

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-12-20 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
前のコラムでも書いたが、南米大陸は地球上の大陸の中で最も地形変化に富んだ大地。
大陸を南北に縦断する背骨・アンデス山脈を中心に、ざっくりと分けると、西側は海岸砂漠地帯、東側は草原・アマゾン地帯の自然に覆われている。
小さな頃に読んだ、ジャングルアマゾン探検の本。
その記憶が忘れられずに、あの憧れのアマゾンに足を運んでみることにした。

左上:ボートに乗って上流へと向かう。川の流れは予想以上に速い。
左下:案内役のビクター青年。これらの巨木は樹齢400年は経っているといわれる。
右上:三日月湖にはピラニアがうようよいる。でもこれらもよっぽどでなければヒトは食べないのだとか。
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ペルー北部の街クスコ(標高約3400m)から、飛行機で飛ぶこと40分。
ついさっきまでは飛行機の窓から手が届きそうなところにずっと山の尾根が見えていたというのに、それはまもなく緑豊かな真っ平らな大地に変わり、私達の飛行機はそのど真ん中プエルトマルドナードという街に到着した。
標高たった150m。飛行機を降りた瞬間、肺にねとねとの酸素の固まりを注入されたような感じがした。
全身が重い。息を吸う度に、緑が発散する湿気と濃度の濃い空気が、肺の細胞の一つ一つにまとわりつくような感じさえする。体中の毛穴という毛穴から玉のような汗が飛び出した。
飛行機で40分の近距離にこれだけ環境の違う区域があるとは、やはり南米。
なんだけれど……。街の雰囲気は不思議なくらい、タイ・フィリピンの田舎の街によく似ていた。
ラフな格好をした人々がバイクタクシーに跨り、市場には屋台が並ぶ。
もし目隠しをして連れてこられたら、絶対にここが南米とはわからない。
そのくらい、よく似ていた。
南米のアマゾン流域に古くから暮らす人々のルーツが、アジア人と同じモンゴロイドであるという説を実証しているかのような雰囲気に、同胞意識を感じるほど。
私達はコーラのペットボトルを小脇に抱えると、川で待っていたボートに乗り込んだ。
川べりの風がほてった頭をほんの少しクールダウンしてくれる。
粘土質の赤い砂で、茶色の絵の具を溶かしたように見えるアマゾンの川は、滔々と流れていた。
小さい頃テレビでアマゾンの川を見た時から、本当にあんな色をしているのか、この目で見てみたかった。
そしたらやっぱり。色の濃い入浴剤を何袋も入れたみたいに、手を突っ込んでもそれさえ見えないほど、色がつい濁っていた。
東京で生まれ育った私は、「きれいな川」と言うと、どうしても瑠璃色の底が透けてみえる川を想像してしまう。
テレビに映ったアマゾンがどうして私の印象に残っていたかというと、大自然の美しい川アマゾンが、赤茶色をしていたからだった。正直に言うと、子どもの私はあんな赤茶色の川が「きれいな」はずがないと思ったのだ。
そこで泳ぐ女優さんを見て、あんな汚い川でよく泳げたもんだなあと、子どもながらに感心してしまい、記憶に残ってしまったのだった。
実際の目で見た川は、赤茶色なだけでなく、表面にたくさんの泡の固まりがいくつも浮いていた。
ちょっとギョッとした。本音を言うと、素人目にはどぶ川のイメージと重なり合ってしまったのだ。
大自然アマゾンに来ておきながら、この質問はあまりにも場違いかなあと思いつつ、現地でレンジャーをやっているビクター青年に訊ねた。
「あの……この川は、本当に汚くないんですか?」
それには向こうがびっくりしてしまったらしい。逆に質問された。
「どうして汚いと思うんですか?」
「色が透明でなくて、赤茶けているから……」
「ああ、これは両岸の粘土質が川に溶け出しているから、アマゾンはいつもこういう色なんだよ。でもこれは人工的な不純物が混じっているのと違う濁りなんだ。土の養分が川に溶けているお陰で、アマゾンの川には何千という種類の魚が生息しているんだよ」
「でもあのプカプカ浮いている泡の固まりは?」
「あれは、植物や水中にいる魚類から様々な養分が溶け出して、それら、つまりバクテリア同士が自然発酵を起こしている結果なんだ。あれが浮いているということは、川が生きている、活動をしているという証拠。だから君が普段東京の川で見ている泡とは全く種類が違う。ここには人工物がない。だからこの濁りも、泡の固まりも、川がきれいであるということの証明のようなものなんだよ」
日本のお母さんは、手についた泥を「汚い」と言うけれど、アマゾンの青年は森の粘土質の泥は「きれい」だという。自然は多種多様な生物が互いに影響しあい、反応しあってできあがっているものだから、無色透明で何もいない川の方が「汚い」、それは怖いことだと力説する。自然のままの状態の中に汚いものは何もない、
と。
彼の話を聞いているうちに、自分の中の「汚い」と「きれい」の価値基準が日本にいた時と変わってしまった。そしたら、次から次へと顔に寄ってくる虫も、足下を痒くするジャングルの草木も、かけがえなく美しくきれいなもののように思え、全く気にならなくなってきた。
ボートはジャングル内のロッジに向かって、川の上を滑り続けた。
どうして「滑る」のかというと、川幅の広いアマゾンは日本の山間部の渓流などと違って、水飛沫があがる「流れ」がない。鏡のようにただ滔々とした流れの中を行くのは、凸凹の全くないアスファルト道路を、横揺れしない高級車で走っているのと同じだった。
アマゾンは、川が道路になっていた。
日本で道路沿いに住宅が並んでいるのと同じように、アマゾンでは川沿いの草むらの中に、現地の人が暮らす小屋が建っている。人々は川という道路に、路上駐車ならぬ川上駐船をしていて、用があると数時間かけてボートに乗って街にでかける。所々に支流があり、それはまるで私達が「次の角を曲がって二軒めが私の家」というように、「本流から二つめの支流を左に入り、そこから三軒めが私の家」というように案内してくれるのだった。
私達が泊まるロッジは、「本流のくねくねに沿ってまっすぐ行って4時間の草むらの中」にあった。
なんの気なしに、ひょいと木の幹を見てたまげた。
アリが大きい。指を当てて大きさを見てみると、ちょうど私の人差し指の第二関節くらいの大きさがある。
最初、羽アリの女王様をたまたま見つけたのかと思った。
が、木の表面を行き交うアリ全てがその大きさ。
アリもそこまで大きいと単なる昆虫ではなく、一種のサイボーグのように感じるもので、頭・腹・尻の部分がヒマワリの種を三連結させたような風体に、しばらく感心して見入ってしまった。
(次回に続く)