

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-10-04 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私は旅先で、人を顔で判断することにしている。
と書くと語弊があるかもしれないが、コミュニケーションを言葉に頼れない異国の人の場合、「直感」で何か話をしてみたいなと思った時には、すかさず話しかけることにしている。

アメリカン航空で40時間に及ぶ空の旅。現在エクアドルの首都キトでこれを書いているが、さすがに体がくたびれている。日本の南米地球の裏側はさすがに遠いなあ……。↑Click
このカンが不思議なくらい当たるのだ。アフリカ諸国の大都市では、ドロボーはほとんどの場合「ドロボー」と顔に書いてあるし、一言二言会話を交わして笑顔になにかピンと来た場合は、それが結構後々までなんらかの形で縁が繋がることも多い。海外でのキケンを避けるために、「顔にドロボーと書いてある人と目を合わせない」などと言うとよく人に「それは具体的にどういうことですか?」と聞かれる。まゆげの長さが何mm、目の形がどうのという具体的数値をまだ出せていないのが残念だが、なんとなく目に「曇り」があるとか、笑顔が「濁っている」といえば分かり易いだろうか。反対に、笑顔全体が「澄み切っている」場合、私はなんとなく友達になりたいなと思ってしまうのだ。
私は9月30日、日本を離れ南米にやってきた。
約40時間にも及ぶ移動の途中での楽しみは、隣の席にどんな人が座るのか、ということ。
成田からの飛行機の中で、目を合わせた瞬間「澄み切った笑顔」で反応を返してきたその人は、カナダのケベック州モントリオールで、個人心理学研究所の所長をしているジョセフ博士だった。
白髪が熟し切った人生を感じさせるおじさんは、日本に3年の間にもう8回も来ているのだ、と。
言葉を一つ一つ噛みしめるように吐き出した後は、最後に顔をくしゃくしゃにして笑う。
全く曇りのないその顔からは、「いい人生を送ってきたんだなあ」と感じさせる雰囲気が溢れ、そんなことをふと口に漏らすと、「ぼくは、いい人生を選び取ってきたかもしれませんね。言い換えれば、どんなに大変なことがあっても、ぼくはいい人生を送っているなと自らにいい聞かせてきたかもしれませんね」
とさらっと答えた。
見かけこそは年取っているものの、この出会ったばかりの私に、そして彼にとっては子どもほどの歳の私に、なんの気取りもてらいも、年長者ぶった態度も一切なく、素直に私の質問に答えてくれる姿は、その時その時を背伸びすることなく、等身大で生きてきたからこそ培われた爽やかな年輪のようなものさえ感じさせた。
「人生っていうのは、どんなに大変でも、自分が自分を語る時に言葉の否定形を用いさえしなければ、道を切り開いていくことができるんですよ。それが、僕が心理学のプロとして、周囲の人に本当に役立ててもらいたいと思った知恵でしたね」
まず自分の頭に浮かぶ言葉を、自分の努力で肯定系にしていくというのは、私も普段から無意識に心がけていることでもある。
世界全体を慣らしてみると、アグレッシブを良しとする言語文化と、謙譲を美徳とする言語文化圏に大きく二分されると思うのだが、日本の場合は後者に入る。「私なんて……本当に至らない人間です」というのが「私、素晴らしい人です!」というよりも聞き手に取って心地よさを感じさせるのは、やっぱり遜りの美学がある文化のせい。でもそれは、ジョセフおじさんに言わせると、「自分の可能性を自分で否定してしまうよりも、肯定してあげた方がいい歳の取り方をできるんですよ」ということらしい。
例えば……とジョセフおじさんは前置きをすると、「僕は〜をすることができない」と語尾を否定形で終わらせてしまっては、人生がもったいない、と。世の中の事柄は否定形だけで成り立っているのでなく、否定形があればこそ、どこかに肯定形が隠れているはずだ、それを自分の力で見つけだしてあげるのだ、と。
それで行けば「僕は〜をすることができない。けれど。その代わりに〜をすることができる」。自分が頭の中に置く言葉をここまで持ってくることによって、自分の可能性を認めてあげることになり、まず自分の気持ちの持ち方が変わってくる。よって卑屈になることなく、素直な生を勝ち取ることができるのだ、と。
