

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-01-31 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続く)
全く似たようなことがアフリカ縦断の時にもあった。
エチオピアを走っていた時は、今回以上の忍の一字状態がなんと10日も続いた。

ボリビアの悪路の後に通過したのは、ウユニ塩湖。
塩の結晶が作った波の上を、南米縦断バスは走る。
道は……ない。からコンパスを頼りにひたすら西へ進むのみ。
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地図で見たら1cmほどにしかならない距離を、10日続けて地図上の10cmを走った。
机の上の計算では、一日でその10cmを進む予定だった。なのに日が出てから暮れるまで、一日をフルに使ってどんなにベストを尽くしても、進んでいるのは地図上のたった1cm。
でも来てしまったものを引き返すわけにはいかなかった。
「行く」と決めたところを途中で引き返すと、もっと大変なことが待ち受けているというのが私のジンクス。
だから、1cmしか進めなくても、そこをなんとか乗り越えるしかなかった。
毎日、仕事でもするかのように、朝御飯を食べると、跳ね上がる車の上でじっと座禅。お昼はパンをかじり、また座禅。夜、これ以上はダメだと感じたところで、何も考えずに寝袋にくるまって眠り、また翌朝スタート。
それを10日、繰り返した。10日と言えば一ヶ月の三分の一。
その間をずっと、私は御飯とトイレと寝てる以外は、悪路の上でじっと耐えるということをしていたことになる。
ただの怠け者じゃないかとも思えるのだけれど、逆に、広くない車の座席の上で10日間、ただじっとしていることは、それはそれで大仕事だということを、あの時に思い知った。やってみれば、それがいかに大変かということがわかる。
あの時も最初の三日、その苦痛にジタバタし、その後「アキラメ虫」が出てきてその環境を受け入れた。
でも気が遠くなりすぎて、あの時も今回と同じような浮遊感が湧いてきたのを覚えている。
とりあえず後ろに戻っているわけではない、というところで、自分を慰めた。1cmも10日続ければ10cm。だから、時間はかかるけれど、これでも目的地には近付いているんだ、と。
あの時も開き直った後の根拠のない自信が、あの10日を支えていた。
凄まじい悪路という苦行を終えたところで、目的地のケニア国境にまでたどり着き、そしたら今度は「強盗街道」という難儀が待っていた。
そこは、運の悪い車が数日に一台という割合で必ず強盗されるという曰く付きの道だった。
最初のうちは催涙スプレーを手に握りしめ、怖い、コワイよお……と、徹底的に抗っていたのだけれど、強盗を避けるために隊列をなして走っていた他の車に完全に追いつけなくなったところで、「アキラメ虫」が出てきた。
一台でヒョコヒョコ走っているとやられる確率が高いので、その道は十数台の車が一緒に走る。
なのに、私達の車は改造車なので、どんなに努力してもとても彼らに追いつけなかった。
もうどうにでもなって下さい。合掌。
強盗に遭うなら遭って下さい。合掌。
私はただこの道を往く、それのみです。合掌。
ヒトは運を天に任せることができる強さを持っている。
あとは自分を信じてあげることだけ。
そこまで開き直ることができると、逆に強い運を引っ張ってくることができる。これも私のジンクス。
結局、私達の一台前の車が強盗に遭ったにも関わらず、私達の車はそのままその地域を無事に通過した。
一昨年、ヒマラヤに行った時のことも、懐かしく思い出す。
ヒマラヤのように山の深い場所でトレッキングをすると、二週間の行程をとった場合、毎日一日8時間、それこそ定刻勤務に出るような感じで、足を動かし続けて歩かなければならない。
車だったら、どんなに気が遠くなろうが、寝ていようがふてくされていようが、車が自分を運んでくれるので、とにかく車の上に乗っかってさえいれば、自分を運んでくれるからまだ救われるのだけれど、トレッキングでは自分の足こそが車の車輪。
だから自分の足を前に出さない限り、目的地に行けない。
でも……普段山を歩く習慣がない初心者の私にとっては、一日8時間、富士山より1000mも高い場所を登り続けるなんて、想像もできなかったこと。逆に言えばだから、行くと決めてしまったわけなのだけれど、やり始めて数日経ったところで、しまったと思ったものの、もう後の祭り。
あの時も、他に選択肢がなく、「前に行く」しかなかった。
