

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-01-17 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
旅をしていて何が楽しいって、一番は人との出会い。
旅の道という年齢も職業も関係のない一つの土俵の中で、普段はなかなかお目にかかれないような人々に出会って自分自身も刺激を受け、そんな時に始めて、決して楽しいだけではない旅の全てが報われたような気になる。

標高4500mに達するペルーのアンデス山中を、自転車で旅し続けるフランス人のおじさん。
幼なじみ3人組で昔からの夢だったことを実現させたと語るおじさんは、息を切らせながらも開放感に満ちていた。
かっこいいなあと見惚れてしまったのだ。後ろは私達の南米縦断バス。
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先日もこんなことがあった。
私はペルー・チチカカ湖の島巡りに出掛けた。
チチカカ湖は富士山より高いところに忽然と姿を現す、海のように広大な湖。
上空から見ない限り、これが周囲が閉じた湖だとは、きっと誰も気がつかない。
私はその中に点在する島の一つ、アマンタニ島に行こうと思い、エンジン付きの小型船の中で待っていた。
すると……。
すると腰の曲がった、足下のおぼつかない一人の外国人おばあちゃんが、手すりにしっかりつかまりながら乗船してきた。とはいっても決してみすぼらしい風体ではなく、真っ赤な小花がプリントされたシャツはピシッとアイロンがかかり、帽子のつばの下からは優しい眼差しが光っている。
その時、小型船には私の他にも欧米からの旅行者が数人乗っていた。それまではなんとなくお互いに沈黙を守って座っていたのだけれど、おばあちゃんの乗船をきっかけになんとなく、みなが自然におばあちゃんに手を差しのべる雰囲気になり、それと共に船内の雰囲気もぐっと打ち解けた感じになった。
誰かがおばあちゃんに声をかける。
「ひとり、ですか?」
船内中が興味津々の様子で、おばあちゃんの方に一斉に視線がむいた。
「そうよ。どうして?」
揺れる船内でともすればすぐに転がってしまいそうな小さなおばあちゃんは、船の端っこにちょこんと座った。
また誰かが訊いた。
「でも……おばあちゃん、何歳ですか?」
これぞみんなが訊きたくてうずうずしていた質問。地元の人までがおばあちゃんの顔を覗き込む。
おばあちゃんは悪戯っ子のようにはにかむと、小さな声で答えた。
「83才よ」
聞くところによると、おばあちゃんはロンドン在住イギリス人。二ヶ月前に大好きな一人旅で中米キューバに出てきて、それから4ヵ国を経由して南米ペルーにまで下ってきたのだという。
カバンは小さなリュックサック一つだけ。
あんまり重いと持てないから、とおばあちゃんは恥ずかしそうに笑う。しかも標高4000mを超える中で、その寒さに私だってセーターが手放せないというのに、おばあちゃんは可愛いブラウスの上に、品のいいジャンパーを羽織っているだけ。
毎日違う環境の中で旅を続けるということは、若者にとってだって相当なエネルギーのいることだというのに、一歩一歩、地面を確かめるように歩くおばあちゃんがそれをやっている。おばあちゃんを特別な目でみては失礼だと、なんとなく意識しているかのようなみんなは、顔色を全く変えないまま、肩でため息をついた。
旅っていうのは、本当にいいことばかりではない。
今日明日を生きるのに必死な途上国では、騙されることなんてしょっちゅうだし、ましておばあちゃんのように「スキが服を着て歩いている」ような弱々しさをもってすれば、どんなにかイヤな思いをしているだろうと、それは誰もが想像するところ。が、誰かがそれを訊いた時にも、おばあちゃんは、曇り一つない笑顔でこう言った。
「イヤなめに遭ったこと?全くないわねえ……。私の周りはいつも、素晴らしい人々ばっかりだったわ」
