

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-03-14 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
船内放送にはふざけた笑いが炸裂する。そして乗客もそれと一緒になって笑う。
私が氷河を見に行ったチリの船の中は、すべてが実にくだけた、柔らかな感覚の中で動いていた。

乗客は大型船から小型船(ゾディアック)に乗り換え、救命衣を身につけて氷河へ近付く。
その間にも氷河は轟音と共に崩れ落ちるのだ。
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いつも感じることなのだけれど、こちらの人は目と目が合うと、視線を逸らすどころか真正面からこちらを見据え、にっこりと笑う。極めて直球、ダイレクト。躊躇のチュの字も感じさせないコミュニケーションをする人々に囲まれるうち、私もいつのまにか「照れ」というものを忘れ、堂々とした笑顔を作れるようになっていた。
日本の場合、特に相手が外国人ともなると、まず相手を極度に意識して、言葉が通じるかどうかを心配して、そこで足踏みをしてしまう人が多いと思うのだけれど、チリの場合はそういう心配が頭を通過する以前に、自分の「気持ち」の方が先に口をついて出てくるらしい。
だから、相手にスペイン語が通じようが通じまいが、それを気にするのは二の次で、まず自分が思ったことに忠実に率直にこちらにまくし立てるように話しかけてくるのだ。
前にも書いたけれど、敬語がない言葉というのは、初対面の者同士の距離を瞬時に縮めてくれる。日本語の場合は何段階にもある敬語を最初、リトマス試験紙のように使いながら、相手の様子を見ながら、目上か年下かを察知しながら話かけていかなくてはならないのだけれど、敬語のない言葉にはそれがない。
相手が例え目上のおじいさんだったとしても、若者の言葉を直訳すれば「どう?最近、元気にしてる?」。
その上さらに、チリでは人と人とのコミュニケーションに全く前置きというものがないから、彼らの好奇心のその「まんま」でこちらの懐にズドンと入ってくる。
「どう?チリは楽しいかい?どんなものを食べたかい?どのくらい、旅をしているんだい?」
という調子。
チリ人だらけの船の中で、私達の仲間カズちゃんが一人の品のいいおばさんを連れて現れた。
「お友達ができたのよ。オルガさんっていうんだけど」
ちなみに、62才になるカズちゃんは、英語もスペイン語も全くといっていいほどできない。
けれど。そのオルガおばさんの勢いに乗せられて、身振り手振りでコミュニケーションをした揚げ句、日本へ帰国後はお互いにファックスでやり取りをしようと、番号を交換したのだ、と。
そのオルガおばさん。スペイン語が全くちんぷんかんぷんなカズちゃんをつかまえて、それを理解しているか理解していないかは関係ないといった感じで喋り続ける。カズちゃんが「全くわからん」といった素振りを見せれば、手を使い、足を使い、顔の表情を駆使して言いたいことを必死になって説明する。
船内でどうすればいいのかわからないカズちゃんに、まずスペイン語でそれを懸命に説明し、それでも彼女がわかっていないとなれば、今度は手を引っ張って船内中へ連れて行き、「視覚」をもって説明をする。
お互いに言葉が全くできないのに、「友達になった」とは、まず前置きを大事にする日本人的感覚からすれば信じられないことなのだけれど、確かカズちゃんはこう言っていたことがある。
「言葉が全くできなくても、旅はできるのよ。だって、ホテルへ入っていって、モノを買う人はいないでしょう?」
そう、全くその通り。コミュニケーションなんて全
く構えるものではなく、ほんと、息をするような感覚で言葉なしでも成り立ってしまうもの。チリは本当に他人同士のスキンシップも多い国なのだけれど、相手がそっと腕を握るようにして喋ってくれば、内容はわからなくても、とりあえずこちらに敵意を持っていないということは十分にわかる。