というより、無理にでも「やれる」と自分に暗示をかけないと、足が前に出ないのだから、一生懸命「やれた」自分を想像するしかなかった。
目的地にいつ到着するかを考え始めると、あまりにもそれは遠くて辛い。だからもう考えない。
とにかく、一歩一歩足を前にだけ出していれば、30cmは「前」に行っているわけだから、それを重ねればいつかは頂にたどり着くと考えた方が良かった。
標高5000mのところまで行った時には猛吹雪。
気温は零下30度。
このまま永遠にこれが続くんじゃないかと気に病んでいたのも最初だけ。いつしかそんな余裕もなくなった。
気温はぐんぐん下がる一方。雪もひどくなる一方。
私がどんなにあがいても、周りの環境は私の意に反してひどくなる。それが何日も続けば、もうそれをこちらが受け入れるしかなかった。そして例の「アキラメ虫」が顔を出した。
「どうにでもなって下さい。合掌。凍って死んじゃうのなら、それはその時考えましょう。合掌」
そしてまたいつもと同じ、根拠のない開き直り。「きっと、どうにかなる」。
そして無我夢中でひたすら足を動かし続けて二週間、いつのまにか気付いたら、そんな環境をすっかり受け入れて、ヒマラヤの山を踏破していた自分がいた。
きっと、場面は違っても、誰でも似たような気持ちになったことがあると思う。
こんな劣悪な環境では○○なんてできない、
と思っているのは、自分でもそこに別の逃げ道があるとわかっている余裕のある時で、逃げ道が完全にないと知った時には、それはそれでヒトは自分が思っている以上の力を発揮して、それをなんとかやりくりして越えてしまえるものなんだと思う。
私の場合は、知らずにその大変な環境の中に入ってしまって、気付いたら逃げ道がなくて、だからやるしかなくて、でもやったら不格好ながらそれなりになんとか通過できてしまって。
すると、それまでは自信の欠片もなかったのに、なんだ、本当にやってみればなんとかなってしまうものなんだなあとわかり、それがまた次に何かする時の土台につながっている気がする。
だから、最初に全く根拠のない「どうにでもなって下さい。きっとなんとかなるのだから。合掌」という開き直りで自分を信じてあげることは、本当に大切なことだったのかな、と今になって思う。
ヒトは与えられた環境に応じてやっていける強さを、必ず気付かぬうちに持っているのだから。
ちなみに南米縦断バスのメンバーは、ボリビアの悪路でその強さを十二分に発揮していた。
ガガガガという振動音に合わせて、首から上が別の生き物のように前後左右に揺れまくった13時間、その光景は今冷静に思い出すと、かなり可笑しい。
8人のメンバー全員の頭部が、あかべこのように揺れる光景なんて、コミカル映画でもそうそう見られない。
長方形のバスが、跳ねた瞬間にひょうたん型に歪んだ感じがする感覚なんて、滅多に味わえない。
メンバーの一人、サムさんは数時間をすぎたところでウグッと声を上げて、こう叫んだ。
「あっ。口がガクガクしすぎて、歯が取れちゃった」
日本にいたら、深刻に騒ぎそうなことなのに、なぜか全員が揺れる車内で涙を流すほどに笑った。
そして当の本人は、「この歯もなきゃないでなんとかやっていけるから大丈夫」なんて暢気なことを言っていた。
「馬の背中に13時間、乗っているような感じやわ」
「この震動、ダイエットに使おうと思って、お腹を震動に任せて揺らしてる」
みんなあの時は確かに、与えられた環境をしっかり受け止め、その中で生きていた。
あまりにすごい悪路は、歯が取れちゃった事件さえ、他愛のないことのように私達に感じさせてしまうのが不思議だった。座席に自分自身を洗濯ヒモでゆわえておこうと思ったというカズちゃんは、震動のない世界に入った時から「何かがもの足りない感じ」などと言っているのだから、まったく逞しいと言うしかない。
時には大変なこともある陸路の旅。
ボリビアの悪路は、そこを越え終わった瞬間から、みんなの中で甘い想い出に変わってしまった。
大変だった分、強烈な印象となって私達の中に残った。
何十年経っても覚えていることって、美しいビーチのことではなく、立派な建築のことでもなく、ボリビアの悪路みたいなことなんだよなあ……。車内でその話題に花が咲いた時、みんなで爆笑した。
「あの時の車窓から見えた風景、どれだけ素晴らしかったことか……」
と誰かが言った。
あの憎々しい荒野は、みんなの記憶の中でもう最も愛おしい荒野に変わっている。
だからこそ、また次に何かできる。
誰もが持っているそんな記憶のマジック。そこにもヒトの強さを見せつけられた気がした。