ひねくれ者の私としては、普通こんな言葉を聞いたとしても「無理してるなあ……」なんて思ってしまうというのに、不思議なことにおばあちゃんは全くそれを思わせなかった。
というよりもおばあちゃんは、周りが何の打算もなしに自然に何かを手伝ってあげたくなる、そんな雰囲気に満ちていた。だからおばあちゃんを巡っては、本当に不思議な現象がいっぱい起きていた。
普段は相手がガイジンと見れば、相手にものを言わさぬ勢いで高値でモノを売りつけていく地元の商人が、そのおばあちゃんを前にした瞬間、商品はとりあえず脇に置いて、それまで見せもしなかった優しい眼差しになっておばあちゃんの船の乗り降りを手伝っている。
小型船を操縦していたキャプテンは、おばあちゃんがでっかい虫眼鏡で本に書いてある字を読もうとしていると、それまでビジネスライクでサービス用の笑顔しか見せていなかったキャプテンが急に柔和になり、おばあちゃんの代わりに字を読み、大きな字にして紙に書いてあげている。
同じ船に乗っていた他の人も、なにかおばあちゃんの行動はとても気になるらしく、チラチラとおばあちゃんの様子をうかがっては、おばあちゃんの帽子が吹き飛びそうになればそれを押さえ、おばあちゃんがジュースのフタを開けるのに困っていれば、それを手伝っている。
きっとドロボウでさえ、おばあちゃんを見たらお金を盗るどころか、逆にどこかで盗ったお金をおばあちゃんに貢いでしまうだろう不思議な魅力に、船内の全員がはめられた感じだった。
普通の状況だったら、経済という壁がペルーの地元の人と外国人旅行者との間に越えられない溝を作っているというのに、おばあちゃんという不思議な媒介が乗船してきたことによって、みんながただのニンゲンという土台に乗っかってしまい、それまでは厳然とあった溝が全部、ふっと消えていく、そんな感じがした。
溝がない、そういう意味では、英語というのは面白い言語だなあと、おばあちゃんを核とした船内の会話を聴きながら感じていた。
一人、乗船客の中にとんでもなく派手なアメリカ人のオネーチャンがいた。
ニューヨークでミュージシャンをやっているというだけあって、どこか尖っていて無愛想。世の中を裏から見ているという感じが、どこか表情に影を作っていた。ビリビリに破れたTシャツにはピースマーク、ドレッドにした髪には空き缶のプルタブやら貝殻やらがぶら下がり、顔には無数の安全ピンが刺さっている。
そんな斜に構えた彼女が、ぶっきらぼうにおばあちゃんに声をかけた。
「マザー、何日間、チチカカ湖にいんの?」
もう聞き慣れていたはずの英語なのだけれど、私はそこでちょっと驚いた。
英語には丁寧語はあっても、尊敬語はない。
だから、言葉上では人間関係に縦がなく、年齢地位に関わらず、フラットな中でその関係が形成される。
日本でだったら、「どのくらいチチカカ湖には滞在されていらっしゃるんですか?」とでも訊かなければ怒られそうなのに、いわゆる「ため口」しか存在しない英語での会話は、なんだか妙に可笑しかった。
おばあちゃんは、上品にゆっくりとこう答える。
「あたしの旅にはいつも予定がないのよ。いたいだけいるから、何日いるかはわからないわ」
するとまた、ヘビメタ系オネーチャンがちんまりしたおばあちゃんを吹き飛ばしそうな早口でこう言う。
「その花柄のシャツ、可愛いじゃん。マザー、似合ってるよ」
「あら、あなただって、くるくるの頭、変わっているけどステキよ」
そしておばあちゃんは、あらっ?と小さな声を出し、カバンの中からでっかい虫眼鏡を取りだしてオネーチャンのドレッドヘアをじっと観察した後、ゴミがついていると、缶のプルタブを取ろうとする。
「これ、一応私のファッションだから、つけたままにしておいてくれる?」
とオネーチャンが言えば、今度はおばあちゃんが切り返す。
「あら。まあ。でもあたしがいつも通っている美容院では、そういうことはしてくれないわ。どうしてかしら?」
