

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-03-28 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
南米縦断バスはやっとのこと、南米大陸の最南端、アルゼンチンのウシュアイアに到着した。
長かった。私は二週間ほど燃え尽き症候群に陥り、死んだ魚のような目をして、しばらく町をなんの目的もなく徘徊していた。
それでもまだ旅は終わっていない。
仲間全員と解散し、みんなを見送った後、私はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かった。

左側が宿のおばさん、ギリシャ人のマリアーナ。右側がホルヘ。
70年近く前にブエノスアイレスにギリシャから移住してきた。
空いた部屋をブエノスアイレスに長期滞在する人のために貸している。
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ブエノスアイレスは本当に不思議なところだった。
ちょうどその頃にイラク攻撃のニュースをインターネットで見たのだけれど、アルゼンチンという国はひたすら無反応を通していた。
しばらく生活するうちに、その理由がわかってきた。
そこに暮らす人の「血」がぐちゃぐちゃなのだ。
私達は意識もせずに、「日本人」というアイデンティティの中に生きている。
でも。
アルゼンチンという国は、国自体が非常に新しい国なので、国民はよその国からの移民で成り立っている国家。
だから、そこに暮らす人のルーツは、本当に笑ってしまうほどに混沌としていた。
私の友達の女の子は、お父さんのお父さんがイタリア人、お母さんがスペイン人。そしてお母さんの両親が日本人。ということは。イタリア人とスペイン人と日本人の三つの国籍が混じり合って、彼女はアルゼンチン人になっていた。
そしてもう一つの例。
タクシーの運転手さんが不思議な顔をしていたので、そのルーツを聞いてみて、私は卒倒した。
お父さんのお父さんがシリア人(アラブの国)、お母さんがインド人。お母さんのお父さんがイタリア人、お母さんがスペイン人。というわけで、アラブとインドとイタリアとスペインが混じり合って、自分になってしまっているのだった。
「いや、だから、イラク攻撃の話も、どっちも味方で、どっちも敵だから、困っちゃうんですよ」私は思った。
そうだよなあ……。今回のイラク攻撃に重ねれば、自分という一つの体の中にその両方が入ってしまっているのだから、それで戦争をしなければならないとなると、自分で自分の右頬をひっぱたき、次に自分で自分の左頬をひっぱたき、自分の体は一つしかないのに、そのたった一つの体を戦場にするとなると、これは非常に大変だ。
日本には「あの人、ハーフなんだって……」という言葉が成り立つけれど、アルゼンチンはハーフは当たり前中の当たり前で、それこそ4ヵ国が混じっている人なんてざらだから、逆に「あの人、純ギリシャ人なんだって……」という風に、純血の人の方が、珍しがられる始末。
もうこの際、純血なのか混血なのかは、全くどうでもよく、というか、言葉を換えて言えば、あまりにもぐちゃぐちゃになってしまっているので、もう解析のしようがなく、だから「あなたは○○さん」というところだけが重要だというのが、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスだった。
だから、結構いろんな可笑しいことがあった。
ある日、アラブ人経営のレストランに入った。
どこのアラブの国のレストランにもあるのと同じ、メッカ(イスラム教の聖地)の写真が貼られた時計が飾られていたのだけれど、その上にキリストの写真が二枚も重ねて貼られていたのだった。
私はそれを見た瞬間に、思わず吹き出した。
中東では喧嘩に喧嘩を重ねているイスラムの神様と、キリストの神様、その両方を並べておかないと、コスモポリタン的なブエノスアイレスの町では暮らせないのだった。
というか、あそこまで多民族がよせ集まっている町では、神様はイスラムでもキリストでもどっちでもいいと思っていないと、みんなで生活を成り立たせていくことが難しくなってしまうわけである。
また、別の言葉で言えば、「仕方がない」と白旗掲げて、いい意味で「あきらめて」、「どうでもいい」と思っていないとやっていけないということかもしれない。
それはいろいろ大変だ。
文化が違えばトラブルも多いし、考え方でぶつかることもあるし、けれど、彼らはそんな中でも、相手の文化のいい部分を見いだしてお互いに共存していくということに、
本当に長けている。
だから、ガイジンの私も、ずっと「ただの人間」として彼らに扱われた。
ある日、私がスペイン語を習っていたイタリア系の先生に聞いてみたことがある。
「もし私が突然先生に電話して、今日からアルゼンチンに移民することにしましたって言ったらどうなる?」
「全然驚かないわよ。あっそ、って感じ。仕事を見つけるのが大変だけれど、頑張ってねって、その程度」
私も海外で出会った人に、「日本で暮らすこと、できますか?」とよく聞かれる。
そのたびに、「日本はまず日本語ができないと仕事も難しいし、いろいろ大変だと思うよ」と慎重に返答していたのだけれど、アルゼンチンでは、誰に聞いても「じゃ、来ればいいわ!」とそんな軽さ。
一度はパタゴニアの田舎でおばあさんと土地の価格の話をしていた時に、おばあさんに「こっちに来なさい」と言われ、「いやあ、でも現実的にはいろいろ大変でしょう?
