉に鍵がかかっていないことを何度も確認し、私達はずるずると座り位置を変えて、いつでもすぐに逃げられるように、扉のすぐ隣に座った。
顔に作り笑いを浮かべて、彼らと握手をして挨拶はしたものの、心臓はもう爆発寸前だった。
小さな冒険に身をおいたまま、ビデオを見せられたまま、かしこまった私達は固まったまま、数時間が過ぎた。
扉にまだ、鍵はかけられていない。いつでも逃げられる……。
ビデオが終わった。すると、トムはもう帰った方がいいよと、私達に言った。私達は拍子抜けした。
「これ、オレの写真。取っておいて」
星条旗をバックに、きりっと前を見つめている自分の証明写真をくれた。
トムに見送られて福生の駅で電車に乗った後、私達はガッツポーズをした。
「襲われなかったね。トムはいい人だったね。きっと、私達のどっちかのことが好きだったんだよ。やっぱ、なんでもモノはやってみるもんだ!大成功!」
今思えば、いったい何が成功したんだか、さっぱり訳がわからないのだけれど、とにかく満足感でいっぱいだった。
ポケットに入れた小さな証明写真が、私達の世界をほんのちょっぴり、広げてくれた気がして、嬉しかった。
以来かなりの長い間、私は勉強机の鍵のついた引き出しに、その証明写真を大切にしまっていた。
今回の訪問は、その時以来、ということになる。
それから私は大人になり、本当にいろんな国へ行った。
その途中で、結構な数の米国人に出会った。
ブッシュ大統領のような発想をする人にも数多く出会い、その一方でアジアが好きでアジア人と結婚し、今は国連に勤めているという米国人とはいい友達にもなった。
そんな経験から、「米国人」と一口にいっても、「米国人」ほど、ステレオタイプ化できない人種もいないよなあと思うようになっていた。
けれど。日本に帰ってきて連日のニュースに洗脳されていくうちに、また自分の中で「米国人」のイメージのようなものができあがってしまいつつあることを感じていた。
でっかいハンバーガー、でっかいコカコーラ、でっかい体、でっかい発想、でっかい爆撃機、でっかい軍事作戦、でっかい情報戦、でっかい戦車ローラー作戦……。
そんな時にジョシュアに出会った。
ジョシュアは、体だけはでっかかったけれど、あとは……まったくそのイメージに当てはまっていなかった。
ジョシュアは、体は縦にでかかったけれど、横は本当に小さかった。
特に顔なんて、私の半分くらいしかなかった。
毎朝私は鏡で自分の顔を見るのに見慣れているから、ジョシュアの顔を見た時には、それこそコンピューターソフトで縦横比率を60%にしてしまったくらいに、細かった。
そして。
私は旅の途中でいつもやっているように、「Hi!」とまっすぐ、しかも元気良く声をかけたのだけれど、ジョシュアの方は、丁寧に観音様のように手と手を胸の前で合わせてから、何度も何度も頭を垂れて、消え入りそうな声で「コンニチワ……」と言った。そしてもう要らないというくらいに、繰り返し会釈をした。
そこには、私がイメージする「でっかい○○」という米国の姿はどこにもなかった。
というよりも、私の方が完全に欧米ナイズされてしまっていたようで、彼の方が完全な日本人だった。
ジョシュアの車で基地のへ向かう間にも、私が高校生の時に出会ったトムの話をしていた。
「彼は今頃どこで何をしているんだろうなあ……。その後、母に私が横田基地に行ったことがばれて、それ以来、行けなくなってしまったから(笑)」
「あなたのお母さんの話、僕は理解できます。やっぱり外から見れば、ここは怖いですよ。だって、ここはニッポンなのに、アメリカがあるというこの場所自体が、本当に不思議なことですから……」
そうして、また静かに微笑むと、最後にまた私に向かって丁寧に頭を下げた。
正直言って、時々米国は強引だなあと思うことがよくあったのだけれど、ジョシュアを前にしては、なんだかそんな気持ちも吹っ飛んでしまうのだから、不思議だった。
基地の入り口でパスポートを渡し、中に入った。
一見、私が高校生の時に訪ねた時の雰囲気と変わりない様子。
映画館があり、ジムがあり、子ども達が洋犬と戯れている。ウォークマンをつけた人がランニングをし、学校帰りの子ども達がスケートボードに乗って歩道を通り過ぎていく。
フェンスの外側は、ごく普通にニッポンの日常があるというのに、フェンスの内側はアメリカだった。
だけど、その中に暮らしているジョシュアは、日本人以上に日本人らしい謙虚な人だった。
だから、本当にヘンだった。
ジョシュアに案内されてレストランに入る。
席につこうとすると、ジョシュアは私と私の友達をまず座らせてから、自分は末席に座った。
私の方は、年間半分は日本にいないという事情から、メニューを頼む時にも、自分が食べたいものをサクッと頼むという癖がすっかり身についてしまったのだけれど、ジョシュアは、みなさんどうぞ先に……と言って、自分は最後に小さな声でオーダーをし、ウェイトレスの日本人の女の子に「どうもありがとうございます」とまた、丁寧に何度も何度も会釈をした。
