

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2003-01-10 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
ロッジの庭には小さな野生動物が時々遊びにくる。
普通だったら、ホテルの部屋に備え付けられたセイフティーボックスには貴重品を入れて鍵をするところなのだけれど、ここでは人がいないので貴重員は部屋の中に出しっぱなし。
その代わり、セイフティーボックスの中に食べ物を入れて鍵をする。
でないと、小動物カピパラ殿に、持ち込んだ食べ物を盗まれてしまうのだ。
カピパラがウロウロとエサを探す隣で、世界一小さな鳥ハチドリが、庭の花に首を突っ込んで受粉の手助けをしている。
最初の頃、私にとってはジャングルはただのジャングルでしかなかったものが、そこに生きる生物たちが随分と細分化されて映るようになってきた。
日本に初めて来た人は、日本人は全員日本人でしかないのだけれど、中を知れば知るほど、大阪人と東京人の見分けができるようになってくる。それと一緒で、同じコットンの木でも、野生種のコットンの木とヒトが品種改良をして育てているコットンの木とは明らかに違うというように目で分かるようになってきた。
今ヒトが食べているリンゴもトマトもトウモロコシもマンゴも、もともとは野生種しかなかったのが、人類が長い時間をかけて改良に改良を重ね、より美味しく簡単に育てられるようにしてきたもの。
野生種の果実類はとても酸っぱく、実が小さい。
そして穀物類は味が詰まっているのだけれど、歯に固い。
これもニワトリのブロイラーの構造と似ていて、養鶏技術が発達していないところのニワトリは、いつも庭先を走り回っているので、どことなく小ぶりで筋肉質なんだけれど、ブロイラー種はヒトの口に楽なように改良されているので、柔らかくて肉付きがいい。
それに伴ってヒト自身も環境変化をしていくので、野放し状態の固いニワトリを食べているところのヒトの歯は、ビールのボトルを歯で噛みついて開けることができるほどに強く、でもブロイラー種を食べ慣れているところのヒトの歯はバイ菌に簡単に食べられてしまうほどに柔らかい。
試しにアマゾン地帯に暮らす現地の人々の歯を見せてもらうと、健康そうな真っ白な歯がずらりと並んでいた。
私がパキスタン、エチオピアの田舎の人に見せてもらった歯と一緒。
彼らは、私が囓ったら歯の方が取れてしまいそうな固い森の野生ナッツを、なんなくボリボリと砕いて見せた。
自然はいつも形を変える。一瞬たりとも、全てが固定されているという時がない。
朝、耳に聞こえてくる虫の声と、夕方鳴き始める虫の声は全然違うし、鳥の声だって時間帯によって声色はどんどん変化する。
地形にしてもそう。
特にアマゾン地帯は川の水量が増えると、すぐに森の土が流され始めるので、木だって日本にある木は幹が地面までストンと落ちる形をしているけれど、アマゾンの木は湿った土壌でも踏ん張って立っていられるように、地面近くの根の張り方が、日本の木の何倍も横へ横へと伸びる形になっている。
川だって生きている。
護岸工事が行われた隅田川だけを見ていると、川の位置はいつも地図上に示された場所を動かないと思ってしまいがちなのだけれど、ヒトに手を加えられていない川は、場所を動く。
水量によって蛇行を微妙に変えていくので、ある年は地図上のココ!にあったものが別の年は地図上のアッチ!になっているなんてことはざら。
常に変化するという状態をヒトは不安定だと言って嫌うけれども、実は全ての環境のバランスを取るために動いているものなのだから、護岸工事をされて身動きできなくなった川が何かのきっかけで激怒した時には手に負えない。だから最近、イギリスなどでは自然の流れに任せた方がいいと、護岸工事を敢えてしないという動きも出てきているほど。
ここアマゾンの川は、人間に簡単に護岸工事をさせるほど小さな川ではないので、まだまだのびのびと動きたい放題に動けている様子……。
電気なし、キャンドルだけのアマゾンジャングルでの生活もそろそろ終わり。
パナマ草(繊維質のヤシに似た植物)で屋根を葺いただけの簡素なロッジで過ごす最後の夜、事件が起きた。
毎日ジャングル歩きに疲れてぐっすり眠っていたのだけれど、夜中の12時頃外で騒がしい声がしているのだけは気付いていた。時々パチパチと音がするのを夢の中で聞きながら、きっとどこかから迷い込んだ野生動物をみんなで追い出しにかかっているんだろうなあくらいに思い、また深い眠りに入ってしまった。
