

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-11-29 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
薬屋さんをまわりながら、「空気欲しいんですけど、持ってますか?」と言う体験を初めてした。
薬屋さんには常備薬としての「空気」は置いていなかった。
けれど、アガという会社が「空気」を売っているということまでは確認した。

私と南米縦断バスの仲間達がいるエクアドルの首都キトは、標高約2800m。
ここから往復丸一日、もしくは一泊二日でこれだけ氷柱のある高山へ行けてしまうことを考えれば、やっぱりここはアンデスの山中なんだなあと、しみじみ実感。
写真はコトパクシ山(5880m)にて。↑Click
というのも。
つい数日前に到着したばかりの、南米縦断バスの仲間の一人が高山病になった。
到着した日、この高度に慣れてしまった私がスタスタ歩いていると、みんな「早すぎる!」と抗議してきたのだけれど、中でも62才のカズちゃんは、ここの高度が相当応えてしまったようだった。
標高は2800mほど。
私も最初飛行機でここに到着した時、随分と体が重く感じたものだったけれど、いつのまにやら慣れてしまっていた。けれど、ただでさえ火山爆発その他もろもろで到着が遅れ、さらには地方空港からそのまま夜行バスに乗って8時間後に到着という難儀な技をやってのけたみんなの体は相当に疲れてしまっていたらしい。
みんなが到着した翌朝。
カズちゃんはベッドから起きられなくなっていた。
なべの底をひっかいたような声を出しながら「風邪を引いたみたいだ」と訴えている。
だるい。頭痛がする。
そしてジュースを飲んだだけで吐く。
高山病は時として風邪に似た症状が出ることもある。
いくらカズちゃんが、「乗り換えの米国マイアミを出る頃から喉が痛かったから、そのせいだ」「昨日の晩、あんまり温かくないシャワーに入ったからそのせいだ」と言ってはいても、全体の症状から言ってカズちゃんは完全に高山病だった。
微熱がある。何をするにも体が重くて口も聞きたくない。
眠れない。ムカムカする。喉が痛くて声が出ない。息苦しい。
でも高山病には薬はない。
あったとしても、自分がいる標高を下げるだけ。
これから私達はあと1000mも標高が高いところを通過しながら南米縦断をするわけだから、この標高にはどうしても体を慣らす必要があった。だから、どこか低地に移動すればすぐにでも治ってしまったのだろうけれど、今の段階ではとにかくここキトでゆっくりして高山病を自然治癒させるしか方法がなかった。
いつも旅に出るとスケッチをし、縫い物をしの元気なカズちゃんが、もうこの世も末といった表情でぐったりしている。無理に作っている笑顔も、なんだかとても痛々しい。
とにかく寝ているしかない。体を休めているしかない。
カズちゃんは何も食べたくないと言って、一日目ひたすら寝た。
でも、トイレに行くと言ってほんの少々動くだけで、また吐いてしまうという状態。
そのうち体は水さえ受け付けなくなり、カズちゃんはすっかり目がくぼんで病人然としてしまった。
二日目。もしかしたら少しは状態が良くなっているかなと期待して部屋に行くと、そこにはやっぱりぐったりしたカズちゃんがいた。
何かジュースでも飲む?何もいらない……。
蚊のなくような声でカズちゃんは囁いた。
これは……。この状態が何日も続くようだったら、どこか低地に降りることも検討した方がいいかもしれないな。
ヒマラヤなどでも海抜ゼロ地帯から行った人が高山病にかかるケースはよくある。チベットのラサまで行くと病院には高山病にかかった観光客用の酸素が常備されていて、お医者さんもその対処には慣れっこになっている。
私も一日で2000m登ってしまった時、高山病に罹った経験があるのだけれど、その時はさすがに怖かった。
普通、動悸というのは全力疾走してもしばらく立てば治るはずなのに、ドクドク鳴る心臓が全く止まる気配を見せない。頭はちょっと横に振るだけで、割れるように痛かった。苦しくて苦しくて夜眠ろうとしても全く眠れず、このまま心臓発作でも起こして死んでしまうんではなかろうかという不安に襲われたのを思い出した。
幸い、カズちゃんの場合はそこまでにはなっていなかった。けれど、とりあえず青年世代ではないので、私もちょっぴり不安になった。
高山病に対する薬というのはないのだけれど、病院で酸素を吸えば、かなり楽になる。
カルメンおばさんに相談すると、そうした方がいいというので、鉛のように重い体を引きずるカズちゃんを車に乗せ、酸素探しの旅に出ることになったというわけだった。
