

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-09-06 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
南米縦断、いよいよカウントダウンが迫ってきました。
出発地となるエクアドルへはと飛び立つのは、9/30。でもその前に一つ仕事が入っていて、9/16-24までは日本を不在にするので=9/15までにほとんどの準備を終わらせねばならない。

結婚という「節目」。保守的なインドでは、この日以降、女性は髪の分け目に常に朱を入れ、妻であることを周囲にアピールしながら生きる。
この日彼女は、前へ向けて進む覚悟と同時に、少女時代の過去の自分が記憶の中できっと渦巻いていたんだろうなあ。↑Click
今はそれに向けて、息を荒くしながら思い残すことが何一つないようにと、頭に浮かんだことは迷わず即実行!という、だらけていた時と同一人物とは思えないほどの火事場の馬鹿力が出るようになってきました。
人には誰しもいろんな「ジンセーの節目」があると思います。
昔、学校にいた頃は、その「ジンセーの節目」というものを、入学式、クラス替えという形で、学校が用意してくれていた。だから、学校の予定に従ってさえいれば、自然とその「節目」はやってきた。
もし私が会社で働いていたら、責任者への昇進という形で、節目がやってきていたかもしれない。
でも、フリーランスで働く私は、相手がその節目を用意してくれることは皆無だから、自分で自分の節目を設定する。それが私にとっては、今回のような「どこかへ長期取材に出る」という作業なのかもしれません。
それがすぐそこに迫っていると思うと、なぜか奇妙なほどの前進への力が出てくる。と同時に、過去というものが自分の体の中にまざまざと蘇ってくる。
無性にお世話になった友達を思い出す。今は亡きおばあちゃんを思い出す。自分のやってきたことを振り返る。
溜まっていた手紙を一気に書き始め、お墓参りをし、机の中の書類を整理する。
今まではやろうやろうと思っていても、そのままになっていたことを、気付けば端から片づけているのだから、本当に不思議。普段資料や書類やらで雑然としている私の事務所が、どこかへ出発する前には気味悪いほど整然と整えられ、時折遊びに来ていたネコも、なんだか逆に居心地が悪そうにしていたりして……。
そして。
前進するエネルギーに相反して過去への旅に出てしまうのは、どうやら節目を迎えた本人だけではないらしい。
音信が途絶えていた周囲の友達も、どこか風の便りで私がその「節目」に向かっていることに気付くと、「行く前に……」「その前に……」と、今まで静まりかえっていたはずの関係が、その静かな過去を取り戻すかのように音を立てて動き出す。うれしいなあと心に踊る気持ちを抑えつつ、「是非その前に……」という言葉になんとなく縁起の悪いものを感じてしまう私は、「じゃ、その後にもっともっと増えるであろうネタ(土産話)と一緒に飲もうね!楽しみにしていてね!」と言ってそっと電話を置く。
お互いが元気でいられたことを確認して、心の中で喜ぶ、そのきっかけを作ってくれたのは「節目」。
私が南米に行っているのはたかだか半年なんだから、お互い日本にいて1年以上連絡を取らなかったのはなんだったのかしらと思ってしまうけれども、そんな風に人を動かすのも「節目」のなせる技。
そういえば、友達の結婚式でもそうだった。
彼ら、彼女らの「節目」に出席しながら、私の頭の中の記憶が、5年前、10年前の彼・彼女の姿を探し出す。前は恋愛で悩みに悩んでいた彼・彼女もついに結婚することになったんだなあと思いながら、式は前進するエネルギーに満ち満ちているというのに、同時に私の頭は主人公の過去ばかりにフラッシュバックしていたっけ。
ここ二週間ほど、息を荒くしながら仕事をしているという状態も、「節目」が運んできたもの。
今まで半年も出版社で陰を潜めるように埋もれていた企画書が、私の「節目」のお知らせと同時に取り出され、会議にかけられた。書類を提出してから、どうなるかどうなるかと待っていた結論は、これまでのまったりぶりが嘘のように、瞬時にOKのお返事。するとここでも「行く前に……」「その前に……」という力が働き始め、なにやらやらねばならないことが一気に山積みになってしまった次第。
原稿を書いて暮らしている私は、締め切りが近付くとなんだかムズムズ変な気分になってきて、それが締め切り時間を近付けば近付くほど、お祭りにでかける前の興奮のように盛り上がってくる。するとどれだけ時間をかけてもなかなかはかどらなかった仕事が、とんでもないほど効率的に片付いてしまう。
こう考えてみると、「節目」っていいもんだなあ。
未来永劫今いる自分の状態が続くと思っていると、ヤル気のヤの字も出ないというのに、「節目」を設定した瞬間、本人がシャカリキになってやってしまうだけでなく、その周囲までもが一斉に活気づくんだから。
先日大学生と話していたら、彼がふと漏らした。
「俺は何もやりたくない。第一ヤル気が起きないし、何をやっていいかわからない」
それを聞いて私もちょっぴり共感した。ずっとずっと現在と同じ状態の未来を頭のどこかで想像している時って、私だってソファに寝っ転がってたまま、ただ時間が過ぎるのを待っているほどだらけてしまう。
でも。もっとよくよく考えてみると、ヒトは生まれたその瞬間から、いずれ死んじまうという、避けられない「偉大なる節目」に向かって歩いているのだ。
「そう思ったら、少しヤル気が起きない?」
「漠然としすぎていて、よくわからない」
「じゃ、もうちょっと分かり易い、近くの節目を自分で作っちゃおうよ。例えそれが最初は無理矢理設定した節目でも、それに向かって何かをやっているうちに、周りが自然と動いてきて、後に引けない、とにかくやらねばならぬ状況がいつのまにかできているよ」
これはまさに、私が私によく言っていること。
私の目前の「節目」までに残された時間はあと10日。
後悔のないように自分なりのベストを尽くして、あとは運命に素直に従おうっと。
(次回に続く)