

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-02-21 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
ある時、パタゴニアのフィヨルドを渡る船の中で、内山さん(仮名)という日本人に出会った。
60才を超えてから、今まで住み慣れてきた日本を抜け出し、御夫婦でチリのサンチャゴに移住してきたのだと。

内山さんとは、この氷河を見に行くフェリーの中で出会った。
人を寄せ付けない大自然が残るパタゴニアだからこそ、
巨大なマスもサーモンも健在なのだ。
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毎日、スキーにハイキング、ゴルフをして、楽しい老後ですよと明るくおっしゃるのだけれど、そこまでの過程の話しが私にはとても興味深かった。と同時に、感嘆してしまった。
それはまさに、オセロの盤が真っ黒に埋め尽くされていたのを、最後の一手で全部白に変えてしまったという手際の鮮やかさだったのだ。マスで言えば、川で徹底的にいじめられて、息も絶え絶えになっていたのが、一気に自分をいじめていた川に居座るマスよりも優雅な環境に飛び込んでしまうというゲームだった。
建築家だった内山さんは、東京で設計事務所を経営していた。
建築業といえば、バブルの恩恵と地獄を最も強く受ける産業。
そこで内山さんは、バブルに乗って大成功を収め、バブルが弾けたと同時に莫大な借金を抱えた。
日本の経済環境の急激な変化を背景に、その天国と地獄という究極の二つを味わった御夫婦。
バブル絶頂の時まで、天国の中にいた御夫婦は、バブルが弾けたと共に膨大な借金を抱えるという地獄へと転落した。
普通、人間は一度天国を味わってしまうと、なかなかその味を忘れられない。
だから、そこにしがみつく。
内山さんも、しばらくはもがいた。
経済状況が急激に悪化して、まず自分の給料を削って社員の給料にまわした。
だから、自分は月給なしなのに、社員を食べさせるために銀行から借金をしてそちらに工面するという日々が続いた。
不況は5年もすれば回復するというのが新聞の論調。
2年を過ぎた時に、その新聞論調は「この不況から脱出するにはあと5年かかるでしょう」という風に変わった。
きっとこれでは、あと5年経っても、「この先、10年経ったら不況は回復するでしょう」という風になるに違いないと内山さんは思った。何年経っても、同じ台詞が繰り返されるだけ。
そうやっているうちに、借金は膨らんでいく。
そこで内山さんは、辛いながらも、長年自分の会社に勤務してくれていた社員の首を切った。
それでも景気は一向に回復する兆しを見せない。
そうこうしているうちに、60才という節目がやってきた。
60才は年金が出る年齢。きつい時代を背景に、老後の貯蓄ができるどころか、借金が増えていくばかり。
この悪連鎖をどこかで断ち切らねばと、内山さんは黒一色になっているオセロを白に変える方法を模索し始めた。
まず。この借金を全て返す。そして、仕事から足を洗う。
そして年金だけで生活できる場所を探す。
いろんな方法を模索したのだけれど、日本で老後を暮らすとなると、年金だけではとてもやっていけない。
今まで会社経営という努力をずっと続けてきたのに、60代という年齢を前にさらにアルバイトをしてまで生活をしていかなければならないのか……。どこにも行けず、質素に、地道に。それはあまりにも苦しすぎる。
もがいてもがいてもがいて、それでも方法が見つからず、いろんなアイディアを全部白紙に戻した。
それはまるで、テーブルの上に出したトランプのカードを、一気に流すように。
弱いマスが川の中で戦って戦って戦い抜いて、それでも強いマ
スに勝てないとわかって、一切抗わなくなったように。
内山さんは、状況を改善させようと、それまで小さなカードを切って小さな一手をこうじてきた。
でも、状況はそんな小さな手では通用しなくなっていた。
だから、頭の中にあったあらゆる小さなカードを、いったん全部捨てた。
オセロのコマを、一つずつ地道に白にしていこうという方法は諦めた。
オセロの盤は、最後の二コマを残して後は全部黒。もう一つずつ白にしていったのでは間に合わないのだ。
そこまで追い込まれたところで、内山さんは、自分の中にあった既成概念を一気に全部捨ててしまったのだ。
諦めと挫折で、既成概念を全て捨てた勇気が、ゲームを好転させたきっかけになった。
もともと内山さんが努力をしていたのは、日本で老後を楽しく暮らすというアイディアに基づいたものだった。
それさえ、捨ててみた。捨てざるを得なかったのかもしれない。
そしたら。
別の、もっともっとでっかいカードが見つかったのだ。
あれ?なんで日本という舞台にこだわっていたんだろう?別に日本じゃなくてもいいんじゃないの?