朝起きると、昨日まで私が御飯を食べていた母屋が消えていた。
そしてもう一つ、ロッジの敷地内で母屋と全く逆方向にあるコテージも、黒こげになって崩れ落ちている。
こともあろうに、敷地内の二棟が火事で焼け落ちてしまったのだ。
そして私はその二棟の間に「挟まれた」コテージで、楽しい夢を見ていた。
幸いケガ人はなし。唯一私達にあった被害はと言えば、仲間のタケちゃんが昨晩、母屋に置き忘れてきたお気に入りの帽子が一緒に燃えてしまったことくらい。
ロッジの敷地は端から端までで約250m。そして燃え落ちてしまった二棟は、その端と端にあった。
普通だったら、一棟が焼けてその隣の棟に燃え移るというが当たり前の理屈だと思うのだけれど、結局燃えたのは何の関連性もない端と端の建物。そして私と仲間達はその間の棟で熟睡していたというわけ。
なんというアマゾンミステリー。しかも最後の晩に、フィナーレを飾るのが火事なんて……。
ビクター青年に、放火か?と聞くと、こんな僻地でそれは絶対にあり得ないという。
「じゃなんで、二カ所から同時発火したの?」
「たぶん夜小道に置いてあるランプに、カピパラか何かがぶつかって倒れ、それがパナマ草に燃え移って火事になったんだと思うんだけれど、それにしてももう一棟は、どうしてかねえ……。母屋の火事で火だるまになってしまった鳥か何かが、火種を先のコテージにまで、運んだのかねえ……」
とビクター青年は一応説明するものの、一夜明けた今となっては、火事のことはもうさして気にしていない様子。
「いやあ、離れた二カ所だったから、昨晩は本当によく走ったなあ……。二時間も働いちゃったよ」
と言いながら、はにかんだ顔をして、フフフフと笑うのだ。
生真面目日本人としては、念のため、最初は神妙な顔をして「ご愁傷様でした……ほんとうに……」という表情をしていたのだけれど、ビクター青年ほか、ロッジのスタッフもあまりにもケロッとしてオハヨウ!!と元気に声をかけてくるものだから、こちらの方がなんだか拍子抜けしてしまった。
「よくあることなの?」
「いや、ロッジがオープンして12年間で初めて」
だけれど、やっぱりみんな何事もなかったかのように、いつもと変わらぬはしゃぎ声をあげている。
昨日まであったものがなくなってしまった!
形が変化していくことに慣れていない私達は、それによって悲壮感を感じるのかもしれないけれど、形は常に変わるものだということを自然からいやというほど知らされている彼らは、あったものがなくなったところで、また作ればいいじゃないかという気持ちにすぐに切り替えられるのかもしれないなあ……。
もちろん被害者が出なかったということは大きいのだけれど、それにしても火事の翌朝から、ロッジのスタッフはまたみんなテキパキと働き始め、焼け焦げて哀しい雰囲気を持っていた母屋をさっさと取り壊し、夕方には火事の痛みは全く感じられないほどに、焼け跡をきれいに片づけてしまった。
なんと軽やかな火事の顛末!
私も彼らも同じヒト種だというのに、随分と考え方行動が違うものだなあ……。
アマゾンから空港に向かうボートの中で、いろんなことを考えた。
地球に存在する、あまりにも多種多様な種。
最初は「どうしてこの種ができたのか?」「どうしてこの植物はここに生えているのか?」「どういう経緯でこの昆虫はこんな格好をしているのか?」それぞれの理由を自分なりに想像してみることに楽しみを感じていたのだけれど、最後にどうしてもわからない質問に突き当たった。
「じゃ、どうしてこんなにも多種多様な生き物が、みんな同時にいるわけ?」
それぞれがそれぞれに時には助け合い、時には食い合いながら生きているのはよくわかった。
でも。これほどまでに種が多くなければならない理由は、よくわからない。
空を見上げた。朝日に染まったオレンジ色の雲が、アマゾンの静かな水面に鏡のように映り込む。
日が昇ると同時に、森で眠っていた鳥たちが活動を始めた。時々水面近くをピラニアが跳ねているのが見える。
「これはただ単純に……。神様のいたずらかもしれない」そんな風に思い始めた。
多種多様な種がいればいるほど、いろんな物語が生まれる。
もしかしたら退屈気味だった神様がちょっといたずら心を起こして、いろんな種を地球に置き、そこで生まれる様々なドラマを、どこかからニンマリしながら楽しんでいるのかもしれないよなあ、と。
たくさんの種が同時にいなければならない理由。それは神様のいたずら。
だとしたら神様は何という悪ガキなのかしら。
スカッと晴れた青空の雲の上に、ぽりぽりと頭を掻きながら舌を出している悪ガキの姿が見えたような気がした。