そう、こちらではちょっと親しくなると、頬をすり寄せる。
これが最初の頃、私にとっては全く照れくさかった。
南米縦断バスには60代70代のおじさん達も乗っているのだけれど、Hospidajeと呼ばれる民宿を出る時にそこのオーナーのおばさん達が実にさりげなく頬にキスをしてくれる仕草に、見知らぬ女性からのキスを受けることに慣れていないおじさん達はガチガチに固まった。そんなおじさん達に、チリ人達はまた、きゃっきゃっきゃっと笑いながら、キスを降らせる。
そこには言葉を介在させたコミュニケーションは一切ないというのに、人と人との距離をぐんっと縮めてくれる。
だから、単純に楽しい。言葉が通じ合っていないのに、なんだか楽しい。
いろんな文化のよせ集めで成り立っている移民の国ならではの、言葉に頼らないコミュニケーションの技に、私は改めて感心してしまった。
日本では、個性を極力殺すことを美徳とする。
だから、JRの車内放送は、田中さんが案内をしても、鈴木さんが案内をしても、ほとんど違いがわからない。
けれど。チリの船内放送は凄かった。
アナウンスしている人のキャラクターが、200%くらいの勢いで、感情、性格が「もろに」「そのまま」放送に乗せられるのだ。
とりあえず、私達の船の目的は氷河を見に行くこと。
ファンファーレと共に、船内放送から興奮した声が踊り出すと、遠くに青白く光る氷河が見えていた。
当然、乗船客もみな嬉しそうにしているのだけれど、実のところ、一番はしゃいでいたのは、そのアナウンサーだった。
それは、先週のコラムでも書いたサッカー解説者の興奮の叫び声と一緒。
「ワアアアアアアアアアアアアアアアオ!!!つ、つ、ついにっ!!!我々は氷河までやってきましたあっっっっ!!」
日本で、冷静沈着こそが大人の美徳であると教わってきたはずなのに、その信仰はチリに来てから見事に全て崩れ落ちた。
子どもがびっくりして泣き出すくらいに大人がはしゃぎ、観客が吹き出して大笑いをするくらいに、アナウンサー自身が一番が興奮している。
「いやあ、何度見てもスバラシイッ!こんな氷河のある我々の国、チリは本当に素晴らしい。スバラシイーッッ」
船の上に備え付けてあるでっかいスピーカーからワッハッハ、ワッハッハという笑い声と共に、冷静沈着のレの字もない言葉がびゅんびゅんと飛んでくる。興奮状態の船内放送の言葉にくっついた「歓喜」という雰囲気は、スピーカーの表面をビリビリと震わせ、その「うれしい」「楽しい」という空気が乗船客のところにまで伝染してくる。
……と。
突然そのアナウンスが泣き声に変わった。
ナ、ナンダ? 思わず耳を澄ますと、アナウンサーがしくしくと声をあげて、泣き真似をしている。
「お父さん、お母さん、子どもさんが海に落ちないように気をつけて下さいね。もし……もし……こんなところで落ちたら……(ここでエーン、エーンと泣き真似)お子さまは1分で天国の人になってしまいます……。しくしく(と哀しく泣き真似)」
そのトーンと変わり方といったら、凄かった。スペイン語がわからない私達の仲間も、思わずそれに釣られてエッと耳を傾けてしまうほど。ピアノの鍵盤に例えて言えば、日本の公共放送のアナウンスが常に、感情移入をせずにピアノの真ん中だけで淡々と演奏されているとすれば、チリの船内放送は、ピアノの鍵盤の右端と左端を行ったり来たりするくらい、感情が満載だった。
だから、なんだかとってもシンプルで分かり易かった。
で、じゃあなんで日本は感情露出は良くないとされているんだろうと、逆に不思議になった。
以前こんなことがあった。
ワールドカップが日本で行われていた時、私はたまたまメキシコ人サポーターをたくさん乗せた新幹線に乗り合わせていた。
メキシコ人も非常にお祭り好き。ホームで楽しそうに踊り惚けた後、みんな流れ込むようにして新幹線に入ってきた。
そしていつもの通り、冷静沈着な車内放送が始まった。
「本日もJR新幹線を御利用頂き、誠にありがとうございます。この電車は○○経由新潟行き、××時刻に到着の予定です」
ここまでは、私の耳にお馴染みの普通の台詞だった。
