

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-12-06 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
赤道直下エクアドルを出発してほぼ三週間。
南米縦断バスは、ただ今二つ目の国ペルーに入り、南下を続けている。

左上 ユンガイ村の雪崩に吹き飛ばされて二つに折れたバス
右上 急峻なアンデス山脈は、カメラの画角に入るはずもなく……。地底が見えないなんて、コワイなあ。
左下 アンデス山脈山中の子ども、カレンちゃん。
右下 墓守のおじさんが見せてくれた写真。上が雪崩前。下が雪崩後。
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これまで、ユーラシア大陸、アフリカ大陸を渡り歩いてきたけれど、ここ南米大陸はこれまでと同じペースで旅を続けているというのに、なんだか体力をこれまで以上に消耗するような感じがする。
なんでだろうなあと考えながら、それはきっと地形変化の激しさのせいだろうなあと思い始めた。
それぞれの大陸にそれぞれの顔がある。
陸路で道を走ってみると、それがよく実感できる。
二日三日走れば砂漠から海へ出るということはざらにあるのだけれど、ここ南米は車で数時間走っただけで、まるで違う宇宙にやってきてしまったかのように、周囲の風景が想像を絶するほどに変化してしまうのだ。
車でちょっと行くと、もうそこは標高6000mのアンデス山脈。
その道といったら、日本のいろは坂を百倍程度の規模にしたようなもので、運悪く霧が深かったりすると、ほんの数時間の間にひどい交通事故を三件も見てしまうのだから、
スケールがまるで違う。そしてその数時間ほどの間に4000mという高さを一気に降りて海に出てしまうのだ。
海に出ると今度は砂漠の岬が待っている。
数キロ先まで見渡せる砂漠の山がドカンとそのまま岬になって、海に落ちている。
カラカラの空気と海からの湿った空気が入り交じり、風が吹けば道路の上をまるで生き物のように赤茶色の砂がうねうねと這いだし、つい先ほどまで見ていた緑豊かな高原地帯は夢だったかのように、違う世界に迎えられる。地平線の彼方に蜃気楼を見、ゆらゆらとうごめく湖の幻に、今にも吸い込まれそう。
いけない、いけない。昔の砂漠の旅人達はその幻の罠にはまって行き倒れてしまったのだからと思い直し、さらにそこからまた車で数時間。すると、空気がまたねっとりと体にまとわりつくような重さを帯びて、辺りにはバナナ、マンゴの木が生い茂るジャングル地帯へ。
それは短時間の間に、沖縄と長野と北海道を同時に訪れたような感覚だから、私の体の皮膚はそのたびに猛スピードで環境適応を行わなければならず、そのせいか、頭の方まで混乱してくる。
さっきのお昼は、雪崩の音が聞こえる雪山麓の食堂で、アンデスの高山動物アルパカを食べた。
そして今晩は、海の見える高台で、ペルー版刺身セビッチェを食べる。
地球はこんなにも違う宇宙が狭い範囲で複雑に入り組んでいたのだっけ?と思うのだけれど、日本で富士山と伊豆の標高差が約3700m、しかも富士山の緩やかな裾野を見れば、優しげ、かつ広範囲に渡る勾配で地形が成り立っているのに比べ、南米の地図を見てみると等高線は限りなく小刻みになっていて、道沿いはほぼ垂直に近いんではないかと思われる急勾配になっているのだから、やっぱり南米大陸はウワサ通り、地球五大大陸の中で最も地理的変化に富んだ大陸らしい。
先日通過してきた、キャニオン・デ・パトと呼ばれる渓谷は、絶叫したくなるほどすごかった。
もちろん、こちらの道には、ガードレールなどという御親切な代物はない。
そしてもちろん、そんなところを通る道が、舗装されているわけはない。
トンネルだって、日本のトンネルのようにコンクリートで固められているわけがない。
崖だって土砂崩れ防止対策がしてあるわけがない。大きなノミで削ったような跡がそのまま残っている。
小学校の頃、砂場でよくやった「山崩し」ごっこを思った。
あの真ん中に突き立てた棒が倒れるか、倒れないかの瀬戸際の状態、それをそのままアンデスの6000m級の山々の規模に当てはめてやっているような感じだった。
目の前の手に取れるくらいの山が崩れていくのは、ちっちゃなワクワク。
