

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-10-18 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
日本は世界でも有数の治安のよい国とされている。
そんな国から私はやってきた。ここ、南米は、治安事情がまるで違う。すると自分の体の感覚までもがなんとなく日本にいる時とは違ってくるのが不思議だ。

1.今いるエクアドルの首都キトは、アンデス山中標高2800mに位置する大都会だ。
2.見晴らしのいい丘パネシージョに行った時に、一緒に付き添ってくれたお巡りさんと犬。↑Click
ただ街を歩いているだけなのだけれど、緊張感が全く違う。お金はいつも10$ほどをポケットにお札のままねじ込み、いかにも持っていますと言わんばかりの「財布」は使わない。腕時計もしない。繁華街を歩き回る時は、高価なものは一切持たない。そしてタクシードライバーが正面ガラスのすみずみにまで常に視線を這わせているように、私も常に周囲10m以内に怪しい輩が近寄ってくる様子のないことを確認しながら、足を進める。
こう書くと、日本にいる人にとっては私がとんでもないところにいるような感じを受けるかもしれないけれど、でも今までいろんな世界を歩き回ってきた経験から言って、日本の状態がある意味非常に特殊なのであって、世界のほとんどはボーッとしていることをそう簡単には許さない環境にあるような気がする。
慣れてしまえばそういう緊張感の中にさらされていることは全く苦ではなく、というよりも背筋がぴしっと伸びてきて、今まで日本にいた時には眠っていた自己防衛本能が活き活きと活躍し始めるような感じさえする。
先日、キトの街を見下ろすパネシージョの丘に登った時、不思議な光景を見た。
パネシージョの丘は、歩いていくと必ず強盗に遭うことで有名な場所。地元の人達も、行くときには必ずタクシーを使うようにと忠告してくれる。今通っているスペイン語学校のみんなで、たまたまその丘へ行こうということになり、私もそれに乗ったというわけ。
学校のお散歩企画では、なるべく庶民の生活に触れられるようにするべく、遠出をする時には必ず公共の交通機関を使うことになっている。この日も地元の人が使っている路線バスに乗り、パネシージョの丘の近くで降りた。
バスを降りたところに、二人の警察官と大きな犬が待っていた。
なんだ?と思っていると、どうやら外国人がこの丘に登る時に警護をしてくれるお巡りさんらしい。さすがは学校側の細かい配慮、きっと付き添いの先生が万全を期して手配してくれたんだなあと勝手に想像した。
裏山から登る。私達のグループ以外の人を見つけると、大きな犬がすごい勢いで吠え出す。
これではてくてく歩いている外国人グループを見ても、強盗も手の出しようがないよなあと、私はすっかりそのお巡りさん達を正義の味方ウルトラマンのように思い始めていた。
帰り道、ちょっと奇妙な雰囲気のするところを通過した。
強盗は必ず街中と丘のちょうど中腹のところで出ると聞いていたのだけれど、私達はその場所を通ったのだ。
とはいってもお巡りさんが犬つきで道案内&誘導してくれているわけだから、学校の先生ともども私達は黙ってその後ろをついていく。
相変わらずお巡りさん達は楽しい話を続け、私達の愉快な散歩は続行された。
けれども、どうもその怪しい場所の雰囲気が、私のアンテナに引っかかった。
どうやらそこだけ貧民街になっているような感じがし、なんとなく淀んだ空気を感じたのだ。
昼間だというのに、その場所にいたおじさん達は泥酔し、おばさん達の目つきもちょっと悪い感じだった。
私は、日本のお巡りさん達が路上で泥酔する人々をたしなめるように、エクアドルでもお巡りさんがそんな彼らに注意をしながらそこを通り過ぎるものだとばかり思っていた。
と。すうっと一人の酔っぱらいが絡むように私の友達に近付いた。
犬がすぐさま飛びかかるかな?お巡りさんが怒るかな?と思っていたら、お巡りさんはニコニコしながら彼らと握手をし、立ち話を始めたのだ。
そっかあ……。ここは善と悪とが切り離された世界ではないんだなあ、私達にとっては勧善懲悪のヒーローのように見えていたお巡りさん達は、実は無邪気な庶民と強盗さん達の間を奇妙な形でつなげている人なんだなあ、と思った。うまく言えないのだけれど、私達に見せている笑顔と、強盗さん達に見せている笑顔がどこかでつながっているような不思議な感じがしたのだ。
その時に、日本人の私がお巡りさんの中に見ていた単純な「善」は、この地では全く当てはまっていないことを知り、お巡りさん達の後ろにもっともっと複雑な何かが隠されているような気がした。
結局私達は何事もなく、お巡りさん達にしっかり守られ丘を降りた。警護料金が一人2$かかったのだけれど、普通ななかなか歩いていけないパネシージョの丘に友達みんなで行けたこと自体はとても楽しかった。
翌日そんなことをスペイン語学校の先生に話すと、彼女は言った。
「極悪の顔をした人ばかりがギャングなわけではなく、エレガントな人だって何かをきっかけに悪党になる可能性は十分あるでしょう?とのあたりを察知する嗅覚みたいなものを説明するのは、本当に難しいわね。でもあなたも南米にしばらくいたら、その辺の構造は次第にわかってくると思うわよ」
きっと人は、生活に切羽詰まっていたらなんでもできてしまう。
たぶん思うに……。お巡りさん達はその給料だけで生活するのは大変なのか、それともやっぱりいい暮らしをしたいという人間らしい欲が手伝ってか、片一方で警護料金を取りながら一生懸命仕事をしてくれ、もう片一方では強盗さん達との表には出てこない実に複雑な関わりがあるんだろうと思う。
一人の人の中に住むジキルとハイド。
日本的な認識で単純には割り切れない南米のお巡りさんという立場。でも外国人である私にそれを察知させてしまう分だけ、まだ分かり易い、とも言えるかもしれないよなあ。
とにかく。私の立場から言えば、明るいお巡りさんと犬一匹、鼻歌を唱いながらの丘へのお散歩は、楽しかったのである。「それで十分じゃない?」学校の友達は言った。
郷に入らば郷に従え。今私は南米にいるのだから、そう、十分だったのだ。
(次回に続く)