

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-04-04 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私はほぼ半年ぶりに日本に帰ってきた。
空港出口を出た瞬間、空気がちょっと重いなあと、感じた。

この直後に、カメラ一式が忽然と消えてしまったことに気付いた。
新しいのを買うために、また一生懸命働くぞっと。
これからしばらくは、日本からよろしく!
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そうか、成田空港の建物はグレーでできているからそう思うのかと、納得した。
それから、電車に乗った。ちょっとびっくりした。
最後にいたアルゼンチンは1年ほど前に経済破綻した国。
けれど。地下鉄に乗っても、「ヒトの活動によって空気が動いている感じ」があった。
だというのに。経済大国ニッポンの空気は止まっている、そんな感じがした。
止まっているだけじゃなく、なんだかヒトの間に鉛のように重い空気が沈殿している、直感的にそう思った。
そんな話、今更聞きたくないよと思う人がいるかもしれないけれど、とりあえず好奇心の強い私は、私なりになんでなのかなあと紐解いてみることにした。
ニュースでは、長引く不況が社会に沈滞ムードをもたらしていると言っている。
けれど。世界の実際は、経済状態が悪い国、それが当たり前になっている国の方が圧倒的に多い。
で、そこの人達が暗いかと言うと、決してそうではない。
こんなことがあった。
ある日、アルゼンチンの若者達と日本の話していた。
「東京とかNY、先進国の大都市は、私の憧れ。いつか行ってみたいわ」
彼女は遠い目をして、夢を見るように言う。
「でも……先日、株価が8000円代を切って、相当暗いみたいよ」
と私が喋った途端。一瞬場がシーンと静まりかえり、その次の瞬間にみんなの爆笑が渦巻いた。
指を差されて、それこそ、お腹を抱えて笑っている。
「ユキ、頭おかしいんじゃないの?個人の貯蓄残高が世界で三本の指に入る国で、暗いなんて、そんなこと、あるわけないでしょっ。1000万が1年で100万の価値にまで落ちた私達が言うならわかるけど、金持ち大国のあなたの国が暗いなんて、そんなこと、あるわけないじゃない?」
私が何度、「そうじゃないんだ、日本はみんな今、本当に切実なんだ」と何度説明しても、全く信用してくれない。
別の人も言った。
「少なくとも私達よりずっとお金持ってるのに、何が切実なのか、さっぱりわからない」
あまりにも、全員が「そんなことあるわけない」と笑うので、私も勢いに押されてふと考えた。
ニッポンは、彼らにとっては、みんながニコニコ笑いながら経済的豊かさを享受している国、らしかった。
地球には60億の人がいる。
そして160ヵ国ぐらいの国がある。
経済的には、ここ20年くらい日本はトップ3に入って走り続けてきた。ガンバってきた。
なのに。シアワセじゃないというのは、理屈で考えればやっぱり何かが完全におかしい。
トップにいるのに、自殺者が未遂も合わせて30万人いるなんてのは、本当にビョーキ的におかしい。
トップ3にいる国に「苦しい」なんて言われたら、他のもっと状態が悪い157ヵ国は一体どうすればいいんだろう。
そして彼らが私達よりもっと悪い状態なら、理解もできる。けれど。現実は彼らはそこまでは全くもがいていない。
経済破綻したアルゼンチンの人に、自殺はどのくらいあるかと訊いた。
「ほとんどない」というのが答えだった。
トップにいる経済大国が“暗い”というのは、なんとも皮肉な現実の矛盾。
きっとこれは国丸ごと視野狭窄状態に入っているんだなあと思った。
一時期、仮面家族という言葉が流行ったけれど、国家を一つの家族として160余りの家族が地球にいるという視点で考えてみれば、今、日本は仮面家族の状態にあるように私からは見える。
外から見れば、お金もあって、地位もあって、他の157ヵ国の家族が欲しいと思っているものはほとんど持っているのに、その中に入ると何かが足りない。目に見えない“愛”が枯渇している。
今こそ、個人の発想を根こそぎ変えなければ、もっともっと精神を病む人が増えてしまうなあと思った。
ヒトは「有る」ことに慣れてしまうと、いつかそれを「失う」かもしれないということを忘れてしまう。
どんなものでも、何に関しても、永遠にそれが形を変えずに続くものなんて、この世にない。何もない。
彼氏にしても、旦那さんにしても、友達にしても、両親にしても、自分自身にしても。
お金だって、モノだって、地位だって、安定だって、自分の目に映っている全てのものの中に永遠に続くものなんてありえないんだっていうことが、視野狭窄になってくると、わからなくなってしまうんだと思う。
さらには。自分の命だって、永遠に続くものなどではなく、本当に他愛のないことで次の瞬間にはなくなっているかもしれないってことを、私はいつもいつも頭のどこかに置いておく必要があると思っている。
そのくらい、全て、目の前に見えているというものは、儚い。だから尊い。
自分はもともと、何もないところから生まれてきて、やがて亡くなれば何もないところに戻るだけなのだから、自分自身に関してだって、大前提は「もともとなかったもの」。でも生まれてきて、ヒトは常に体と共に生きているから、それだけは一生ずっと一緒だったとしても、あとのものは「全部おまけ」。
家も、ファッション誌も、彼氏も、テレビも、家族も、お金も、車も、コンピューターも、地位も、全部おまけ。