「いつも将来に対して可能性を含む言葉遣いをするように、心がけていればきっとそういう風に運命は向かっていくはずなんだよ。
私は今67才。(英語で言えば67 years oldとなるところなのに、彼はわざわざ67 years youngと言って、悪戯っ子のような目配せをする)運命が私を生かしておくまで、ぼくは生ききります」
日本滞在中は元気のない企業相手にいくつかの講演をしていたというジョセフおじさん。上の発想法を「勇気づけ(encouragement)」という言葉で語ってくれたのだが、自分がまずそれを地でいっているところに、とても説得力がある。
「日本はやはり歴史が長い分だけ、本当に不思議な国ですね。講演会後のワークショップなどでもいつも感じるのですが、日本の発想ではまず、【できない理由】を羅列する。それに加えて経済状態じゃあ、ますます人間も落ち込んでしまいます。だから今の僕がささやかながらできるのは、心理学者の立場から、【できる理由】を羅列する日本になってもらって、勇気づけができたらいいなあと思っているんです。できないと思っているのは、自分が自分でその枠の中に自分を閉じこめてしまっているというのに、まず気付くことがスタートですから」
ジョセフおじさんはお財布の中から古ぼけた写真を取りだした。若い二人がまるで映画スターのように、熱い抱擁を交わしている写真。40年前に撮影された、ジョセフおじさんと奥さんの写真だった。
またゆっくりゆっくりと、ジョセフおじさんは静かに語り始めた。
「素晴らしい夫婦関係というのは、ベストフレンドであり続けることだというのを、ぼくは妻を通して知りました。彼女は最高の妻であり、母親であり、人間でした。これ以上の人はいないというくらい、ぼくにとっては唯一無二の親友でした。僕たちは素晴らしい時間を共にできて、本当に幸せだった。けれど、その妻は心臓発作で二年前にベッドの中である日突然息を引き取った。ぼくは彼女が死んだ時、ぼくの人生も同時に終わったと思いました。けれど、いろいろなことを考えるうちに、人生の善し悪しというのは時間の長さではないと、実感しました。彼女はぼくと結婚し、早いうちから、互いに共有できる時間は有限であるということに気付いていた。ぼくらの関係も命と同様永遠に続くものではないということを、実感として理解していたからこそ、ぼくらは互いを愛おしく思えたんだと思うのです。罵り合いをする時間があるくらいだったら、助け合っていた方がいいと。なぜなら、二人の時間は無限に続くものではないから。彼女がなくなった後、ぼくは彼女を失った、と思っていた。でも彼女は、彼女の後ろ姿を手本として育った3人の子ども達の中に、今も生きていることをぼくは気付いた。形こそ見えなくなっても、彼女は少なくとも僕の心の中に今もしっかり生きている、だからぼくは彼女を失ってはいなかったんですね。これこそ、勇気づけ(encouragement)の発想ですよ。もう彼女に会うことはできない。という否定形で言葉を終わらすのではなく、会えなくなった代わりに、彼女は僕のイメージの中でいつでも会える存在になった、と自分で自分を説得する。これには大変な努力が要りますが、でもぼくができているんだから、みんなできるんです」
ジョセフおじさんのスーツケースの中には、奥さんの大きな写真が偲ばせてあるのだと教えてくれた。
「海外旅行をしてホテルに到着すると、僕はまず彼女の写真をスーツケースの中から出して、彼女と一緒にホテルに泊まる。他の人には見えない彼女だけど、僕には見えるんだよ」
自分の心情を、見ず知らずのただ機内で席が隣になっただけの私に素直に吐露するジョセフおじさん。日本の同世代の男性だったら、見栄とか体裁とか格好が邪魔をしてここまで素直に語ってはくれないと思うのだけれど、あらゆる余計な衣を脱ぎ捨てたようなジョセフおじさんは、人間としてとてもかっこよかった。話の内容もステキだったけれど、私が驚いたのは、若いもんに弱味を見せるべからず的、年功序列独特の肩肘を張ったところが全くないところだった。まるで同い年の友達のように、自分の経験を語ってくれた、その横顔には人間らしい温度があった。
あんな風に歳を取れたらいいなと、久しぶりに感じさせてくれた人。やっぱり笑顔は曇っていなかった。
(次回に続く)