

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-09-20 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
(前回に続けて)
本当に時代が贅沢になったんだと、よく思う。
昔は自己実現なんて言葉もなかっただろうし、それどころかまずは食べるために必死だったから、自分のやりたいことがなんのかんのなんて言っている余裕さえなかったんだろうと推測する。

身長が伸びるのは止まってしまった今、あとは中味を充実させていくのみ。
(ナミブ砂漠にて撮影)↑Click
でも。最近の世の中を見渡してみれば、若者に限っていえばとりあえず先の一週間を食べるためのアルバイトならまだあるから、特にやりたいこともなければそのままいってしまうというのは、ある意味わかるような気がする。
だから私は、仕事をする、働くという動機の意味付けを、仕事という枠の中で自分がやりたいことに近づけるように努力するところに置きたかった。
「やりたいことを仕事にしたい願望は無駄なものだ」
「自分のやりたいようにやってはならない、それが社会人だ。仕事に夢は持つな」
9年前のあの日、青山のバイト先の人事採用部のオジサンが私に伝えてくれたことは、その後もずっと頭を離れなかった。ふと、そのバイト先があったビルをのぞいてみた。会社は移転してしまったらしかった。
私は記憶の中からその時の自分を拾い出し、今の自分の隣においてみた。
当時から私は海外を飛び回る仕事をしたかった。
今、気付いたらなんとかそれが成り立っていた。
9年前の自分が、今の自分に質問してきた。
「この9年の間、あのオジサンが言っていたことが正しかったなと感じたことはあったか?」
何度もあった。自己主張だらけで突っ走ろうとしていた自分は、社会人になって自分がやりたいことというのは仕事としては本当に通りにくいものなのだということを、いろんな現場からたたき込まれた。ほんのちょっぴり、当時のオジサンの歳に近付いた今、仕事なんて淡々とこなすものだよと言っていたオジサンの言葉も少し理解できる。ある分野でプロフェッショナルとして食べていくということは、相手に依頼されたことをただひたすら職人のようにやって差し上げること。それはそれで、自分のやりたいことを達成する喜びとは別の達成感があるということを仕事と通して教えてもらったような気がする。
「お前はオジサンの言うことも聞かずに、自己流に突っ走ってきた今、どう思うか?」
全く後悔していない。なぜならあの時のオジサンの言葉をそのまま素直に受け入れていたら、たぶん「経験」というジンセーの蓄財のようなものを自分に貯めることができなかったから。もちろん、やりたいことをどうしても仕事でやりたいと強烈に思っていた分だけ、それを簡単には世の中が許してくれないと知った時、希望と同じくらい強烈な挫折感を味わった。でもその強烈な、何かをやりたいという気持ちさえ持っていれば、ほんの少しずつでもやりたいことに近付いていける、そんな気が今している。
「じゃ、お前は当時のお前がやりたがっていたことを、達成できているのか?」
100%達成できていると言ったら嘘になる。けれど、9年前と比べると、仕事の中でやりたいことをやらせて頂ける機会は、かなり増えてきた。夢はみるもので、叶えるものではないという人もいるけれど、私は夢はみた以上、この世で叶えなければ意味がないと思っている。そして不思議なもので、少しでもその夢に近付いた時、その先にはまた別の夢が出てくる。だから永遠に追いかけっこをしているような感じで、今という時間からだけ自分を見ると、やりたかったことはできていないと感じてしまうのだけれど、こうして9年前の自分にふと出会う瞬間、当時のやりたかったことは、いつのまにかかなりできているんだなあと実感させられる。
「じゃ、オジサンが言っていた、自分のやりたいことを仕事にしたいなんて願望は、持っても無駄ということについて、今の君はどう思うか?」
道の途中の挫折を味わいたくない人にとっては、やっぱり下手な願望は持たない方がリスクが少なくていいのかもしれない。でも、私はせっかくここに生まれてきたのだから、願望が叶わず叩きのめされる辛さと、その次に願望が叶った時に手放しで喜べるうれしさの両方をもって、生きていることを実感していたい。
突っ走れるのは、若さの特権だと思う。
そんなたった一回だけのジンセーのチャンスに、それをやらないのは実にもったいない。
やっても無駄かどうかは、やってみないとわからないし、結果としてやって無駄になることもあるかもしれないけれど、その時に実際やって無駄だとわかった偉大なる「経験」がその体に宿るのだ。「経験」は耳から知った知識よりも何十倍も重い。実質無駄に終わったとしても、その途中での「経験」がヒトを磨くと私は思う。
オジサンの言っていることは、オトナの世界ならばある程度事実かもしれないのだけれど、22才だった私がその時そのまま聞いていたら、今の私はなかった。
やりたいことを仕事にしたい願望は、持っても無駄か。
答えは、まだ出ていない。少なくとも9年前よりやりたいことに近付いているのを見ると、決して無駄だったとは思わない。けれど、これから先、やっぱりやりたいことは仕事にならない、またはしてはならないと感じる時も出てくると思う。でもその時もきっと諦めないと思う。なぜなら、叶わないかもしれない願望を持ち続けていること、それ自体がジンセーをより彩り豊かなものにするということに気付いてきたから。
私は週明け、いよいよ南米に出発する。やりたかったことが叶う。それがこれからどう仕事につながっていくか、つなげていくかは、私の腕に委ねられている。
(次回に続く)