

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-02-14 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私は今、短い夏を迎えた南米パタゴニア地方にいる。
先日、生まれて初めてフライ・フィッシングをしてみた。
ちなみに私は日本で釣りなんてしたことがない、ずぶの素人。
けれど、街角の旅行会社に貼ってあるポスターに、釣り人達がでっかいマスやサーモンを抱えてニッカリ笑っている姿があるのを見て、私も挑戦してみようと思い立ったのだ。

日本ではこんなでっかいマスなんて見たことがないけれど、ここではこのくらいはまだまだ小さい方。
時には6kgもあるマスが捕れるらしいのだから恐ろしい。マグロみたいでないの(パタゴニア・チロエ島にて)
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地元のおじさんが持っていたのは、簡素な釣り道具。
釣り糸の先に、小魚の形をしたプラスチックのニセ魚をくっつける。
ちなみに全く釣りを知らない人のために解説をすると、一口に釣りとはいってもいろいろな種類がある。
釣り糸の先に生のオキアミをつけるものもあれば、疑似餌をつけるものもある。
フライフィッシングとは、疑似餌をつけるタイプのもの。
釣りを知っている人には笑われそうだけれど、私はずっとその「フライ」という意味が「魚のフライ(fry=揚げ物)」の意味だと思っていた。要するに「揚げ物にするための魚を釣る」ことをフライ・フィッシングと呼ぶのだと思っていた。けれど、そのフライの意味がfly=蝿だと知ったのはかなり最近のこと。
釣り好きの友人の一人が、毛針を作るんだといっては、死んだ蝿や蚊を机の上に乗せてじっと観察しながら、ウサギの毛や鳥の羽で「蝿モドキ」や「蚊モドキ」を真剣になって創作しているのを見て、フライ=fly(蝿)であることを知ったのだった。
どうやら川魚は虫を食べるらしい。だから人間の方はそういう虫のニセモノを作って釣り糸の先にくっつけ、魚を騙して釣り上げる、それがフライフィッシングだった。
さて、ここパタゴニアでは、そんなフライフィッシングがとても盛ん。
だから私を釣りに連れて行ってくれたおじさんも、小箱の中に「虫モドキ」や「小魚モドキ」の小道具をたくさん持っていた。その疑似餌を、天候、水面の色、空に色によって使い分ける。
当日の疑似餌は、茶色の鳥の毛が長く伸びた疑似餌。
釣り竿の使い方もよくわからない私は、おじさんに言われるがままそれを竿の先にくっつけて、水面に糸を垂らした。
すると……ものの10分で釣り糸がビーンと弾かれ、竿ごと船後方に持って行かれそうになった。
でかいぞ、でかいぞ。
あがってきたマスは体長約60cm。
なんだか自分がとんでもない釣り名人になったかのように錯覚した。
早速、その釣り好きの友達に「にわか釣り名人、巨大マスを釣る!」というタイトルのメールを送った。
そして「いいだろう?はっはっは」と存分の自慢をした。
すると、こんな答えが返ってきた。
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すごいね!そんなのが釣れたの?
それはきっと、南米パタゴニア地方が、豊富なフィヨルドに恵まれているからだね。
ダムがない川からマスが海に出て、でっかくなって戻ってくるんだ。
ちなみにこれを、降海型マスと呼ぶ。
それに対して、日本のマスは小さい。50cmを超えるマスが釣れることは滅多にない。
なぜなら、日本の川は、北海道の一部を除いて、ダムがあるから、マスが川より外に出ることができない。つまり海に出ることができないから、でっかく太って川に戻ってくるということがありえないんだ。
これを陸封型マスと呼ぶんだよ。
ダムなどがない、全くの自然界にある場合の、マスの競争原理を知っているかい?
本来、降海型マスというのは、遺伝子的に弱いマスなんだ。
なぜかというと、川での縄張り争いと、エサの取り合いに負けたマスが、海に下るしかなくなって、まるで逃げるようにして川を出ていくんだ。
そして2〜3年後……。海に出ていった弱虫だったはずのマスは、そのまま川に居着いた強いマス達の何倍も体がでっかくなって、川に戻っていく。パラドクスだよね。昔、いじめられっぱなしだった弱虫のマス達は、そこで今まで自分をいじめて川を追い出したマス達に逆襲をするんだ。敗者復活っていうドラマがそこにあるんだよ。
だから、この地球の生物の世界というのは、必ずしも強いものだけが遺伝子を残すとは限らない。
人間の世界だって、通じるところがあるとは思わないかい?
もともと南半球に、マスは生息していなかったんだけれど、16世紀に南米に渡ったヨーロッパ人がきっといつの時か、氷河があるために水量が豊富で水温が冷たいパタゴニアに放流し、それが自然に繁殖していったんだろうな。
それにしても。
あんたみたいな素人がそんなのを釣っちゃうのは理不尽だ!
俺が釣りたかった!!
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私はこの話しを読んで、昔理科の教科書か何かに書いてあった「食物連鎖」の図を思い出した。
食物連鎖の理屈によれば、強いものが弱いものを食っていく。そしてピラミッドができあがっている。
確かに理屈ではそうなのだけれど、私の友人が言うところによると、自然界をよく観察していれば、そこに当てはまらない例外現象がたくさんあるらしいのだ。
昔いじめられたマスは、逃げるようにして川に居場所をなくして海に逃げていくのだけれど、いつのまにかもともと強かったマスよりもずっと強くなって川に戻っていく。そういうことって人間界にもないかい?