」と笑って流したら、真剣な顔をして、「日本はそんなに人口が多いんだったら、明日にでもこっちに来なさい」と言われ、ますますびっくりした。
顔も実にいろいろだった。
町並みは、アルゼンチンは南米にあるとはいっても、ほとんどヨーロッパのような感じなのだけれど、白人系の人、アジア系の顔をした人、アラブ系の顔をした人、もうそれはそれは、人類のあらゆる顔をここに集めましたという雰囲気がある。
だから、成田に着いた時、私に変な現象が起こった。
日本人もよく見ればみんな顔が違うのだけれど、とりあえず、みんな「日本人」という顔をしているから、逆に「いろいろな顔」がないことに、不思議な驚きを感じたのだ。
そう、動物園に例えて言うなら、動物園には普通キリンや象やライオンや鹿や馬やいろんなものがいるけれど、ある動物園に行ったら、園内が全部キリンで埋め尽くされていて、びっくりするかのような。
とにかく。国という敷居があれだけ低い場所というのは、「国」という言葉の持つ意味が、日本で持つ意味とはまるで違うのだった。
イラク攻撃が始まった時の彼らの反応がまた、興味深かった。
ちなみに彼らは、常時不安定な社会システムの中にいる。
一年ほど前の経済危機で、彼らの貨幣価値はドル換算でいきなり4分の1になってしまった。
日本で同じことが起きたら、とんでもない騒ぎになると思うのだけれど、思ったより落ち着いていた。
「私達は、そんな状況にはもう慣れっこだからねえ。免疫ができてるんだよな」
みんな口を揃えて言うことがある。
「だから私達は、今日一日を無事に終えて生きることが全てなの」
テーブルの端っこに置いてあるガラスのコップに例えて、「毎日がテーブルからいつ落っこちるかわからない状態で生きているから、一日が無事に終われば、それだけで充足感が一杯なの。逆にいえば、それをするだけが精一杯なの」と言う。
血がぐちゃぐちゃになってしまったところに暮らす彼らは、イラク攻撃をとても冷めた目で見ていた。
こんなことを書いたら真面目な読者に怒られてしまうかもしれないのだけれど、若者達は冷めすぎて笑いながらライブ映像を見ていた。
「戦争が始まるってのに、ミニバスはちゃんと道を走っているじゃないか。はっはっは」
私がホームステイをしていたギリシャ系移民のおばさんの家の息子ホルヘは、シリアスなモノの見方をすっかり通り越してしまっているらしく、テレビのチャンネルを切り替えながら、流れてくる情報から何歩も離れた、実にクールな目線で、にやっと笑いながらこう宣った。
「良かったじゃないか。やっぱりニンゲンはバカだってことがよくわかったんだから、良かったじゃないか」
ブエノスアイレスは世界中からの移民が集っている場所とあって、テレビも様々な国からのケーブル放送が入る。
ホルヘがスペインから流れてくる放送にチャンネルを合わせると、戦争特集のドキュメンタリーをやっていた。
「我々が参加したイラク攻撃のそもそもの原因は、バビロン時代、つまりメソポタミ
ア文明に遡るのだ……」
シリアスなアナウンスがテレビから流れてくると、そこでホルヘはまた、お腹を抱えて爆笑した。
「今回の戦争の原因が紀元前にまで遡らなければならないなんて、戦争をやる側の大義名分探しも滑稽の極みだ。これはもう、単なるコメディだ。お笑いだ」
そして私のスペイン語の先生が言った。
「こうなったのは、アメリカがヒマだからだって、アルゼンチンの人はみんな思ってる。だって、私達なんて、自分の日常生活の、それもたった一日を無事終わらすことだけに精一杯で、そんなよそ様のことにまで介入している余裕さえないもんね。だって夫婦だって、あんまりヒマだとお互いに喧嘩仕掛けたくなるじゃない?」
それが、普段から異文化だらけの中で暮らす人達の感覚なのだった。
私は「事実」というのは、人の数だけあると思っている。
アラブもアジアもラテンもアングロサクソンも、ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃになって暮らしているアルゼンチンの人々は、冷めるのを通り越して笑っていた。
俺達がブエノスアイレスという町で、違う文化をお互いに共存させていくためにどれだけ努力を重ねてきたか、それをまた、ぶっ壊してくれるようなことをやっているなあ……という、「その程度」。
そんな捉え方が、アルゼンチン人にとっての「事実」を作っている。
そして、私はこの時期になんともタイミング良く、アメリカン航空のNY経由で日本に戻ってきた。
New York Timesは、正義の国アメリカがイラクという閉鎖的なアラブの一国を解放してあげているんだ、傷ついたイラク兵を我々米兵は介抱してあげているんだ、そんな写真ばかりで特集が組まれていた。
そんなメディアを信じているアメリカ人にとっては、正義のアメリカが可哀想なイラク人を救ってあげているんだという主旨が「事実」。
そして日本は……開戦で世界の緊張が高まっている時に、昼寝をしているタマちゃんを巡って役人と環境保護団体が論議をするというニュースが、戦争ニュースを差し置く、その裏側にあるのは、戦争のことなんて忘れていたいよなあ、関係したくないよなあ、そんな捉え方が日本の「事実」。
43時間という時間をかけて、3つのそれぞれ違う国を飛んで帰ってきた私は、それぞれの国のそれぞれの違った事実を知ることができて、それはそれは面白かった。
南米というところは、何をおいても「キス」と「抱擁」と「あなたを愛してる」ということが大事な世界。
それは別に恋人だからではない。家族だからではない。友達から知り合いになった人まで、老若男女がみんな、一日に何度もそれを繰り返す世界。
私もホームステイ先のおばさん及び、そこの息子と、朝、昼、晩、「キス」と「抱擁」を繰り返していたのだけれど、日本に帰ってきたら誰も「キス」と「抱擁」をしてくれないので、唇と腕のやり場に困ってしまっているという状態。
目を血走らせているブッシュさんとフセインさんも、あの南米の「キス」と「抱擁」と、異文化に対するいい意味での「諦め」を知っていたら、少しは状況も違っていたのではないかと思う今日この頃……。
今晩もきっと……私がおしゃべりをしていたアルゼンチンの友達たちは、お金がないのに、借金をしてビールを飲んで、わいわいと馬鹿笑いをしているんだろうなあ……。