60年という長い年月を暮らした日本を母国と考えるのは、気付かぬうちに自分の考え方が固まっていたから。
新しい母国となる場所を探すという風に、自分の発想を変えたらいいでないの。
今までは東京に自分の帰る場所があると考えていたけれど、それを別の場所にすればいいだけの話しじゃないの。
それからの内山さんの行動は早かった。
たった6ヶ月で日本での全ての処理を終わらせ、1年後には60才からの母国となるチリに、奥さん、家財道具と共にやってきてしまったのだ。
チリのサンチャゴなら、東京とあまり変わらない環境、もしくは東京よりも良い環境で、しかも年金だけで十分に暮らしていける。だから、自分の母国と思っていた場所丸ごとをそこに移動させてしまう。
私は目からウロコだった。話を聞いた後、内山さんの発想の大胆さに感服した。まさにびっくり驚天動地の心境。
今内山さんは、サンチャゴの一等地にマンションを買い、毎日スキーにゴルフをエンジョイし、明るいラテンの人々とダンスをしながら暮らしている。それを語る内山さんの笑顔は、本当に幸せいっぱいという感じ。
「年齢が20代とかだったら、全く知らない土地で何かを始めてみようという勇気があるのはわかるんですが、内山さんのように60代に入ってから、今まで培ったものの全てを捨てて、新天地で始めようとするというのは、あまりにもすごすぎますね。友達ができるかとか、言葉の問題とか不安にならなかったんですか?」
と私が月並みな質問をすると、内山さんは満面の笑みで言った。
「私はスペイン語、全くできないんですが、なんとかなるもんですよ。友達はまたこちらで作ればいいし、それに前を向くしかないという状況に追い込まれると、意外と人間なんでもできてしまうものですよ。毎日とっても楽しい。あなたも、こちらに移住してくれば?」
真っ黒だったオセロのゲームは、完全に白になってしまった。
川から逃げたマスは、別の海にいって悠々と自分らしさを追求して泳いでいる。
この人の頭の中は、20代だなあと思った。
人は、年齢がいけばいくほど、いろんなものがくっついてきて、なかなかそれを捨てることができなくなる。
それを60代の内山さんがあっさり捨てて、新しく見つけた場所でのびのびと今を満喫している。
「全てを捨てる」というでっかいカードを切ることは、決して悪いことじゃないんだなあ、というよりむしろ、次への偉大なステップになるんだなあと、感心することしきり。
私自身も、自分の「川」を日本と信じ、「書く」という仕事に固執してきたことでさえ、なんだかバカバカしいと思わせてくれる人だった。そんなことさえ思う必要はない。もっとでっかいテーブルをまず自分自身に用意しておかなければ、自分の可能性は狭められるばかりなのだ。
フェリーの夜のパーティーで、チリの人々の前でロックンロールを披露する内山さんご夫妻が、なんだか素晴らしく格好良く見えた。と同時に、60代を超えた日本人の中にこんな人がいるということが、同じ日本人として非常に誇りに思えた。
話しは少し変わって……。
地球をあちこち旅していると、世界史の中で15世紀から17世紀に及んだ大航海時代というのは、とんでもない時代の転機だったんだなあと思うことがよくある。
それまで、人の小さな移動はあったとしても、活発化した植民地活動によってあそこまでヨーロッパの価値観という単独の価値が世界の隅々にまで知らしめられた時代はなかった。
イギリスからの移民に始まった北米大陸はもとより、最初スペイン人が到着した南米大陸には、その後スペインのみならず、ヨーロッパ各国から大量の移民が押し寄せた。
ここチリでも朝食のスタイルから、台所用品にまでドイツの習慣が色濃く見られる。
南米というと、日本人はペルー・ボリビアのアンデスの風景を想像しがちだけれど、ここチリ・アルゼンチンといった国は、ほとんどヨーロッパの雰囲気と大差ないといっても過言ではない。
アフリカだって、東側でほとんど英語が通じるのは、イギリスの植民地が長かったせい。
アフリカ西部はフランス語。
アジアで言えばフィリピンがスペイン語。