だから、それらが全部なくなったとしても、それは「元に戻るだけ」。
とりあえず、自分の体と頭さえ残っていれば、またその「元に戻ったところから」やり直せばいいだけだから、なんにも怖いことはないし、暗くなる必要もない。
そう、ちょっと視点を変えれば、“暗く”なる必要はなくなると、私は思う。
それが。
最初から、「目の前に有るものは全部いつまでも有る」ということを前提にしていると、それは辛い。
給料はいつまでも同じ額をもらえると思っていたら、下がれば辛い。
彼氏は永遠に私を好きでいてくれると思えば楽しいけれど、そうでなくなった時が辛い。
お金もたくさん貯めてそれがずっとそのままあるものだと思った状態で、経済危機にあったらそれも辛い。
何かの拍子に住む家を失ったとして、でもそれがずっとそこにあるものだと思っていたら、それは辛い。
だから。
自分の体も含めて、すべてはなくなる可能性があると日頃から思っていることは、実はアカルク生きる極意なのだ。
不況や経済危機をたくさん経験している国の人達は、もう訓練されてそれが自然にできるようになっている。
実際に、アルゼンチンやブラジルは、1970年代、日本よりも貨幣価値が高い時代があった。
その時なんて、日本よりもずっと給料が高かった。月、30万なんて人はざらだった。
けれど、今は月、5万円。
そんな風に変化して、じゃ、ヒトは生きられなくなるのかというと、ちゃあんと生きている。
30万にしがみついていれば、暗くもなるし、苦しくも感じるけれど、とりあえず「元に戻った状態」は自分の体一個だけが残った状態だから、それからすれば月5万円というおまけがついているだけましと思えば、そんなに暗くなる必要はなくなる。実際彼らはそういう発想で乗り越えてきた。
全部がいつ消えてなくなるかわからない儚いおまけだと思っていれば、それらは全部ありがたいものに見える。
もともとヒトは一人で生まれてくるんだから、家族はいつ消えてもおかしくない存在。
けれど、今日一日そこに家族がいた。と思えば、それはとてもうれしくありがたいこと。
もともとは、お金も家もそこに有ったものではなかったから、なくて当たり前なのに、そのお陰で私は今日一日、雨にも濡れず、ちょっとした小物を買うことができた。そう思えば、なんだかハッピーになれる。
ヒトは友達とは一緒には生まれてこない。だから「孤独」なのが「元に戻った状態」。そっちの方が当たり前のはずなのに、偶然にも出会った人が、自分と一緒に会話を楽しんでくれる。そのおまけは、あまりにも嬉しい。
だから。「すべてのものがなくなった状態は、元に戻っただけのことなんだ」と思っていた方が、ヒトは強い。
なんだか随分と説教くさいことを書いてしまったけれど、実際私自身はそう思うことで、何度も救われた。
こういう考え方は、往々にしてトップ3以外の国の人々からよく教えられる。
アルゼンチンで喋っていた若者達も言っていた。
「俺達は、テーブルの縁すれすれに置いてあるカップが、にも落ちそうか落ちないかくらいの感じで生きている。だから、普段から、“落ちるかもしれない”と自覚しながら生きているから、実際に“落ちても”覚悟ができている分だけ、あんまり痛手がないのかもしれないなあ……」
彼らの発想は、決して先を見すぎて落胆したりしない。
それはなぜなら、将来のことは誰にもわからないからだ。
現実は、ヒトが予想する方向と必ず違う方向に行く。未来の現実は、ヒトに解読されるほど、簡単にできていない。
だから、近いところだけを見て、一生懸命やる。
それでも、いろいろな「持っていたもの」を失いそうになったら、潔く「あ、元に戻るだけなんだ」と思って、勇気を持って、執着を捨ててさっさと手放してしまえば、不思議とそこに新しい道が拓けている。
ちなみに。
私は今回の南米縦断で、最後の最後の最後の最後でカメラ一式を盗まれた。
これまで旅先から連載していたから、機器管理には最新の注意を払い、半年旅を終えるまで守り抜いたというのに、最後の最後で機器全てを持っているのが苦痛になり、飛行機の預け荷物にしてしまった。
そして。日本に帰ってきたら、鍵があいていて、中味がなくなっていたという次第。
しかも旅行保険は切れていたから、すぐに買い直すこともできない。
私が「カメラはずっと私のモノで、“有る”ことが大前提」と発想したら、相当辛かったに違いない。
けれど、南米帰りだったので、「まあ、もともとは“なかった”“おまけ”のカメラだから、盗られて元に戻ったんだ」と考えたら、なんだか愛着があったカメラに、「誰のもとに行ってしまったかわからないけれど、今までどうもお世話になりました。これから先は、また別の人のもとで働いてください」と言いたくなったくらい。
カメラ一式を盗まれて、私は“元に戻った”。
そう発想を変えた時点で、カメラを盗られたことは、私にとっては笑い話に変わった。
そしたら。悔しいどころか、なんだか実に身軽になった感じがし、ルンルンしてきてしまったのだ。
「よおし、またお金を貯めて新しいカメラを買うぞ。次はどんなのを買おうかな〜?」
よれよれになってしまった鎧兜をいつまでも身につけて保持しているくらいだったら、さっさと捨てて潔く“元に戻って”、裸になって、次に買う鎧兜の予定を立てた方が楽しいに決まってる。
今、ニッポンは本当に暗い。
けれど、暗くなる必要はあんまりない。だって、これから“元に戻る”だけのことなのだ。
だから潔く、そこからまたやり直せばいい。
そう思ったら、なんだかワクワクしてくるのは……私だけ、なのかなあ……。