トムとも、ブッシュ大統領とも、なんとか国務長官とも全く違う、あまりにも堂々としていない、言葉を換えれば威圧感の欠片もない静かなジョシュアの、申し訳なさそうな仕草に、私は本当にイメージが覆された。
けれど、頼んだパスタは、でっかいお皿に、二人分くらいが盛られてきた。
そしてジョシュアはそこでまた、さっとそれを食べることをせず、みんながフォークでそれをつつき始めるのを見届けてから、自分もそれを食べ始めた。
「どうして、横田に来たの?」
「ハイ、私はどうしても環境エンジニアリングの勉強がしたくて、大学で学位を取りたくて、でもお金が足りなかったので、4年間の契約でここで働いているんです。そうすれば、国が学費を払ってくれるというシステムがアメリカにはあるんです。それに、日本という国も見たくて、でも自分のお金だとなかなか来られる国ではないですから……。だから僕はいつもフェンスの外に出て、日本をお散歩するのが楽しみ」
そうして、また微笑みを浮かべながら、軽く会釈をする。
日本の中のアメリカ、横田基地は、地理的には日本にあるけれども、住所はアメリカ。
だから、普通日本人が海外に出る時には、成田や関西空港などの国際空港を必ず玄関口にして出掛けるわけだけれど、横田基地は日本の中のアメリカだから、ジョシュアは軍の専用機に乗って、アメリカから日本の中のアメリカへダイレクトにやってきた。
「だから、僕、日本の土地にいるんですけれども、成田を知らないんです(笑)」
ジョシュアを紹介してくれた私の友達とジョシュアは、福生駅近くの回転寿司屋さんで出会った。
きっかけは醤油。
二種類おいてあった醤油のどちらがより美味しいかを尋ねられて友達になったのだ、と。
「日本は本当に平和でいい国だと思います。不況だといっても、こんなに美味しいお寿司があるし……」
そしてまた、優しい笑みと共に、何度も頭を下げた。
私の友達がこう言った。
「アメリカという国は、国自体があまりにもでっかいから、その中だけで全てが事足りてしまって、他を知る必要性がなかったんだよね、たぶん」
「そうなんです。本当は一歩外に出れば、その場所なりのいろんな違う文化の良さがあるってことに気付くはずなんですけれど、普通に暮らしていればその必要がないから、気付いていないだけだと思うんですね……」
私は、ジョシュアが日本にいる間、いろんな日本の素敵な場所を案内してあげたいな、と素直に思った。
「環境エンジニアリングで今一番大事だとされていることは、“バランス”なんですね。僕は、自然が豊富なアラスカで育った。自然はいろんな違うものが共存している。どうやったら、その協調とかバランスが保っていけるのか、それをこれから研究したい。だから、今ここで働いている。そうすることで、日本の良さにもこうして触れることができた。世界はきっと僕たちが情報で得ている世界よりも、ずっとずっと広いはずだから、いろんなところに行って、この目で直にいろいろ見てみたい。少なくとも、僕たちの世代は米国でもそう考えている人が多い」
今回のイラク戦争は、彼にとって人ごとではなかった。
ある日、上司から「イラクに行ってくれるか」という打診があったのだ、と。
「僕は環境エンジニアになるために、今、その期間限定でここにいるだけだから、戦いの現場には行きたくない。なるべく無関係でいたいと上司に言ったら、たまたま別の人が見つかって、僕はここに留まることになりました」
理屈上はわかっていたはずだけれど、改めて思った。
戦争というものは、そういう形をとった瞬間に別の生き物になって動き出し、そこにはまったく“個人”という社会の最小単位の意志は無関係なんだなあ、と。
ジョシュアは、ウェイトレスさんに払うチップまで私達におごってくれ、でっかい体を申し訳なさそうに縮めながら、私達を車で駅まで送ってくれた。
これからイラクへ行くかもしれないという戦闘機は、日本の中のアメリカに待機していた。
けれど、運命に翻弄されてイラクへ行かされるかもしれなかったジョシュアの瞳には、今、私達との他愛もない歓談をすることだけが楽しいという感情が、映っていた。
高校生だった時の私は、福生の駅から電車に乗った時に、横田基地という日本の中のアメリカを探検したことがうれしくてガッツポーズをした。
けれど、大人になってから訪ねた横田基地を後にした時、私は反省した。
どんな情報がテレビやラジオで流れていたとしても、そのイメージで国を語ってはいけないなあ……。
個人が集まって国家になっているはずだけれど、でもヒト一人の個人は、国家と切り離された単位で生きているんだよなあ……。私にとっての素敵な人という分類に、その人がどの国家に属しているかは関係ないんだよなあ……。
相変わらず、ニッポンの中にアメリカがあるというのは本当に不思議なことだけれど、でもその中にジョシュアみたいな日本人以上に日本人らしいアメリカ人が暮らしていると思ったら、なんだか楽しくなってしまった。
また、パスタを食べに、ジョシュアのところへ遊びに行こうっと。