ここでもカルメンおばさんは、本当に親切にしてくれた。
日曜日でどこもお店はお休みだというのに、大きな薬屋さんで車を止めては「酸素はどこで譲ってもらえますか?」と聞いてまわる。
もちろんカズちゃんを病院に入れてしまえば酸素は供給されるのだけれど、私達はこれからもっと高地へ行く。そのために、また次に出るだろう患者さんのためにも、酸素のボンベを車に積んでおく必要があるのではないかとカルメンおばさんは考えたからだった。
急患扱いで、カズちゃんはノズ・クリニカという病院に入った。
血圧と脈拍を測り、高山病の状況がどの程度かをお医者さんが把握する。
若干脈拍が早めだけれども、とりあえず今すぐ低地に降りる必要はないと判断された。
お医者さんが言うには、高山病で食べ物を受け付けなくなった体が、脱水症状にも似たような症状を引き起こし、高山病の症状以外にさらに体をだるくさせているんだろうということだった。
カズちゃんはブドウ糖点滴を受け、鼻から酸素チューブを入れられた。
時間は刻々と過ぎていく。でもいっこうに良くなる気配を見せない。
昼に病院に入って、夜7時。お医者さんはもう帰って大丈夫ですよ、と自信ありげに言った。
でもカズちゃんは、まだ頬も赤く、全く良くなっている気配を見せていないのに……。
「いえ、もう大丈夫です。酸素チューブももう二三時間前からはずしています。この数値を見ればわかるのですが、脈拍はもう正常、血中酸素濃度も適度な数値にまで戻っているので、あとは栄養を摂って体が高地に慣れるまで休養を取るだけです。吐き気を止める薬を飲んで、ゆっくりゆっくり二時間おきに体に優しい食物を食べるようにしてください」
かくして。カズちゃんは、病院で夜を越すことなく、退院となった。
ベッドから立った瞬間、カズちゃんはまた気持ち悪くなってトイレに行った。
それでもお医者さんが大丈夫だと言うのだから、仕方ない。利発そうなお医者さんは、私が大丈夫か大丈夫かと何度も連発しているのに対し、「僕の考えではもう今日中にぐっと回復するでしょう」と言った。
「他にも高山病のケースを診ていますか?」「もちろん、でも彼女はもう大丈夫です。」
本当かねえ。随分とにこやかにはしゃいだ感じのお医者さんの言うことは、どうも重みがなくてその明るさが余計こちらを不安にさせた。ラテンののりで言っているだけじゃないのかねえ……。
でも、もうなんともないとお医者さんが言い切る限りは仕方がない。
よろけるカズちゃんをホテルに連れ帰り、一晩を越した。
「いやあ、嘘みたいに良くなったわ」
こっちの方が嘘かと思った。
カズちゃんは昨日のよたった状態から、たった一日で信じられないほどに回復していた。
「お医者さんが大丈夫やって言ってたの、本当やったねえ……。お粥食べてから、まるで鉄腕アトムのテーマソングが耳で聞こえるように、体の中からメキメキとエネルギーが盛り上がってくるのがようわかってねえ……」
そこにはジュースにオムレツ、パンをモリモリとたいらげるいつものカズちゃんがいた。
私はなんだかキツネにつままれたみたいだった。
昨日のあの騒動はなんだったんだろう。
一分一秒を焦って「酸素ありますか?」を連発していたのが、今では笑っちゃうくらい。
瀕死の状態といった顔で天井を見上げていたカズちゃんは、どこへ行っちゃったの?
いつか、アフリカ縦断バスを走らせた時、メグちゃんというメンバーがマラリアに罹った時もそうだった。
こちらは素人だから、どうも日本のお医者さんのイメージに固執しすぎて現地のお医者さんの明るさが胡散臭く見えてしまう。あの時もこっちがマラリア患者を抱えているというのに、鼻歌を唱いながら治療をする先生を心の底からうらめしいと思ったものだった。
昨日も然り。へばりきっているカズちゃんを前に、アカルク「大丈夫ですか?」なんて言われたら、「急患で来ているんだから、大丈夫なわけないだろ!!」とでも言いたくなった。おまけに若い先生はカズちゃんの治療をしながら、私の年齢、既婚か独身か、日本の女性は美しいと思うけれど、君はどう思うか?なんてまるで挨拶のように聞いてくるのだから、そんな先生の「大丈夫です」という言葉は全く信用ならなかった。
けれど。やっぱり地元の先生は偉大だった。
以上、長くなりましたが、カズちゃんの高山病から学んだこと。
1.高山病で苦しいなと思ったら、我慢しないで病院に行って酸素を分けてもらうべし。
2.いくら日本の病院と雰囲気が違うとは言え、地元の先生の言うことはちゃんと信用すべし。
かくして治療費150ドルなり。
これもまた、随分ありがたい授業料だったのである。
(次回に続く)