「じゃ、ニューヨークにくればいいじゃん(笑)」
昔、中学生の時、一学年上の先輩に「年齢が一つでも違ったらタメ口を使うな」と怒られたことがあったのだけれど、83才のおばあちゃんと23才のオネーチャンと、その他55才のオーストラリア人のお父さんと15才の少年と、ほか諸々の人々が、国籍も年齢も関係なく同じ位置、同じ土俵で対等に喋ることができるという点は、まさに英語のなせる技。とぼけたおばあちゃんの言葉に思わず吹き出したオネーチャンにつられ、私も吹き出した。
おばあちゃんの知恵袋は、物事を全て肯定的に捉えるということで完結していた。
83才のおばあちゃんが、4100mの丘を自分の荷物を背負ってトコトコと登る。
私だって休み休み登らなければ、あまりの薄い空気に肺がパンクしそうだというのに、おばあちゃんも隣でゆっくりゆっくり大きな息を吐きながら、ニコニコしながら歩を進めている。
さすがに見かねて荷物を持ってあげると、おばあちゃんは満面の笑みを浮かべて私を褒め称える。
「あたしもなぜか、いつも人にタフだって言われるけれど、あなたはもっとタフなのねえ、スゴイわ」
私は心の中で、こんなスゴイおばあちゃんにスゴイなんて言われたくないなあと、苦笑する。
ミニバスの中で座席がなくて立っている現地人に、おばあちゃんはちょいとと、唐突に声をかけた。
「ちょいとあなた、それじゃ大変だから、私の膝の上に座る?」
みんな心の中で、こんなちっちゃなおばあちゃんの膝に座ったら、おばあちゃん自身が粉々に砕けちゃうから、いくらなんでもそれはできないと思いつつ、大真面目に膝を差し出すおばあちゃんを見て、またくすりと笑う。
アマンタニ島で、島の伝統を保存しようとするがあまり、地元の人の踊りも民族衣装もすっかり観光ビジネスのツールと化していることを、ヘビメタオネーチャンが嘆いて悲観すれば、そこでまたおばあちゃんは一言。
「今の時代は、文化は観光業で保存していくというという方向に変化してきたのよ。地元の人もそれで生活が守られるのだから、いいんじゃないかしら」
私がGPSをいじっていると、おばあちゃんはそれを覗き込んで「ちょっとおかしいわねえ」。
もう一度キャリブレーションしなおしたら、おばあちゃんの頭の中にあるデータ通りになった。
一体全体、旅が好きなおばあちゃんは世界中の緯度経度を記憶しているのだろうか、私は考えてしまった。
「家族の人は心配しないんですか?」
「息子とはインターネットでいつも手紙を送っているから、大丈夫。時々字を虫眼鏡で見ているけれど(笑)」
背の丸まったおばあちゃんとインターネット。それもどうも想像ではつながらないんだけれど、それはどうやら私の想像力が限られた範囲にしかないから、らしかった。
おばあちゃんは偉大だった。だから船に乗っていたみんなは、彼女にグレートマザーのあだ名をつけた。
83年の人生を生きてきたおばあちゃんは、とにかく「今」を大切に、真摯に生きている。
記憶に蓄積される「昔」は端から消えていっているかのように、軽やかに爽やかに時代の「今」を生きている。
体は83才になっているのに、おばあちゃんの頭の中は18才。
だから、一人で旅をして、若者に違和感を感じさせることなくお喋りをして、綿毛のようにふわふわしている。
本当に、素直にステキだなあと思った。
ありとあらゆる壁を突破した人だけがご褒美としてもらえるような、突き抜けた爽やかさ。
このまま120才、150才までも元気にやってほしいなと、束の間の旅の時間を共にした小型船の乗船客の顔全員にそう書いてあった。
追伸:あまりにもスゴイおばあちゃんだったので、私はすっかり写真に収めておくのを忘れてしまった。
その代わり、もう一組、5分歩くのも大変なアンデス山脈を自転車で縦断中のフランスの60代おじさん達の写真をパチリ。ヒトはまず、「できない」って思ってしまったら、なんでも終わり。やろうと思えば何でもできると思っていた方がずっとシアワセな時間が送れるのに違いない。