あの時代には、宗教だって、一気に塗り替えられた。
もともと自然が豊かな環境にあるところは、アニミズム信仰や自然信仰の色合いが濃いのだけれど、あの大航海時代という時間があったおかげで、そういう場所でさえ、信仰はキリスト教に塗り替えられていった。
大航海時代に植民地を次々と作っていった国々の言葉、スペイン語、英語、フランス語、ポルトガル語が操れれば、地球上のかなり多くの国で旅するにも苦労しない。
そのくらい、地球の色を黒から白に塗り替えてしまうくらい、あの時代は凄かったのだ。
今もヨーロッパにはその開拓魂が生きているのか、世界各国で出会う若者達の多くは、ゲルマンか、アングロサクソンか、ラテン系民族。外へ出ていこうという彼らの勢いには、圧倒されるものがある。
日本人の場合は、例え外へ出ていっても、そこに家を作って住み着こうという発想にまで結びつかないところが、彼らと大きく違う。私も外を旅することは大好きでも、見知らぬ土地でゼロからやるぞという気持ちにまで持っていくのは、あまりにもエネルギーがいるからつい躊躇する。
なぜ、彼らがこれだけ地球を席巻するくらいにまで、外に出ていくエネルギーを爆発させたのか?
マスに例えて言えば、なぜ彼らが川にいることをせず、大海に向かってここまででっかく漕ぎ出してきたのか?
その答えとなるようなものを、ここチリのhospidaje(日本で言う民宿)のおばさんから聞いた。
パタゴニア地方に暮らすおばさんは、ドイツ系移民の三世。
彼女が小さな頃におばあさんから繰り返し聞かされた話によると、彼女のおばあさん達は150人ほどが一隻の船に乗り込み、新天地を求めてここチリにやってきたのだ、と。
人口が極めて少ないこの地では、土地がほとんどただ同然で手に入った。
そこで、彼女のおばあさんと旦那さんは、掘ったて小屋から開拓を始め、大きな農場を持つようになり、住み着いたのだと。マスで言えば、彼女のおばあさんとその旦那さんも、やっぱり川にいられなくなった降海型の魚だった。
そしてしばらく時間を経た後、本国にそのまま居座るマスと引けを取らないくらいの暮らしをこの新しい場所チリで確保したというわけだった。
まさにこれも、敗者復活のゲーム、オセロの黒を白に変えた技だった。
そしてもう一つ。
ヨーロッパという場所は、働かずして食料が得られる場所ではない。
例えば、アフリカやアジアは、気候が温暖なところがたくさんあるから、黙っていても生きるに困ることはなかった。
だから、それは逆に言えば、外へと向かわせるエネルギーにつながらなかった。
けれど。ヨーロッパは、土地的にも厳しい場所が多い。
だからこそ、それが外へと向かわせたのではないか。
自分達が弱いということを直視しなければならなかったからこそ、そのエネルギーが転化してあの大航海時代、そして世界各地の植民地化へつながったのではないか。植民地化が良いか悪いかは別にして、自分達の弱点を知り尽くしたからこそ、ヨーロッパ人達は、一時代、オセロの黒を白に変えるゲームに自らを投じてきたんじゃないか。
ヨーロッパからやってきた10代、20代前半の覇気のある旅行者と話をする度に、その名残を感じてしまうのだ。
川の中でやってやって、やり抜いて、どうにもならなかったら、堂々と海に逃げる。
コンプレックスは逆手にとって、外へ向かうエネルギーに変えていけばいい。
私が釣ったマスはプリプリに太っていた。
川に戻ってきて堂々と泳いでいたところを、私につかまった。
私はそれを、刺身にして食べた。
海に逃げたマスくんのオセロゲームは、川でいじめられたところで負けに入り、でも海に逃げたところで敗者逆転、太って川に戻ってきた。なのに、そこで私につかまった。
私は、それを美味しい美味しいと、刺身にして食べる。
食物連鎖ではニンゲン様の方が強いのだ!と大威張りで骨までしゃぶってたいらげた。
そしたら、翌日下痢をした。
ゴミ箱の中に転がった骨のカスが、トイレに駆け込む私を見てウッシッシと笑っている気がした。
ゲームの勝敗は、ジンセイが終わってみるまで、わからない。