でも、それが6000m級の山々でやっているような感じなのだから、そのでっかい視点で考えればアリンコほどにもならない私達なんて、山の皺に挟まったノミ程度のもの。
時々崖の間にトン級の岩々がもう落ちてきてもおかしくない状態で挟まっているのを見つけては肝を冷やし、がけ崩れに注意!の道路標識が、例え注意していてもこの規模だとどうしようもないよなあと全く役に立っていなさそうなのを見て心拍数を上げ、全くヒヤヒヤドキドキ、寝不足にくっつきそうだった瞼はその渓谷に入った瞬間に嘘のように開眼しっぱなしだった。
ほぼ垂直に切り立った、高度差4000m崖っぷちに頼りないヒモのようにくっついた道。
底に川はあるはずだというのに、その底さえ見えやしない。
じゃ、崖の上は見えるかといったら、それも急峻すぎて視界に入りやしない。
左右をそんな崖に挟まれながら、車は未舗装の道をポップコーンのように跳ねながら、慎重に進んでいく。
道の幅は車一台通るのがやっと。運転手のステファンが一秒でも気を抜いたら、私達はどこまで続いているのかわからない谷底に向かって真っ逆さま。
その時の気持ちといったら、深い深いクレバスに落っこちた一粒のゴマのような気分だった。
これが急峻なアンデス山脈なのかと、短く刻まれた等高線の意味を身をもって実感した。
非常に男性的な山々を一気に登り切った後は、これまでの激しさが嘘のように、女性的でなだらかな高原地帯に迎えられた。
切り立った岩山をくぐり抜けてきた私の目に、緑豊かな高原の谷の風景はとても優しいもののように思えた。
人間の社会でも男と女がいるように、山も、男性的な山の隣には女性的な山が寄り添っているものなんだなあと、妙に感心した。
遠くに白銀に輝く雪山が見え、その麓を瑞々しく彩られた高原が、緑色の絨毯になって、どこまでもどこまでも続いている。
途中、雪崩に消えた町ユンガイを訪れた。
目元の優しい、でもどこか哀しげな表情を浮かべた初老の男性が、お花畑の手入れをしていた。
彼は近くを人が通りかかるたびに、ほうきを動かす手を止めて写真の解説を始める。
最初は小銭を稼ぐガイドの仕事をしているのかと思ったら、どうやら違うらしかった。
遠くを指さしながら、ゆっくりと、口を開く。
「二万人いたユンガイの村はな、あそこの山から突如襲ってきた雪崩で、たった三分で跡形もなく消えちまったんじゃ。わしはその時、隣の山まで野良仕事に出掛けていた。そしたらドーンという音と共に、白い煙が僕の村に立ち上っているのに気付いた。しばらく何が起きているのかわからず、ただ呆然と見ていたら、白い煙が去った後、ついさきほどまで見えていたわしの村がナイんじゃよ。わしは夢でも見ているのかと思って、目をこすったのじゃが、やっぱりナイんじゃよ。朝、御飯を食べて出てきたわしの村が、雪の降り積もったスキー場のようになってしまっていたのじゃよ。
わしは自分以外の家族8人全員を失った。そして村の友達も全員失った。ほれ、見てみろ。ほんとうに、ここにはその瞬間まで、こんな教会が建っていたのじゃよ。こんな村々もあったのじゃよ。さっきまであったものが全部なくなっているなんて、わし自身訳がわからなくなって、その証拠写真を集めたのじゃ。ほれ、確かにわしのユンガイ村はあったのじゃよ。でも雪崩と共に全部、全部、なくなっちまったんじゃよ……」
とんでもない経験を強いられたおじさんは、ここの墓守をやることで、自分の気持ちを救っているらしかった。
ぐにゃぐにゃに曲がったバスがあった。
レンガの家々の残骸があった。
アンデスの大自然を前に、おじさんの気持ちはあまりにもちっちゃく、儚かった。
また南米縦断バスは走り始めた。
朝まで、砂漠の横に水田があるという不思議な光景に包まれていたというのに、山脈に乗っかった後、そこはスイスのような風景に変わっていた。
と……。バンッ。
すごい音と共に、水を入れておいたボトルが爆発した。
カバンの中を見ると、シャンプーのボトルも表の字が伸びるくらい、パンパンに膨らんでいる。
標高ゼロ地帯から標高3090mのワラスという町へ一日で登ってきた私は、薄い空気にハアハアいいながら、弾け飛んでしまった水の処理に追われた。
20度の温度差に対する皮膚の発汗機能から、薄い空気に対処する肺機能まで、私の体は随分と頑張ってくれている模様。予定では、本日から二日ほどアンデス山中にいた後、また海岸地帯へ。
どうやら。南米大陸をまたにかけるということは、体の機能をフル活用するということのようである。