そんな主旨のメールに、ふと私は自分を重ね合わせた。
私はインタビューの時、よく「あなたは子どもの頃からそんな風に派手に何かをする大胆なタイプだったのですか?」と訊かれる。そんな時にはいつも「とんでもない!弱虫でシャイで照れ屋で、先生に当てられると、いつも顔を真っ赤にしていたので、級友からはユデダコと呼ばれていました」と答えるのだけれど、なかなか信じてもらえない。
どちらかというと、いつも本ばかり読んでいて、外で遊ぶことは本当に苦手だった。
だから、いつもガキ大将の男の子にからかわれては小さくなり、堂々とした華やかな女の子を陰から見てはいいなあと憧れていたものだった。
ある程度大きくなってからもそうだった。
大学受験も、自分でもイヤになるくらいに失敗し、将来何をしていいのかもよくわからず、OLになってからもどうも他の人ほど効率よく仕事ができず、コンプレックスだらけの中に自分があったといっても過言ではない。
小学生から中学生の頃のあだ名は、白ブタ。
まあ、黒ブタと呼ばれるよりもマシかなあと自分で自分を慰めてはいたものの、どうもそれが気になって学校から帰ると鼻の形を変えようと、毎日洗濯ばさみ三本で自分の鼻を挟み、努力していたのを思い出す。
今思えば……、そう、当時は白ブタと呼ばれることを、逆手に取ることができなかったのだ。
今だったら、もしガキ大将に白ブタと呼ばれたら、自ら鼻を針金で釣り上げて、ブタの格好をしてブーブーと言いながら部屋をはいつくばる位の芸当を、サービスしてあげるくらいのことはできるのだけれど、当時はただ、逃げ回っていただけだった。
今の仕事にしてもそう。OLをやっていた頃は、どうして自分はこんなに世の中の規則に当てはまらないようにできてしまったのだろうと、ずっと思っていた。
自分なりに、そこに合わせようと努力はするのだ。けれど、もう病気になってしまいそうなほどに「できない」のだ。
どうしていつも自分は他の子と同じようにできないのだ??
これはかなりの間、私の中の大問題だった。
インタビューを受ける時に、「やりたいことをどうやって見つけたんですか?」ともよく訊かれる。
ここだけでこっそり、正直に言うと……他にできることがなかったのだ。
でも、変なところを旅をすることだけは、できた。
小学生の頃から外の世界にはずっと興味があって、私にとって「書く」ことはお給料をもらって会社の書類を作っていることよりも、苦痛が比較的少なかった。
私の場合、あまりにも「できる」ことが少ないから、逆に「やれる」ことがわかりやすかったのかもしれない。
そうして……大人になっていくうちに、次第に開き直ってきた。
他の子にできることが、私にはできない。だから、私は私がとりあえずできることをやるしかないのだ、と。
そうしたら、今、少しは私がコンプレックスを感じていた他の子に見せても恥ずかしくない、「私なりのもの」を仕事としてやっていくことができるようになった気がする。
だから正確に先の質問に答えるとすると、「やりたいことはよくわからなかったのですが、やれることがあまりも少なかったので、そこを開き直って、とりあえずやれることを続けていたら、それがいつのまにかやりたいこと、という風に錯覚するようになっていたのかもしれません」となる。
マスで言えば、私は全く、海に逃げていった降海型のマスだった。
27才頃まで、川に戻れなかった。たぶん、弱すぎて、戻れなかった。
でも。自分の中でその弱さを逆手に取って、これでやっていくしかないんだと悟った時、それをやり続けてとりあえず自分で自信の持てるものを作って、川に戻ってみようという気になったのだ。
マスのように逆襲しようという気は全くないのだけれど、自分の居場所を川に見つけられるくらいにはなりたいと思って、自分ができることだけを一生懸命やってきた。
他の強いマスにいじめられるような自分じゃなく、興味を持ってもらえるような自分になってしまえばいいんだ、と。
そしたら。マスのように海に出て体が何倍にも大きくなってはいないけれど、とりあえず、川に戻ってもくしゃくしゃにならないくらい、強いマスが、なんだかわからないけれどこのマスはユニークだぞと思ってもらえる自分に、いつのまにかなっていた。
例えば、オセロでずっと負け戦になっていても、一列が全部黒に埋め尽くされていた盤を、最後の一手で全部白に変えることはできる。でも、その一手がどこにあるかという方法を見つけるのは、負けを負けと認めてそれを逆手に取ると考えられるくらいにまで開き直らないと、きっと見つからないんだろうと思う。
弱いマスがいじめられっぱなしにならない方法は、必ずどこかにはあるのだけれど、それを見つけるのは、そのマスが自分の弱さをとことん認め、その自分を俯瞰して笑い飛ばせるくらいにまでなった時、ふとその方法が自然と目の前に現れてくるものなんだろうな、と思った。
その一手を見つけるのは、本当に難しい。それを見つけるのは、やっぱり個人の努力しかないんだろうと思う。
でも、その一手はとにかく「ある」のだから、諦めずに見つけるしかない。
(次回に続く)