けれど、その日はワールドカップのせいで、おまけの一言がくっついた。
そしてその一言は、やっぱり冷静沈着、静かな声色で一切の感情を含めないままに車内に流れた。
「本日は新潟で行われるワールドカップのため、サポーターの方々がたくさん乗車しております。他のお客様には大変ご迷惑をおかけしておりますが、しばらくの間ご辛抱下さいませ」
私はそこで、エッ?と思った。
楽しそうな雰囲気というのは、周りにも楽しそうな空気をばらまくから、誰も迷惑だなんて思わないと私は思っていたのだけれど、どうもニッポンでは、あまりにも楽しそうな雰囲気というのは周りの迷惑になるらしい。
あまりにも明るく楽しんでいるメキシコ人に代わって、JRの車掌さんが他のお客さんに謝っているというわけだった。
実際にそのメキシコ人が迷惑だったかといえば、やっぱりそうでもなくて、同じく車内に乗り合わせていたビジネスマンの人々は彼らの明るい雰囲気にのまれて、かなりニンマリと嬉しそうにしていたのだけれど、それでもJRの車掌さんが「メキシコ人が楽しくしていてごめんなさい」と静かに、しかもフォーマル口調で謝り続けているのがなんだか可笑しくて、妙に印象に残ってしまったというわけだった。
もし、これがチリなら、車掌さんはそれをたしなめるどころか、自分が真っ先に一緒になって楽しむ。
そして乗客は、そんな車掌さんに導かれるように、その雰囲気に乗っかって、みんなで一斉に楽しむ。
という図は、チリの船の雰囲気からして簡単に想像された。
滅私奉公を美徳とする文化と、その時その瞬間を精一杯楽しもうとする文化。
あまりにも違いが大きかった。
船の乗客は、ゾディアックと呼ばれる小型船に乗り換えて、氷河の近くまで行った。
氷河の氷を入れてウィスキーを楽しもうという計画なのだけれど、この時もチリ人の人々の興奮と明るさに、船がひっくり返りそうになった。
日本だったら「キケンなのでやめて下さい!」とスタッフの人たちに怒られそうになるところだというのに、チリのスタッフの人たちは揺れる船をさらに揺らして乗客をキャアキャア言わせて喜んでいる。
お互いにみな、見知らぬ他人のはずなのに、一斉にウィスキーを空高くあげて「カンパーイ!!」。
隣の人に冗談で押されて冷たい海の中に落とされそうになっても、「キャー」とうれしい悲鳴。
ただでさえ足下がずぶぬれになって、氷点下の世界でおばあさんもガタガタ震えている状態だというのに、極めつけが凄かった。
氷河のそばに小さな滝があった。
それを見に行った後。
誰もがみな、あまりの寒さに一刻でも早く船に戻りたいと思っていたはずのところに。
ゾディアック(小型船)は、その滝の真下を通過。乗客全員の頭の天辺から足の先まで、氷河の水を浴びせられた。
そして、寒さに口も利けなくなった乗客を見ながら、スタッフの人々はケラケラと笑っている。
まさに「キケンだから近付かないでください」ではなく、「キケンだから、そのキケンをちょっとかじって楽しんじゃいましょう」という感じ。
乗客の方も衣類にカメラ、バッグを氷河の水にずぶ濡れにされるという予測もしなかった事態に怒るのかと思えば、まったく逆。
ガタガタ震えながらも、口元では「やったな!」とにんまり笑っている。
日本だったら「水に濡れるという予告もせずに、乗客を連れて行くとはけしからん!」「濡れた衣類、カメラの弁償をどうしてくれるんだ!!訴えるぞ!」とシリアスな展開になりそうなところが、チリでは楽しい悪ふざけ。
JRに例えていえば、駅員さんが乗客を線路に落とす真似をし、やられた乗客もきゃっきゃっとそれを喜んでいるといった状況がチリではごく当たり前に見られるのだから、恐れ入る。
私はもともと、イタズラが大好きな子どもだった。
イタズラといっても迷惑をかけるような類のものではなく、みんなが愉快になれる、そんなイタズラをよく考えていたのだけれど、大人になるうちにいつのまにかそれをすっかり忘れ去っていた。
チリはみんながイタズラ好き。特に大人がイタズラ好き。
チリの船の中で、私は思いがけず、どこかに忘れ去っていた自分の童心を思い起こしたのだった。
(次回に続く)