

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-09-27 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
南米に出発するまで、あと4日。
初めての大陸に気分も落ち着かないところに、突然の仕事が入り、この原稿を書く直前まで、ヒマラヤの国・ブータンを10日間ほど訪ねていた。

1991年、お客の私をブータン初のジムへと案内してくれたチミー(左)。ゴと呼ばれる民族衣装を着ながら舶来モノの機材を操る姿は、ブータン版明治維新を彷彿させた。↑Click
ブータンに行くまでは南米への準備にぬかりがないようにと、日を追ってヒートアップしていた頭の中が、ヒマラヤの悠然とした時間の流れの中に思いもよらず身をおくことになったことで、ほんの少し、私の中の時計が針を止めた、そんな気分だった。
70人乗りの小さな飛行機でブータンへ向かいながら、いろんなことを考えた。
これから始まる南米縦断のこと。そして今までやってきたこと。
一つ一つの仕事を少しずつ達成する喜びを噛みしめながら、でも今やっていることは、決して今だけで成り立っているものではないんだよなあと、仕事を通して繋がる不思議な人の輪を感じていた。
人にはその時その時の運命の糸、のようなものがある。
10代の頃。恋愛に夢中だった。20代。とにかくいろんな人と出会うことに時間を割いていた。
今私がやっている仕事は、そのほとんどが20代に出会った人の縁で成り立っていることに、ふと気付いた。20代で出会う同世代の人。それは、後々一緒に仕事をするかもしれない重要なキーパーソンになりうることを、ブータンの旧知の友との再会を通じて確信していた。
当時私は22才。ネパールに留学していた私は、なんとなく同じヒマラヤ圏に属するブータンという国が気になり、なんとはなくやってきた。そこで出会ったのが、チミー・トブゲという25才の青年だった。
ずっと鎖国をしていたブータンは、それまで観光業も国が取り仕切っていて、私がちょうど入国した頃から、やっと観光部門が民間業者に委託されようとしていた時だった。
チミーのお父さんは、ブータンの社会大臣。外交で日本の天皇陛下との謁見もしたことのある人物で、インドにあったブータン国領事館で要職についていた。
当時、私が「親がそこまでの高級官僚でありながら、一人息子のあなたはどうしてお父さんのような仕事を目指さなかったの?」と訊ねると、彼は言った。
「この国にはまだ民間という感覚が全く育っていない。俺はこれから、自分の会社を作って、ブータンの観光産業育成に貢献していきたい。なぜなら、親父は外交を政治の中でやってきたけれど、俺は観光産業という未知の分野で、国と国との外交じゃなく、一般の人と人をつなぐ民間外交をやっていきたい」
「でも周囲の反対があったでしょう?お父さんの後を継げ、とかさ」
「そりゃ周りからのプレッシャーはいろいろあった。もちろん親父の七光りで生きていた方が楽だったかもしれない。けど。ブータンもこれから新しい時代がやってくるんだ。それに対応していくためにも、俺の時代では会社という民間システムの中で俺なりの外交をやっていく。そのことを親父に話したら、親父は俺をそのまま認めてくれただけでなく、周囲を説得さえしてくれた」
私とそう歳の変わらぬ彼が、自分の国を背負ってこれから自分達で道を拓いていくんだという意気込みは、ブータンを偶然訪れた私に、心地よい勇気を与えてくれた。
「実は……。君が、俺のジンセーで最初のお客さんなんだ」
システムが全くできていなかったブータンでの観光は、チミーの旅行業手配ミスがあまりにも多かった。でもその分だけ、未来への希望が溢れているような気がした。
あれから10年。お互いに連絡も頻繁に取らないまま、静かな時間だけが流れた。
そしてある時。迷い込むように送られてきた一通のメール。
「俺の最初のお客さんへ。ブータンもついにインターネットが開通しました。チミーより」とだけ書かれていた。
戦友は固い絆で結ばれていると言うけれど、私とチミーが偶然の出会いの中で過ごした日々も、互いの感情を炸裂させるくらい大変だった分だけ、忘れられない記憶になって、いつのまにか甘い想い出に変わっていた。
あの時は……。トレッキングに行ったものの、まだルートも確立されておらず、道に迷って山で遭難しそうになったんだよなあ。本隊とはぐれてしまって、御飯にもありつけずに夜9時まで真っ暗闇を歩かされたんだよなあ。なんとか山奥の村人に助け出され、チミーとそのアシスタントの3人で震えながら暖を取ったんだよなあ。私が手配ミスをチミーに怒ると、チミーはアシスタントを叱りとばし、アシスタントの男の子は泣いてしまったんだよなあ。
行ってみようかな、久しぶりに。と思って10年ぶりの再会を果たしたのが去年のこと。
当時は会社経営にしても、観光業にしても全くの素人だったチミーは、いつのまにかすっかりプロ化し、社員を持ち、事務所を持ち、家族を守りながら、体格も見違えるほど貫禄をつけ、忙しく仕事に勤しんでいた。
嬉しかったのと同時に、お互いにこの10年でつけた力を持ち寄って何かを一緒にやってみたくなった。
そして、先日、偶然知り合いからブータンへの旅をコーディネートしてくれないかと頼まれた。
私はそれを仕事として引き受けることにした。
20代で出会った人と、長い年月を越えて今度は仕事という形で一つの協力関係を作れるのは、この上なくうれしかった。同じ釜の飯を食べたからこそ、若い時代を互いに知っているからこそ、いつまでたっても笑いあえる関係。あの、お互いに未成熟だった時間を共有しておいて、本当に良かった、と思った。
4日後、私は南米縦断に飛び立つ。
車を運転してくれるオーストリア人のステファンも、私が21才の時に出会った人。
そんな頻繁に連絡を取り合っていたというわけでもないのに、何かを一緒にやろうという互いの意志が出会ってから数年後、ユーラシア大陸横断、アフリカ大陸縦断という形で結実した。
感性が研ぎすまされている20代という時期。
もしかしたら、その後一緒に何かをやることになる同世代を、カンが自然に探り当てていたのかもしれないな、と30代に入った今、思う。
(次回に続く)